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強靭で回復性に優れた「自己補強ゲル」の開発と そのメカニズムの解明 ー人工靭帯・関節の材料として期待ー

2021年6月、東京大学物性研究所の眞弓皓一准教授らのグループが、引っ張ると頑丈になる「自己補強ゲル」を開発したと発表した。このゲルは“強靭(きょうじん)”なだけでなく、力を加えて変形してもその力を取り除けばすぐに元に戻る“即時回復性”を示すことから、繰り返し大きな負荷のかかる靭帯や関節など運動器に応用できるのではないかと期待が高まっている。この優れたゲル開発の裏には、その性質が何に由来しているのかを地道に追究する物理学者の存在がある。

図1:開発した「自己補強ゲル」。強靭性と即時回復性を兼ね備えている。

今や脆い(もろい)材料ではない、日本で生まれた「高強度ゲル」

ゲルとは、長いひも状の高分子が連結してできた網目構造(ネットワーク)の中に、水などの溶媒が閉じ込められた柔らかい材料のことだ。身近な例では、ゼリーやこんにゃくなどの食べ物があるが、人体も約60%を占める水がタンパク質のつくるネットワークに保持されていると考えれば、ゲルだといえる。そのため、水を溶媒とするハイドロゲルは生体適合性が高く、人体に埋め込むことができるのではないかと期待されている。しかし、その脆さゆえに、なかなか実用化に至っていなかった。

「誰もが“ゲルは脆いのが当たり前だ”と思っていて、強くしようとは考えたことがありませんでした。それが2000年代に入ると変わったのです」と話すのは、物性研の眞弓皓一准教授。きっかけは、北海道大学のグループが発表した“強靭なゲル”だったという。生体適合性を高めようと行っていた実験の中で、偶然につくられたそのゲルは、今では「ダブルネットワークゲル」と呼ばれ、強さの理由もわかっている。このゲルは内部に弱いネットワークと、強いネットワークを共存させている。そこに大きな力が加わると、弱いネットワークが切れて力を逃がし(犠牲破壊という)、強いネットワークがゲルの形状を維持する。この方法によって、かつては考えられなかった高強度のゲルが生まれたのだ。

こうして「高強度ゲル」という新しい分野が日本で誕生し、世界中で研究されるようになった。

性能向上をめざした「環動ゲル」とは

今回、どのようにゲル開発が進められたのだろうか。「ライバルは、非常に強度の高いダブルネットワークゲルでした。その強度に匹敵し、なおかつダブルネットワークゲルの『変形を繰り返すと犠牲破壊が進み、材料が徐々に強度を失ってしまい回復しない』という問題を解決したゲルでなければなりませんでした」。この問題を解決するには、例えば、犠牲破壊で切れた結合を再結合させればよく、これまでに世界中のいろいろなグループから、イオン結合や水素結合など再結合が可能な結合をゲルの内部につくる方法が提案されている。

そこで眞弓准教授は違った提案をしようと、新領域創成科学研究科の伊藤教授が2001年に開発した「環動ゲル」で望むようなゲルをめざすことにした。環動ゲルとは、ポリロタキサンを架橋してネットワークをつくり、溶媒を閉じ込めたものだ。ポリロタキサンは、長いひも状の高分子であるポリエチレングリコール(PEG)を、リング状のシクロデキストリン(CD)に通して、それが抜けないように両端にアダマンタンを結合させた分子のことをいう。環動ゲルは、CDの部分で架橋されており、架橋点がスライドする。これにより犠牲破壊を起こさずに、かかった力を逃がすことができる。

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図2:ポリロタキサン(左)とそれを架橋してつくった環動ゲル(右)。環動架橋点がスライドして、力を逃がす。

強靭で即時回復するゲルの開発、CDの数とゲル濃度が鍵

「ダブルネットワークゲルは普通のゲルの100倍ほどまで強くなりますが、この研究を始めた頃の環動ゲルは10倍がやっとだろうと考えていました。ところが、実際は10倍の強度も出ませんでした」。そこで、環動ゲルの材料としてのポテンシャルを最大限に発揮させようと、最適化を図った。PEGの上をCDがスライドできる距離が長いほど、力を逃がす能力は上がる。しかし、当初、PEGには数多くのCDが載っていて、十分にスライドできないことがわかった。「CDがPEGを通しやすいという性質をもっている上に、CDどうしが水酸基でつながっているので、“我も我も”という感じで、PEGを通してしまうのです」。そこで、CDの数を減らす方法が伊藤研究室で検討された。その結果、CDの数を減らすことができるようになり、その環動ゲルの強度を測定すると、最適化が成功して10倍の強度が出せるようになっていた。

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図3:従来の環動ゲル(左)と新規環動ゲル(自己補強ゲル)。シクロデキストリンの数を減らすのに成功。

「これで限界だなと思っていたところ、実験を担当していた学生が、10%程度だった環動ゲルの濃度を20%、30%と上げたのです。どうしてそんなことをしたのかはわかりませんが、その結果、ゲルが非常に強くなりました。しかし、ダブルネットワークゲルのコンセプトでも、環動ゲルのコンセプトでも強度が上がったことの説明ができません」。そこで、X線でその構造解析をすることにした。すると、伸ばされた環動ゲルの内部でPEGの鎖が結晶化していることがわかった。この伸長誘起結晶化は、天然ゴムなどで起こり、材料の強靭化につながることが知られている。環動ゲルのような高分子ゲルでも結晶化が起こることは、今回はじめて報告されることになった。

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図4:新規環動ゲルの高強度化のメカニズム「伸長誘起結晶」

「ゲル濃度を上げたことで、PEGが十分に接近できるようになり、結晶化が起こりました。その結果、ダブルネットワークゲルに相当する高い強靭性を示すようになりました。また、伸長誘起結晶化は犠牲破壊とは異なって可逆的なので、即時回復性を備えたゲルになったのです」と開発したゲルの2つの大きな特徴を、眞弓准教授は説明する。こうして、長年求められてきた性能と特徴を備えたゲルの開発に成功し、今、生体・医療材料への応用に向けた研究が急ピッチで進められている。
 一方、眞弓准教授は、「あくまでも現象や物性のメカニズムを面白いと感じている私としては、“伸長誘起結晶”を高強度ゲルの新しいコンセプトとして示せたことが非常に嬉しいのです」と物理学者の顔を覗かせる。そして「環動ゲルは、やっぱりすごい材料ですね」と一言。学生時代から向き合ってきた材料だが、まだまだ興味は尽きないようだ。

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図5:新規環動ゲル。さまざまな方向から力がかかっても、亀裂が入っても強度は維持される。

取材・執筆:サイテック・コミュニケーションズ 池田亜希子
写真撮影:相澤正。

分子的メカニズムの解明にこだわりをもって

高強度ゲルの発見の興奮が冷めやらぬ2006年、大学4年生の眞弓さんは伊藤研究室で、「環動ゲル」の研究をすることになった。

「物理の出身の私は、ものづくりよりも物理を理解したいと思っていました。ですから優れた環動ゲルをつくりたいというより、CDが本当にスライドしているのかどうか見てみたいと思いました」。当時は、新しい材料として高強度ゲルのメカニズムを明らかにしようという気運も高まっており、眞弓さんも中性子線を使って環動ゲルの観察をすることになった。しかし、スライドする様子を見ることはできなかった。

「分子を見ることにこだわりすぎたと反省して、物性から分子に何が起こっているかを類推するアプローチも重要だと考えるようになりました。フランスでのポスドク時代には、ゲルの破壊を調べて、それを解釈する破壊力学を基礎から学びました」。2年間ゲルをつくっては引きちぎることを繰り返して、そのデータから分子的な仮説を立て、実験を表現できるモデル(数式)の開発に至った。日本に戻ってからは、再び、環動ゲルの性能に関する研究に戻り、今回の「自己補強ゲル」の開発におけるメカニズムの解明や理論で貢献した。

「現象や物性を分子的に理解しないと、今後のよりよい材料の開発につながりませんから…。材料のもっているポテンシャルや、長所や短所を知っておくことは非常に重要です」。

こうしてさまざまな成果を出した今でも、「いつかはCDがスライドする様子を見たいと思っている」のだと話す姿は、大学生の頃と変わらないのだろう。

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(公開日: 2023年01月17日)