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トポロジカル反強磁性金属の超高速スピン反転を実証 ―テラヘルツ電子デバイスの実現に道―

東京大学
東北大学
理化学研究所
科学技術振興財団

発表のポイント

  • 反強磁性金属における超高速スピン反転の観測に初めて成功
  • 反強磁性金属のスピン反転が10ピコ秒以下であることを実証
  • 読み出し/書き込み速度が実用化されている不揮発性メモリと比較して10-100倍速いテラヘルツ電子デバイスの開発に大きな一歩

発表概要:

東京大学物性研究所・トランススケール量子科学国際連携研究機構の三輪真嗣准教授、同研究所・同機構・東京大学大学院理学系研究科の中辻知教授は、同研究所の冨田崇弘特任助教、Ikhlas Muhammad大学院生、坂本祥哉助教、同研究科の肥後友也特任准教授、同研究所・同機構の大谷義近教授(理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー)、同大学大学院工学系研究科の野本拓也助教、有田亮太郎教授(理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー)、東北大学学際科学フロンティア研究所の飯浜賢志助教、同大学材料科学高等研究所の水上成美教授と共同で、物質中の電子がもつ磁石としての性質、すなわちスピンの反転速度が反強磁性金属(注1)では10ピコ秒(1000億分の1秒)と極めて速いことを実証しました。

ナノサイズの磁石を利用するエレクトロニクス技術をスピントロニクス(注2)と呼びます。スピンを電荷とともに利用することで、これまでの技術では実現できなかった新しい機能を持つ電子デバイスの創出が期待されています。代表的なデバイスとしては超高密度ハードディスクドライブ用磁気ヘッドや不揮発性メモリMRAMがあります。これまでスピントロニクスでは磁石材料として強磁性金属が用いられました。一方で反強磁性金属は強磁性金属と比べてスピンの反転速度が10~100倍速いピコ秒台と予想され、新たな電子デバイス材料として注目されています。しかし、反強磁性金属におけるスピンの動きを時間軸で観測した例はなく超高速性は予測に過ぎませんでした。本研究ではトポロジカル反強磁性金属(注3)と呼ばれる特殊なマンガン合金を用いてスピンの動きを実時間で捉えることに成功し、その反転速度が10ピコ秒以下と超高速であることを実証しました。これは実用化されているMRAMに比べて10-100倍程度速く読み書きができることに相当し、本材料を用いた電子デバイスを作製すれば、超高速動作が可能になります。

本研究成果は国際科学雑誌「Small Science」において、2021年4月15日付オンライン版に公開されました。

全文PDF

①研究の背景

IT機器の低消費電力化は社会生活を豊かにしつつ地球環境を維持する上で極めて重要な課題です。エレクトロニクス分野でこれを実現するキーテクノロジーの例として情報維持に電力を必要としない不揮発性メモリ(注4)があります。スピントロニクス分野では、磁石の磁極(N極とS極)が有する不揮発性を利用したメモリであるMRAMの開発が進められており、大容量性・高速性・高い耐繰り返し動作性を満たし得る唯一の不揮発性メモリとして期待されています。現状はMRAMのセルとして鉄(Fe)やコバルト(Co)等の強磁性金属が使用されており情報の書き込み速度、すなわちN極からS極へと反転させるのに1ナノ秒程度(1ナノ秒は10億分の1秒)かかります。さらなる高速化を実現するために本研究チームは反強磁性金属に着目しました。特に磁極を持たない反強磁性体でありながら強磁性体の磁極と類似の性質である拡張八極子偏極(注3)を有する特殊な反強磁性体であるトポロジカル反強磁性金属Mn3Sn(図1)の研究に注力しました。反強磁性金属は強磁性金属と比べてスピンの反転速度が100~1000倍速いピコ秒台であると予想され、新たなMRAM材料として注目されています。しかし、反強磁性金属が反転する様子を観測した例はなく、超高速性は予測に過ぎませんでした。

fig1

図1 トポロジカル反強磁性金属Mn3Snのスピン(左)及び結晶構造(右)
②研究内容

一般に、一定間隔で瞬間的に点灯する光等を用いて高速に動く対象物の変化をコマ送りで検出する手法をストロボスコープ法と呼びます。本研究ではこのストロボスコープ法により、図2aに示す測定系を用いてパルス幅が0.1ピコ秒程度(1ピコ秒は1兆分の1秒)のごく短いレーザーパルス光を用いてMn3Snにおけるスピンの動きを検出しました。この手法は従来強磁性金属のスピンの動きを検出するために用いられましたが、反強磁性金属へは適用できないと考えられていました。しかし、本研究ではトポロジカル反強磁性金属Mn3Snの拡張八極子偏極を利用すれば本手法が反強磁性金属にも適用可能である点に着目しました。図2bと2cが主な実験結果です。縦軸の信号強度の振動がスピンの動き(歳差運動)を示します。本データはいわゆるストロボスコープ法によるスピンの動きの検出であり、横軸の遅延時間は励起パルス光をあててから検出パルス光を当てるまでの時間差です。まず図2bからは1ピコ秒程度の速い周期で振動が見えます。このモードIは隣接した個々のスピンが反対方向に運動する反強磁性体特有の内部振動モードであり、交換相互作用というエネルギーのおかげで振動周期が速くなります。次に図2cからは2数十ピコ秒の比較的遅い振動が非常に速く減衰する様子がわかります。このモードIIは個々のスピンが全て同じ方向に運動する強磁性体と類似した振動モードであり、トポロジカル反強磁性金属における拡張八極子の振動モードです。

fig2

図2 a:ストロボスコープ法による測定系概略。励起パルス光に対して遅延時間を設けて検出パルス光を入射し、トポロジカル反強磁性金属Mn3Snにおけるスピンの動きを検出します。 b:隣接した個々のスピンが互いに反対方向に運動するモードIの観測結果。1ピコ秒程度の速い周期で振動が見えます。 c:個々のスピンが全て同じ方向に運動する強磁性体と類似したモードIIの観測結果。この振動モードがトポロジカル反強磁性における拡張八極子の振動モードに対応します。数十ピコ秒の比較的遅い振動が非常に速く減衰する様子がわかります。この超高速減衰がトポロジカル反強磁性金属Mn3Snにおいて超高速スピン反転が可能であることを示しています。

図2の実験結果から、本研究において見出された点を図3にまとめます。まず図2cからトポロジカル反強磁性金属において強磁性体の磁極と同じはたらきをする拡張八極子偏極の減衰が非常に速いことがわかります。この減衰定数10ピコ秒以下の超高速減衰は、図2bで示された高速スピン振動の源である交換相互作用のおかげでスピン運動の摩擦に相当する磁気ダンピングが約1と非常に大きいことに由来します。このMn3Snにおける拡張八極子偏極の磁気ダンピング定数はこれまでに報告された磁性体の磁気ダンピングの中で最高値です。また、本研究により実験的に得たMn3Snのスピン振動を記述する物理パラメータ群を用いると、拡張八極子偏極で作られたドメイン壁が10 km/sと超高速で動き得ることもわかりました。これらはMn3Snを用いてメモリ等の電子デバイスを作製すればテラヘルツ領域の超高速動作が可能であることを意味します。

fig3

図3 本研究からわかったこと
③ 社会的意義・今後の予定

本研究によりトポロジカル反強磁性金属を用いた電子デバイスが超高速動作することが実証されました。これにより実用化されているMRAMより、10-100倍程度速く読み書きができる超高速動作が可能なテラヘルツ級の電子デバイスの作製が可能になります。なお、本研究で対象材料としたトポロジカル反強磁性金属Mn3Snは強磁性金属同様にスピン軌道トルクを用いて電気的にスピン方向を制御できることがわかっています(Nature 580, 608–613(2020))。本研究ではレーザーパルス光により超高速性を示しましたが、今後は磁気メモリをはじめとした電子デバイスにおいて電気的な超高速動作を実証予定です。

本研究はJST-CREST (JPMJCR18T3)、科学研究費補助金(JP18H03880)等の一環として行われました。

発表雑誌:

  • 雑誌名:Small Science
  • 論文タイトル:Giant effective damping of octupole oscillation in an antiferromagnetic Weyl semimetal
  • 著者:Shinji Miwa*, Satoshi Iihama, Takuya Nomoto*, Takahiro Tomita, Tomoya Higo, Muhammad Ikhlas, Shoya Sakamoto, YoshiChika Otani, Shigemi Mizukami, Ryotaro Arita, and Satoru Nakatsuji
  • DOI番号:10.1002/smsc.202000062
  • アブストラクトURL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/smsc.202000062

用語解説

(注1)反強磁性金属、強磁性金属
反強磁性及び強磁性を示す金属材料のことです。物質中の原子ひとつひとつは磁石としての性質、すなわちスピンを持ちます。反強磁性体では個々の原子磁石のスピンが一方向にはそろわず、全体として正味のスピン(磁極)がほぼゼロになります。強磁性体では個々の原子磁石のスピンが一方向にそろい、正味のスピンを有します。一般に磁石と呼ばれるものの多くが強磁性体です。
term1
注2)スピントロニクス
ナノ磁石を利用するエレクトロニクス技術。電子が持つ磁石としての性質である「スピン」を電荷とともに利用することで、これまでの技術では実現できなかった新しい機能を持つ電子デバイスの創出を目指しています。代表的な電子デバイスとしては超高密度ハードディスクドライブ用磁気ヘッドや不揮発性磁気メモリMRAMがあります。
(注3)トポロジカル反強磁性金属、拡張八極子偏極
本研究で用いた反強磁性金属Mn3Snでは三角形の格子上にMn原子が並び、原子磁石のそれぞれの磁極は120°ずつ傾きます。個々の原子磁石のスピンを足し合わせた正味のスピンは通常の反強磁性体同様にほぼゼロですが、このスピン構造を巨視的に捉えると拡張八極子偏極を定義できます。
Mn3Snはこの拡張八極子偏極の方向に対応した非自明な電子状態を運動量空間に有するトポロジカル反強磁性金属として知られています。このことによりトポロジカル反強磁性金属Mn3Snは磁極がない反強磁性体でありながら、拡張八極子偏極が強磁性体における磁極同様の性質を持ち、電気や磁気等の外場に対して強磁性体同様の応答を示します。
term3
(注4)不揮発性メモリ
電源を切っても記憶された情報が失われないコンピュータ用メモリ。磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)、抵抗変化メモリ(ReRAM)、相変化型メモリ(PRAM)など、データ記憶方式の異なる複数種類のメモリが開発されています。既存の半導体メモリー(DRAM)は揮発性メモリであり、電荷が情報を担うため電源を切ると情報が失われることから情報の保持に待機電力を要します。
(公開日: 2021年04月15日)