機能性反強磁性体ナノ細線の磁気イメージング ―簡易的・高空間分解能の新手法を用いて―
東京大学
理化学研究所
科学技術振興機構(JST)
発表のポイント
- 注目物質である反強磁性ワイル半金属Mn3Snの磁気分極の空間分布を、微小な針から試料に熱流を注入する超簡易的な新手法で可視化することに成功しました。
- 従来の磁気イメージング法には測定対象に制約があり、Mn3Snでは、薄膜やマイクロ細線といった大きさでしか測定を行えませんでした。今回、世界で初めてナノ細線の磁気像観察に成功し、微細化されたMn3Sn内部の磁気的な振る舞いが明らかになりました。
- 本研究で用いた手法はさまざまな磁性トポロジカル物質に適用可能で、今後これらの材料を使った次世代素子の実現に向けて、新たな視点から研究を行うことが可能になります。
概要
東京大学物性研究所の一色弘成 助教、ニコ ブダイ 大学院生、小林鮎子 大学院生(研究当時)、上杉良太 大学院生(研究当時)、大谷義近 教授(理化学研究所創発物性科学研究センターチームリーダー兼任)、東京大学大学院理学系研究科の肥後友也 特任准教授、中辻知 教授による研究グループは、超簡易的な新手法で反強磁性ワイル半金属(注1)の磁気分極を可視化することに成功しました。同グループが2023年に開発した、微小な針から試料に熱流を注入し局所的な磁気熱電効果(注2)の応答を検出して磁気像を得る方法(図1)を用いて、Mn3Snのナノ細線(ナノは10億分の1)に対して磁気イメージングを行いました。従来の方法では調べることができなかったナノスケール試料の磁気イメージングを実現したことで、微小サイズに加工されたMn3Snの磁気的振る舞いを明らかにしました(図2)。超高速・超省電力な情報通信・演算や超高感度なセンシングを実現する次世代スピントロニクス素子の開発には、微細加工された物質の磁気的振る舞いの理解は不可欠であり、今後の研究開発への貢献が見込まれます。
本成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」5月23日付(現地時間)のオンライン版に掲載されました。
発表内容
研究の背景
反強磁性ワイル半金属Mn3Snは、反強磁性体であるにもかかわらず、その磁気的な状態に応じて電流を垂直方向に曲げる特異な性質を持っているため、次世代スピントロニクス素子の材料として大いに期待される物質です。この性質を研究する上で欠かすことができないのが、磁気分極の空間分布を可視化する磁気イメージングです。しかし、Mn3Snに適用可能な従来の方法には、低い空間分解能や測定原理に由来する制約などのさまざまな問題があり、微細加工された試料の測定が困難でした。そこで、磁気イメージングのために、Mn3Snの磁気分極と注入された熱流の外積方向に電場が生成される磁気熱電効果(図1左)に着目し、研究グループが2023年に開発した手法(関連情報参照)を適用しました。微小な針から試料に局所的な熱流を注入し、磁気熱電効果の応答を検出します(図1右)。局所的な磁気熱電効果で生じる電圧の符号を調べれば、局所的な磁気分極の方向が分かるため、超簡易的に磁気イメージングを行うことができます。
研究の内容
今回はこの手法を、多結晶Mn3Snナノ細線に適用しました。図2にMn3Snナノ細線の凹凸像(トポグラフィー像)と磁場印加前後の磁気像を示します。磁気像の中の赤・青は、それぞれ、磁気分極の向きが上向き・下向きであることを示しています。磁場印加前の磁気像(図2中段)では、数百ナノメートル程度の大きさの上向き(赤)・下向き(青)の磁気分極を示す領域がランダムに表れています。磁気的応答を調べるため、上向きに外部磁場を印加した後に外部磁場を取り去って、同じ領域の磁気像を得ました(図2下段)。磁場印加後は、全体的に上向き(赤)の領域が広がり、下向き(青)の領域が完全に消えたことがわかります。この測定により:①外部磁場を取り去った後でも、Mn3Snの磁気分極がナノ細線の幅方向(短手方向)に残留する、②磁気熱電信号を生成しない結晶粒が存在することがわかりました。①は、反強磁性体で予想されるように形状磁気異方性がないことを示しており、②は多結晶試料のこの領域の磁気分極が紙面垂直方向を向いていることを示唆しています。このように、本研究により、これまでは欠落していた貴重な情報を直感的な形で得ることができました。
今後の展望
材料をナノスケールまで微細加工することは実用的な素子を作るために必要不可欠です。現在、JST未来社会創造事業で開発を進めているスピントロニクス光電融合デバイスの実現には、超高速動作が可能な磁性体が必要であり、Mn3Sn細線を用いた研究が進められています。本計測技術は、磁性体の磁壁の測定をナノスケールで可視化しうる技術であり、Mn3Sn細線における不揮発な情報に対応した磁気分極の空間分布を高精度に評価することが可能となります。さらに本研究で用いた磁気イメージング手法は、さまざまな磁性トポロジカル物質に適用可能であり、上記光電融合デバイスのほか、超高速・超省電力なメモリや高感度な物理センサなどの次世代素子開発の研究に大いに役立つことが期待されます。
関連情報
「熱流注入で磁気を観る-簡易的・高分解能な磁気イメージング新手法-」(2023/03/02)
発表者・研究者等情報
- 東京大学
- 物性研究所
- 一色 弘成 助教
- 大谷 義近 教授
- 兼:理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー
- 大学院新領域創成科学研究科(物性研究所)
- ニコ ブダイ 博士課程
- 小林 鮎子 研究当時:博士課程
- 上杉 良太 研究当時:博士課程
- 大学院理学系研究科
- 肥後 友也 特任准教授
- 中辻 知 教授
- 兼:東京大学物性研究所 特任教授
- 物性研究所
論文情報
- 雑誌 : Physical Review Letters
- 題名 : Observation of cluster magnetic octupole domains in antiferromagnetic Weyl semimetal Mn3Sn nanowire
- 著者 : Hironari Isshiki*, Nico Budai, Ayuko Kobayashi, Ryota Uesugi, Tomoya Higo, Satoru Nakatsuji, YoshiChika Otani
- DOI : 10.1103/PhysRevLett.132.216702
研究助成
本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 CREST(課題番号: JPMJCR18T3)、 JST 未来社会創造事業(課題番号: JPMJMI20A1)、科研費 「基盤研究(C)(課題番号: 23K04579)」、環境鉄鋼基金の支援により実施されました。
用語解説
- (注1)反強磁性ワイル半金属 :
- 反強磁性体(スピンが互いに打ち消しあうように並んでいるため、全体としては磁化がほとんどない物質)であるにも関わらず、物質内部の特異なバンド構造により、異常ホール効果(磁気分極と電流の外積方向に起電力を生じる現象)や異常ネルンスト効果(注2)を示す物質。反強磁性ワイル半金属は、漏れ磁場がほとんどなく超高速で磁気構造を反転させることができるため、次世代のスピントロニクス(スピンと電荷の両方を工学的に利用する技術分野)素子の材料として大いに注目されている。
- (注2)磁気熱電効果 :
- 磁性導体中で熱と電気を相互に変換する効果。本文中では主に、磁化と与えられた熱流の両方に直交した電場を生じる現象(異常ネルンスト効果)を指す。現在、異常ネルンスト効果を利用した、熱流センサや、熱エネルギー収穫素子の研究が広く行われている。