反強磁性体の表面に、磁石の性質を帯びた奇妙な電子が出現 ― スピンの向きが100%揃った電流の実現へ ―
東京大学
大阪大学
発表のポイント
- 磁石の性質を持つ特殊な電子「磁性ディラック電子」を初めて直接観測することに成功しました。
- 物質自身の表面磁性が、150 テスラ級の巨大磁場に相当する効果をディラック電子に与え、エネルギーギャップを形成することを実証しました。
- この電子状態では、外部磁場がなくても、スピンの向きを揃えた電子が一方向に流れる「完全スピン偏極電流」の実現が期待されます。本成果は、電荷とスピンの情報を同時に利用する次世代スピントロニクスへの道を拓くものです。
概要
東京大学物性研究所の福島優斗大学院生(研究当時)、森亮助教(研究当時)、近藤猛准教授らの研究グループは、同大学物性研究所の鈴木博之高度学術専門職員、大阪大学大学院理学研究科の越智正之准教授、東京大学物性研究所の木下雄斗特任助教、徳永将史教授らのグループ、同大学物性研究所の齋藤開助教、中島多朗准教授らのグループ、東京大学大学院工学系研究科の森本高裕准教授(研究当時)らとの共同研究により、理論的に予測されていた磁石の性質を持つディラック電子(磁性ディラック電子(注1))を世界で初めて直接観測することに成功しました。この成果は、スピンの向きが100%揃った電流(完全スピン偏極電流(注2))の実現を裏付ける電子状態を実証したものです。
物質中の電子を自在に制御する技術は、半導体や磁気記録の発展を支え、現代社会の基盤となっています。電子には、「電荷」と「スピン」という二つの重要な性質があります。電荷が流れることで電流となり情報を運び、スピンの向きが揃って固定されることで磁石となり情報を記憶します。しかし、普通の金属では電子の動きとスピンの向きが互いに無関係であるため、スピンの向きが100%揃った電流(完全スピン偏極電流)を流すことはできません(図1)。

強い磁場をかけた2次元電子系では、電子がローレンツ力を受けることで、試料の端に沿って一方向に流れるエッジ電流が生じます。しかし、この電流を担う電子のスピンの向きは揃っていません。では、すべての電子のスピンが同じ向きに揃った「完全スピン偏極電流」を生み出すことはできるのでしょうか? 本研究では、その実現につながる新たな電子状態を明らかにしました。
本研究では、このような電流の実現が理論的に予想されていた「磁性トポロジカル絶縁体」に着目しました。電子一つ一つの「運動する方向」と「スピンの向き」の関係を観測し、電流の向きによってスピンの向きが一意に決まる完全スピン偏極電流の実現を裏付ける電子状態を初めて明らかにしました。このような電流では、通常の電流が運ぶ電荷の情報に加えて、スピンの情報も同時に伝えることができるため、従来にはない情報伝達技術や新しいスピントロニクス技術への応用が期待されます。
本成果は、Nature Communications誌に英国夏時間9月15日付で掲載されました。
全文PDF研究の背景
電子のスピンを利用して情報を伝える「スピントロニクス」では、電荷を伴わずにスピンだけを運ぶ「純スピン流(注3)」が盛んに研究されてきました。一般的な「トポロジカル絶縁体(注4)」では、その表面に、純スピン流が自然に流れているため(図2左)、活発に研究されてきました。しかし、純スピン流は通常の電流のように自在に制御することが難しく、実用化に向けた課題の一つとなっています。一方、通常の電流は半導体技術によって高度に制御できることから、電流そのものにスピンの情報を持たせることができれば、より実用的なスピントロニクス技術につながると期待されています。
通常の金属に強い磁場をかけると、電子はローレンツ力によって円運動し、試料の端に沿って電流が流れることが知られています(図1左)。しかし、この電流を流れる電子のスピンの向きはばらばらであるため、スピンの向きが100%揃った電流(完全スピン偏極電流)にはなりません。
一方、トポロジカル絶縁体は、内部は電気を通さない絶縁体でありながら、表面には「ディラック電子」と呼ばれる特殊な電子が存在する物質です(図2左)。ディラック電子は、電子の進む方向とスピンの向きが一対一に対応する「スピン・運動量ロック」という特徴を持っています。しかし、アップ・スピンとダウン・スピンを持つ電子がそれぞれ逆向きに流れるため、電流はキャンセルされます(図2左)。
理論的には、ディラック電子に強い磁場を加えてエネルギーギャップ(注5)を開くと、電流が一方向にしか流れない状態が実現し、100%スピン偏極した電流が得られることが知られています(図2右上)。しかし、そのためには100 テスラ級の極めて強い磁場が必要と見積もられており、実用化は困難です。そこで、外部磁場の代わりに物質本来の磁石の性質(磁性)を利用してディラック電子にエネルギーギャップを開き、同じ状態を外部磁場なしで実現することが長年の研究目標となってきました(図2右下)。

トポロジカル絶縁体の表面には、電子の運動方向とスピンの向きが結びついたディラック電子が流れます。しかし、アップ・スピンとダウン・スピンを持つ電子がそれぞれ逆向きに流れるため、電流はキャンセルされゼロになります。スピンの流れ(スピン流)と電荷の流れ(電流)がキャンセルされずに共存する「完全スピン偏極電流」は、トポロジカル絶縁体の表面のディラック電子にギャップを開くことで、そのエッジに1次元的な流れとして実現することが期待されます。従来は、100テスラ級の強い外部磁場が必要でした。一方、反強磁性トポロジカル絶縁体では、物質自身がもつ磁性によってディラック電子にギャップを開くことができ、外部磁場を必要としない完全スピン偏極電流の実現が期待されます。
研究内容
本研究では、強力なネオジム磁石の原料として知られるネオジム元素を含むネオジム・ビスマス(NdBi)に着目しました(図3左上)。NdBiは、「反強磁性体」と「トポロジカル絶縁体」という二つの性質を併せ持つ稀有な物質であり、理論的には磁性ディラック電子の実現が期待されていました。反強磁性体では、隣り合う磁石が互いに逆向きに並ぶため(図3左下)、物質全体としては磁力が打ち消し合い、外から見ると磁石のようには振る舞いません。しかし、トポロジカル絶縁体のディラック電子は結晶の最表面にのみ存在するため、ディラック電子にとっては最表面の磁性が決定的な役割を果たします。結晶内部では打ち消し合っている磁性も、最表面では打ち消し合わずに残ることから(図3左下)、この表面磁性がディラック電子にどれほど大きな影響を及ぼすのかは、長年の未解決問題でした。
理論的には、この表面磁性によって、人間が人工的に作り出せる外部磁場をはるかに超える150 テスラ級の巨大磁場に相当する効果が表面ディラック電子に働くと予測されていました(図3中)。もしこの予測が正しければ、表面ディラック電子を特徴づける2本のバンドが交差する点にエネルギーギャップが生じ、完全スピン偏極電流を実現する電子状態が形成されると期待されます。しかし、そのような電子状態が実際に実現しているかは明らかになっていませんでした。
そこで本研究では、角度分解光電子分光(ARPES(注6))を用いてNdBiの電子状態を詳細に観測しました。その結果、常磁性相の高温では、NdBiの表面に、2本のバンドが交差するディラック電子を観測しました(図3右上)。次に試料を冷却し反強磁性相にすると、バンドが交差する点に、エネルギーギャップが開くことを観測しました(図3右下)。そのエネルギーギャップの大きさが理論計算による予測とほぼ一致していたことから、表面ディラック電子が理論計算の予測どおり、150 テスラ(注7)級の巨大磁場に相当する効果を受けていることを実証しました。これは、表面のエッジに1次元的な完全スピン偏極電流を生み出すために必要な電子状態が実際に形成されていることを示す結果です。

本研究では、反強磁性トポロジカル絶縁体NdBiに着目しました。NdBiは、常磁性相では磁気秩序を持ちませんが、冷却して反強磁性相になると、表面では、上向きと下向きの磁性がキャンセルし合わずに残った磁石の性質が現れます。理論計算から、この表面磁性によって、それまでギャップのなかったディラック電子にギャップが開くことが予測されます。実際にARPES測定を行ったところ、反強磁性相の表面でディラック電子にギャップが開くことを観測しました。これは、表面のエッジに1次元的な完全スピン偏極電流を生み出すために必要な電子状態が実現していることを示しています。
今後の展望
本研究では、理論的に予測されていた磁性ディラック電子を世界で初めて直接観測するとともに、完全スピン偏極電流を実現するための電子状態を初めて実証しました。今後は、この電子状態を利用した完全スピン偏極電流の電気伝導を実証し、外部磁場を必要としないスピントロニクス素子の開発へと研究を展開していきます。
完全スピン偏極電流では、通常の電流が運ぶ電荷の情報に加えて、電子のスピン情報も同時に利用できるようになります。さらに、トポロジカルな性質に由来して、あたかも超伝導電流が抵抗なく流れるように、散乱の影響を受けにくい1次元的な電流となることが期待されます。そのため、情報を効率よく伝える新たな電流としても注目されます。
こうした特長から、本研究で得られた知見は、新たな磁性トポロジカル材料の設計指針を与えるとともに、電流の制御技術とスピン機能を融合した新しい情報伝達技術、次世代スピントロニクス、さらには超低消費電力情報デバイスの実現につながることが期待されます。
発表者
- 東京大学
- 物性研究所
- 附属極限コヒーレント光科学研究センター
- 森 亮 助教(研究当時)
- 近藤 猛 准教授(兼:東京大学トランススケール量子科学国際連携研究機構 准教授)
- 附属国際超強磁場科学研究施設
- 木下 雄斗 特任助教
- 徳永 将史 教授(兼:東京大学トランススケール量子科学国際連携研究機構 教授)
- 附属中性子科学研究施設
- 齋藤 開 助教
- 中島 多朗 准教授
- 附属極限コヒーレント光科学研究センター
- 大学院理学系研究科 物理学専攻
- 福島 優斗 大学院生(博士課程:研究当時)
- リサーチアドミニストレーター推進室
- 鈴木 博之 高度学術専門職員(兼:東京大学物性研究所)
- 大学院工学系研究科
- 森本 高裕 准教授(研究当時)
- 物性研究所
- 大阪大学
- 大学院理学研究科 物理学専攻
- 越智 正之 准教授(兼:大阪大学大学院理学研究科附属フォアフロント研究センター 准教授)
- 大学院理学研究科 物理学専攻
論文情報
- 雑誌名:Nature Communications
- 題 名:Direct observation of a spin-polarized surface Dirac gap in the antiferromagnetic topological insulator NdBi
- 著者名:Yuto Fukushima, Hiroyuki S. Suzuki, Masayuki Ochi, Takuma Nishida, Toshiya Ikenobe, Hiraku Saito, Yuto Kinoshita, Kaishu Kawaguchi, Hiroaki Tanaka, Ayumi Harasawa, Takushi Iimori, Koichiro Yaji, Masashi Tokunaga, Taro Nakajima, Kiyohisa Tanaka, Takahiro Morimoto, Ryo Mori, Takeshi Kondo*(*責任著者)
- DOI: 10.1038/s41467-026-77571-4
研究助成
本研究は、日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP25H01250、JP25H01246、JP26H02014)、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP、課題番号 JPMXS0118068681)、旭硝子財団、村田学術振興財団、三菱財団、東レ科学振興会、東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)-東京大学未来社会協創推進本部(UTokyo FSI)研究助成プログラム、および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業「さきがけ」(課題番号 JPMJPR24LA)の支援を受けて実施しました。
用語解説
- (注1)磁性ディラック電子
- トポロジカル絶縁体の表面に現れる「ディラック電子」に、磁石の性質(磁性)が加わった特殊な電子です。通常のディラック電子では、エネルギーと運動量の関係を表す2本のバンドが一点で交差しますが、磁性の影響を受けると交差点にエネルギーギャップが開きます。このような状態では、電子の運動方向とスピンの向きが結びついた特徴を利用して、表面のエッジに、スピンの向きが揃った1次元的な電流の実現が期待されます。
- (注2)完全スピン偏極電流
- 電流を担う電子のスピンの向きが100%同じ方向に揃った電流です。通常の電流では、異なる向きのスピンを持つ電子が混在しています。トポロジカル絶縁体の表面では、電子の進む方向によってスピンの向きが決まりますが、反対方向に進む電子は反対向きのスピンを持つため、電圧をかけて電流を流しても、スピンが100%偏極した電流にはなりません。今回着目する完全スピン偏極電流では、電荷の流れとともにスピンの情報も運ぶことができるため、電子の電荷とスピンを同時に利用する次世代のスピントロニクスへの応用が期待されています。
- (注3)純スピン流
- 電荷の流れ(電流)を伴わず、電子のスピンだけが運ばれる状態を指します。例えば、アップ・スピンを持つ電子とダウン・スピンを持つ電子が互いに逆方向へ同じ量だけ流れると、電荷の流れは打ち消し合って電流はゼロになりますが、スピンの流れは残ります。このような状態を純スピン流と呼び、トポロジカル絶縁体の表面などで実現することができます。
- (注4)トポロジカル絶縁体
- 物質の内部は電気を通さない絶縁体でありながら、表面には電気を流す特殊な電子状態を持つ物質です。その表面には「ディラック電子」と呼ばれる電子が存在し、電子の運動方向とスピンの向きが一対一に結びつく「スピン・運動量ロック」という特徴を持ちます。この特殊な表面電子状態は、物質のトポロジカルな性質によって生じます。
- (注5)エネルギーギャップ
- 電子が存在できないエネルギー領域のことを指します。通常のトポロジカル絶縁体の表面では、ディラック電子を特徴づける2本のバンドが一点で交差しており、エネルギーギャップはありません。本研究では、NdBiを反強磁性相まで冷却すると、この交差点に約17 meV(ミリエレクトロンボルト)のエネルギーギャップが開くことを観測しました。このギャップは、表面の磁性がディラック電子に作用したことを示す重要な証拠です。
- (注6)角度分解光電子分光(ARPES)
- 物質に光を照射すると、電子(光電子)が試料から真空中へ放出されます。その光電子の運動エネルギーと放出角度を測定することで、物質中の電子のエネルギーと運動量の関係(電子構造、またはバンド構造)を直接観測できる実験手法です。本研究では、この手法を用いてNdBi表面のディラック電子を観測し、反強磁性相でエネルギーギャップが開くことを明らかにしました。これは、完全スピン偏極電流の実現に必要な電子状態です。
- (注7)150テスラ
- テスラ(T)は磁場の強さを表す単位です。150テスラの超強磁場を人工的に発生させるには、大型の専用施設が必要で、それでも発生できるのは一瞬で、わずか数マイクロ秒程度です。
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