電流なしで磁石に吸着!らせん状キラル分子の新原理を発見 ―不斉合成や分子生物学への応用に期待―
東京大学
産業技術総合研究所
名古屋大学
大阪公立大学
分子科学研究所
発表のポイント
- 次世代量子エレクトロニクスの重要材料「キラル分子」の新たな原理を発見。
- これまで電流を流さなければ磁石の性質を持たないと考えられてきたキラル分子が、熱による分子の振動によって自ら磁石の性質を持つ仕組みを発見。
- 物理学で培われたスピン科学の概念が化学・生物学へと拡張し、学際的応用が期待される。
概要
東京大学物性研究所の三輪真嗣准教授、産業技術総合研究所ハイブリッド機能集積研究部門の山本竜也主任研究員、名古屋大学大学院工学研究科の大戸達彦准教授らによる研究グループは、大阪公立大学の木村健太准教授、分子科学研究所の山本浩史教授と共同で、未解明であった「らせん状の形をしたキラル分子(注1)が磁石と相互作用する原理」を発見しました。
本研究により、キラル分子が分子振動を通じて自らスピン(注2)を獲得し、その結果、キラル分子と磁石の間に層間交換相互作用(注3)がはたらくことで、キラル分子が磁石に吸着することが明らかになりました。これまでにも、キラル分子が磁石のような振る舞いを示すことは報告されていましたが、電流を流さない限りキラル分子は磁石の性質を示さないと考えられており、その起源は不明のままでした。今回発見した仕組みは電流を必要としないため、化学反応や生体内など、身近な環境でも普遍的に起こり得ます。これまで不斉合成や創薬といった化学分野、さらには光合成やバイオセンサーに関連する生物学分野では、主にキラルな形そのものが注目されてきました。今回の成果は、物理学で重要視されてきたスピンの概念が、キラリティが関与する化学や生物学においても重要であることを示唆しています。これにより、学問分野の再構築や新たな学際的応用の展開が期待されます。
全文PDF発表内容
らせん状の形をもつキラル分子と磁石を組みわせるとさまざまな興味深い現象が生じることは、キラリティ誘起スピン選択性(CISS現象)(注4)として知られ、世界的に注目されてきました。これまでに、キラル分子と磁石を接合して電流を流すと、スピントロニクス(注5)で重要な磁気抵抗効果が現れることや、磁石を用いて右手系・左手系の分子を分離できることなどが報告されています。その仕組みは、図1に示すようにキラル分子に電流を流すと、コイルの電磁石のように分子が磁石の性質を獲得するという説明が一般的でした。しかしこの説明では、極めて大きな磁気抵抗効果や、電流を流さなくても観測されるCISS現象を十分に説明できないという課題がありました。
先行研究では、主にニッケル電極と市販の電気化学セルを用いた測定が行われてきました。しかしニッケルは電解質に溶けやすく、磁石と電解質溶液の界面を清浄に保つのが困難です。そこで本研究では、スピントロニクス技術を応用し、特殊な電気化学セルを開発しました。スピントロニクスで磁気メモリにも使われるコバルトと白金の合金に、ナノメートル単位で厚さを制御した金をコーティングした特殊電極を作製、キラル分子であるカンファースルホン酸の水溶液と組み合わせ、独自の電気化学セルを構築しました(図2(a))。
その結果、外部磁場の向きを変えると磁石近傍のキラル分子の濃度分布が変化し、それが電流変化として検出されました(図2(b))。さらに、電流変化の割合を金の膜厚に対して調べたところ、振動的に大きさや符号が変化する結果が得られました(図2(c))。これは、観測された現象がキラル分子と磁石の間の層間交換相互作用によるものであることを示しています。ここで重要なのは、本研究において電流はキラル分子の濃度変化を検出するためにのみ用いられており、分子に磁石の性質を与える役割を果たしていない点です。一方、キラルな形だけでは分子は磁石の性質を獲得できないことが理論的に示されています。キラル分子と磁石が層間交換相互作用を起こすにはキラル分子が磁石の性質を持つ必要があるため、電流を流さずにキラル分子がどのように磁石の性質を獲得するのか、その機構解明が重要課題でした。
通常、材料に磁場を印加すると、その方向に沿ったスピンが生じます。しかし、このスピンの向きは磁場の方向に依存するため、分子のキラリティとは無関係であり、CISS現象を説明できません。ところが本研究チームは、磁場中でキラル分子が振動運動を起こすと磁場の方向とは無関係に、キラリティにのみ依存したスピンが現れることを発見しました。さらに第一原理計算と呼ばれる理論解析によって、分子振動によりキラル分子が図2(d)に示すようなスピンを獲得することを確認しました。
本成果は、世界で初めてCISS現象が層間交換相互作用によって起こることを実験的に証明したものです。さらに、分子振動によって、キラル分子そのものがスピンを獲得し、磁石の性質を示すことを突き止めました。
この成果により、キラル分子は電流を流さなくても自ら磁石の性質を示し、CISS現象を引き起こすことが明らかになりました。この仕組みは電流を必要としないため、化学反応や生体過程など、身近で多様な環境において普遍的に起こり得ます。特に化学や生物学の分野で、従来キラルな形に着目して議論されてきた現象に対し、スピンの物理が本質的な役割を担う可能性を提示するものです。今後、この知見を基盤として、化学や生命科学をはじめとする幅広い分野で新たな研究や応用が展開されることが期待されます。
関連情報:
発表者・研究者等情報
- 東京大学
- 物性研究所
- 三輪 真嗣 准教授
- 永田 崇 助教
- 坂本 祥哉 研究当時:助教(現:東北大学金属材料研究所 准教授)
- 志賀 雅亘 研究当時:特任研究員(現:高知大学理工学部 准教授)
- 井上 圭一 准教授
- 大学院新領域創成科学研究科
- 高 偉光 博士課程
- 物性研究所
- 産業技術総合研究所ハイブリッド機能集積研究部門
- 山本 竜也 主任研究員
- 野﨑 隆行 研究グループ長
- 大阪公立大学大学院工学研究科
- 木村 健太 准教授
- 分子科学研究所協奏分子システム研究センター
- 山本 浩史 教授
- 名古屋大学大学院工学研究科
- 大戸 達彦 准教授
- 竹延 大志 教授
論文情報
- 雑誌名:Science Advances
- 題 名:Spin polarization driven by molecular vibrations leads to enantioselectivity in chiral molecules
- 著者名:S. Miwa*, T. Yamamoto, T. Nagata, S. Sakamoto, K. Kimura, M. Shiga, W. Gao, H. M. Yamamoto, K. Inoue, T. Takenobu, T. Nozaki, and T. Ohto* (*責任著者)
- DOI: 10.1126/sciadv.adv5220
研究助成
本研究は、科学研究費助成事業基盤研究(S)「キラル分子スピントロニクスの研究(課題番号:25H00414)」、学術変革領域研究(A)「キメラ準粒子の分子科学(課題番号:24H02234)」等の支援により実施されました。
用語解説
- (注1)キラル分子
- 左右の手のように、あるものとその鏡像とを重ね合わせることができない構造を持つ分子を「キラル分子」と呼びます。この性質は、左手と右手、あるいは右巻きと左巻きのコイルに例えることができます。分子における左右の違いのことをキラリティといいます。
生体を構成する多くの分子はキラル分子であり、そのキラリティは化学反応や創薬において重要な役割を果たします。実際、薬としてはたらく分子の多くがキラルであり、右手系の分子は薬効を示す一方で、左手系の分子は毒性を示す場合もあります。そのため、分子の「左」と「右」を正しく作り分けることは非常に重要です。
このキラル分子を区別して作り分ける技術を確立した功績により、2001年のノーベル化学賞は、野依良治博士、ウィリアム・ノールズ博士、バリー・シャープレス博士に授与されました。 - (注2)スピン
- 物質をつくる基本的な要素である原子は、中心にある原子核と、その周りを回る電子から成り立っています。電子は電気を運ぶだけでなく、小さな磁石のような性質も持っています。この性質は「スピン角運動量」や「スピン磁気モーメント」と呼ばれ、磁石材料における磁極の主要な起源となっています。
電子が磁石の性質を持つ理由は、電子が原子核の周りを回りながら、自らもコマのように自転することに例えられます。 - (注3)層間交換相互作用
- 磁石の層と層の間に非磁石の層を挟むと、その非磁石の層を介して両方の磁石層のスピン(磁極、すなわち磁石のN極・S極の向き)が互いに平行あるいは反平行にそろうことがあります。この現象は層間交換相互作用と呼ばれ、量子力学的な効果に由来します。特徴として、挟み込まれた金属層の厚さによって、その強さや向きが変化することが知られています。
層間交換相互作用の発見は、巨大磁気抵抗効果の発見につながった重要な成果であり、さらにスピントロニクスの分野では、不揮発性磁気メモリ(MRAM)の材料開発に欠かせない要素技術としても広く知られています。 - (注4)キラリティ誘起スピン選択性(Chirality-induced spin selectivity: CISS)
- キラル分子に電流を流すと、その電流を運ぶ電子のスピンが進行方向に対して平行(同じ向き)または反平行(逆向き)にそろうようにみえる現象を指します。どちらにそろうかは、分子の「右手系」か「左手系」かといったキラリティの違いによって決まります。
この効果は20年以上前に発見されて以来、世界的に注目されてきましたが、なぜそのような現象が起こるのかについて、長らく理論的に十分に説明できていませんでした。 - (注5)スピントロニクス
- ナノサイズの磁石を利用する新しいエレクトロニクス技術をスピントロニクスと呼びます。電子は電気を運ぶだけでなく、小さな磁石のような性質「スピン」を持っており、このスピンを電荷とあわせて利用することで、従来の技術では実現できなかった新しい機能を持つ電子素子の開発が進められています。
代表的な応用例として、超高密度ハードディスクドライブ用の磁気ヘッドや、不揮発性メモリとして注目される磁気メモリ(MRAM)があります。これらを可能にした基盤技術が「巨大磁気抵抗効果」と呼ばれる現象で、磁場をかけると電気抵抗が大きく変化するというものです。この発見に対して、2007年にはノーベル物理学賞が授与されました。
関連ページ
- 東京大学物性研究所 三輪研究室
- 東京大学物性研究所 井上研究室
- 2025.07.18物性研ニュース電流と軌道の間で相互変換を実験的に確認
- 2025.07.18物性研ニュース量子センサで“見えない磁石”の構造を解明 ―八極子磁壁の正体に迫る―
- 2024.12.03プレスリリース高周波でも安定:新規スピントルクダイオード効果の発見 ―Beyond 5G超高速磁気デバイスへ新たな展望―
- 2023.03.27物性研ニュース結晶方位制御によるビスマスにおける巨大スピン変換の実現
- 2023.01.19物性研ニュース室温で駆動する新しい量子トンネル磁気抵抗効果の発見 ―ピコ秒帯域で駆動する超高速・高密度・低消費電力メモリの開発へ大きな一歩―
- 2022.07.21物性研ニュース反強磁性体における垂直2値状態の電流制御に成功 ― 不揮発性メモリの超高速化・超低消費電力化への大きな一歩 ―
- 2022.04.13プレスリリースらせん状のキラル分子は熱で磁石になる -温めると磁化が大きくなる磁石を発見-
- 2021.04.15物性研ニューストポロジカル反強磁性体において電気的に読み書き可能な信号の増強に成功 ―超高速駆動する不揮発性メモリ素子の開発へ道筋―
- 2021.04.15プレスリリーストポロジカル反強磁性金属の超高速スピン反転を実証 ―テラヘルツ電子デバイスの実現に道―






