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室温で駆動する新しい量子トンネル磁気抵抗効果の発見 ―ピコ秒帯域で駆動する超高速・高密度・低消費電力メモリの開発へ大きな一歩―

東京大学大学院理学系研究科、物性研究所、および先端科学技術研究センターの研究グループは、反強磁性体(注1)Mn3Snが磁化を持たないにも関わらず室温で量子トンネル磁気抵抗効果(注2)を示すことを世界に先駆けて発見しました。

Mn3Snは磁化を持たないにも関わらず巨大な異常ホール効果(注3)を示すことが知られていました。今回の、電気的な出力を飛躍的に増大させることのできる量子トンネル磁気抵抗効果の発見は、これまで不可能と思われていたTHz帯の動作速度で駆動する超高速・高密度・低消費電力メモリの実現に向けた大きな一歩です。本発見は今後大きく注目される量子技術であり、アカデミックなインパクトのみならず、産業界においても大きな波及効果をもたらすことが期待されます。

図:(a) 「0」と「1」の情報に対応する2値のトンネル磁気抵抗効果の模式図であり、反強磁性体Mn3SnからなるMTJ素子のクラスター磁気八極子偏極の平行と反平行状態を示す。(b) 室温において測定したMn3Sn/トンネル障壁層(MgO)/Mn3SnのMTJ素子における磁気抵抗効果。図中のオレンジ色の矢印は2つのMn3Sn層におけるクラスター磁気八極子偏極の方向を示している。反平行状態(↑↓、↓↑)は平行状態(↑↑、↓↓)よりも電気抵抗が小さくなっている。

近年の情報技術、AI、IoTの発展により、データトラフィックは指数関数的に上昇し、データ処理・伝送に必要な消費電力の削減が大きな課題になっています。また今後のクラウドやエッジコンピューティングを用いた自動運転や遠隔医療、工場の自動操業などのサービスの実現には大量のデータを高速で処理する必要があります。そのため、現状のシリコン半導体技術の性能を超える高速、かつ、低消費電力な情報処理技術の開発が求められています。このような状況の中、待機時に電力を必要としない不揮発性メモリ(注4)として、現在、商業化が進んでいるものに磁気抵抗メモリ(Magnetoresistive Random Access Memory: MRAM)(注4)があります。

MRAMは不揮発性による低消費電力のみならず、繰り返し耐性が非常に高いことからもDynamical RAM(DRAM)(注5)に取って代わる次世代のメモリとして注目されています。しかし、MRAMの動作周波数は100MHzから1GHz程度であり、Static RAM(SRAM)(注5)の置き換えにはスピードが足りません。そこで今後の情報処理と伝送のさらなる高速化を見据えて、(i) SRAMよりも高速な1THz程度での動作が可能であり、さらに (ii) 複雑な構造のSRAMよりも大幅に微細化可能なMRAMの開発が望まれていました。

THz動作特性を持つ磁性体としては反強磁性体が知られています。従って、MRAMに使われている強磁性体(注1)を反強磁性体に置き換えることにより高速化が可能となります。また、反強磁性体は磁化が無視できるほど小さいため、素子化した際に磁性層間の漏れ磁場の影響を受けない性質があります。従って、大幅な微細化も期待できます。

一方で、反強磁性体が有する、磁化がないあるいはごく小さいことによる利点は、反強磁性体への情報の書き込み及び読み出しが困難であるという課題にもなります。反強磁性体への書き込みについては、本研究グループにより強磁性体の場合と同様のスピン(注1)軌道トルクという手法を用いた新規書き込み方法が見出されています(2020年及び2022年にNature誌発表)。読み出しについてはMRAMで必須の量子トンネル磁気抵抗効果の利用が望ましいとされますが、この効果は磁化を持つ強磁性体でのみで観測されるため反強磁性体では現れないと考えられてきました。

本研究グループは、特異な磁気構造とトポロジカルな性質を持つ反強磁性体Mn3Snを用いて、世界で初めて反強磁性体において量子トンネル磁気抵抗効果の観測に成功しました。今回観測された磁気抵抗の変化は1~2%です。さらに、理論的には現在強磁性体で見られる値と同程度まで増強可能であることも明らかにしました。今後、THz帯域で駆動する超高速MRAMの開発が期待されます。

本研究成果は英国の科学誌「Nature」において、2023年1月18日付けオンライン版で公開される予定です。

理学系発表のプレスリリース

論文情報

  • 雑誌名:Nature
  • タイトル:Octupole-driven magnetoresistance in an antiferromagnetic tunnel junction
  • 著者:X. Chen+, T. Higo+, K. Tanaka+, T. Nomoto, H. Tsai, H. Idzuchi, M. Shiga, S. Sakamoto, R. Ando, H. Kosaki, T. Matsuo, D. Nishio-Hamane, R. Arita, S. Miwa & S. Nakatsuji* (+ : Equal contribution, * : Corresponding author)
  • DOI番号:10.1038/s41586-022-05463-w
  • アブストラクトURL:https://www.nature.com/articles/ s41586-022-05463-w

用語解説

(注1)反強磁性体、強磁性体、スピン、非共線反強磁性スピン構造
磁性体は「スピン」と呼ばれる電子の自転運動に起因した微小な磁石を有します。磁性体は巨視的な数のスピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示し、スピンが一様な方向にそろうことで磁石としての磁極を持つ強磁性体と、隣り合うスピンが反平行や互いを打ち消しあうように配列することで磁極を持たない反強磁性体に分類されます。また、隣り合うスピンが平行な場合を共線的と呼び、そうでない場合は非共線的と呼びます。今回取り上げた反強磁性体Mn3Snは、図2(a)に示すようにスピンが互いに120度ずつ傾斜した方向を向いており、3つのサイトのスピンが互いに打ち消しあうように配列しています。このような構造を量子トンネル磁気抵抗効果と呼びます。
(注2)量子トンネル磁気抵抗効果、磁気トンネル接合素子
図1:MRAMの模式図。磁気トンネル接合素子は強磁性層/トンネル障壁層/強磁性層で構成される。オレンジ色の矢印は磁化(磁極)の向き、黄色部分は電極を示す。強磁性層を反強磁性体に置き換えることにより、動作周波数の向上と微細化を見込める。
電極として金属磁性体を用い、また、この電極がトンネル障壁層である絶縁体を挟む構造を有する接合素子のことを磁気トンネル接合素子と呼びます(図1参照)。これまで知られていた従来型の接合素子は電極として磁化を持つ強磁性体を利用していました。この磁気トンネル接合(MTJ)素子に電圧を加えたとき、量子トンネル効果によって流れる電流が両側の磁性薄膜における磁化の向きに依存して変化する現象を量子トンネル磁気抵抗効果と呼びます。この磁化が平行と反平行な状態での2値の抵抗が不揮発な1bitの情報となります。
(注3)異常ホール効果
電気を流す物質において、磁場・電流と垂直方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼びます。互いに垂直に磁場と電流を与えた際に、電子の運動が磁場により曲げられることが原因です。
強磁性体では磁極の向きに依存してホール効果が生じます。この効果を異常ホール効果と呼びます。最近では仮想磁場(波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念)を持つ特殊な反強磁性体やスピン液体でも異常ホール効果が現れることが分かっています。
(注4)不揮発性メモリ、磁気抵抗メモリ(MRAM)
既存の半導体を用いた揮発性メモリと異なり、電源を切っても記録情報を失わないメモリです。磁気抵抗メモリ(MRAM)、抵抗変化メモリ(ReRAM)、相変化メモリ(PRAM)など、データ記憶方式の異なる複数のメモリが開発されています。
本研究で着目したMRAMは磁性体におけるスピン方向を使用して情報の書き込みと読み出しを行う不揮発性メモリです。膜面に対して磁極が垂直(上下)方向に向いた垂直2値状態のときに高密度・省電力化と熱安定性の向上が期待できます。
(注5)DRAM、SRAM
DRAMはDynamic Random Access Memoryの略です。コンデンサとトランジスタを組み合わせた揮発性メモリであり、コンデンサへの電荷蓄積の有無で情報を保存します。構造が単純で安価に大容量化が可能なため、現在のコンピュータにメインメモリとして広く用いられています。電荷は時間経過とともに失われるため、定期的に再書き込みを行う必要があります。
SRAMはStatic Random Access Memoryの略です。DRAM同様に半導体メモリの一種であり、トランジスタの組み合わせにより構成されます。高速動作を得意としますが、複数のトランジスタを用いるため大容量化が困難です。
いずれのメモリも電源を切ると情報が失われる揮発性メモリであり、情報処理を行っていない待機時のリフレッシュ動作やリーク電流によるエネルギー消費が深刻な問題となっています。
(公開日: 2023年01月19日)