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カゴメ金属の特異なホール効果の起源を解明 ―移動度スペクトル解析で捉えた高移動度キャリアの役割―

東京大学
東北大学
日本原子力研究開発機構

発表のポイント

  • カゴメ(籠目)格子をもつ金属物質CsV3Sb5で観測される非単調なホール効果について、従来有力視されてきた異常ホール効果ではなく、極めて高い移動度(電子が速く動ける性質)をもつ少数のキャリア(電気を運ぶ粒子)からの寄与で説明できることを明らかにしました。
  • 本成果は、キャリアの数や種類を仮定せずに実験データを扱える「移動度スペクトル解析」を大規模フィッティング計算と組み合わせることで得られました。
  • 本研究で確立された解析手法は、複雑な電子構造をもつ物質にも広く応用できるため、今後の物性物理学や材料科学の研究において、非常に強力なツールとなることが期待されます。
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カゴメ金属における移動度スペクトル解析

概要

東京大学大学院新領域創成科学研究科の劉蘇鵬大学院生、六本木雅生大学院生(研究当時/現在:理化学研究所研究員)、石原滉大助教、橋本顕一郎准教授、芝内孝禎教授らの研究グループは、同大学物性研究所、東北大学金属材料研究所、日本原子力研究開発機構、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、仏エコール・ポリテクニークとの共同研究により、カゴメ格子(注1)と呼ばれる構造をもつ金属物質「CsV3Sb5」で観測される非単調なホール効果(注2)の起源を明らかにしました。従来この現象は、ループ状の渦電流による「異常ホール効果」と呼ばれる特殊な電子の振る舞いによるものと考えられてきました。しかし本研究により、非常に高い移動度をもつ少数キャリアが特異なホール効果に大きく関与していることが明らかになりました。この成果は、「移動度スペクトル解析(μスペクトル解析法、注3)」と大規模フィッティング計算を組み合わせることで、これまで解析が困難であった多バンド系物質(金属内に複数のキャリアが存在する物質)におけるキャリアの定量的評価が可能になったことで達成されました。この解析手法は、電子構造が複雑な物質にも広く応用できるため、今後の物性物理学や材料科学の研究において、非常に有用なツールとなることが期待されます。

本研究成果は2025年7月30日付け(現地時間)で、米国科学誌『Physical Review Letters』にオンライン掲載され、Editors’ Suggestionに選出されました。

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発表内容

カゴメ状の格子構造をもつ金属物質CsV3Sb5(図1)は、超伝導(注4)や電子密度が周期的に変化する電荷密度波(注5)、さらにループ状の渦電流が自発的に生じるループ電流秩序(注6)など、多様な量子現象が競合する量子物質として近年注目を集めています。なかでも、電荷密度波転移後に観測される非単調なホール効果の起源については活発な議論が続いており、その有力な解釈の一つとして、ループ電流秩序に伴う自発磁化による異常ホール効果が提案されていました。

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図1:カゴメ金属CsV3Sb5の結晶構造
3次元的な結晶構造(左)とバナジウム(V)からなるカゴメ格子面(右)。

本研究では、CsV3Sb5で観測される非単調なホール効果の起源を明らかにするため、外部磁場下でホール抵抗と縦抵抗(注7)を同時に測定し、詳細なデータ解析を行いました。CsV3Sb5は複数の伝導キャリアを持つ典型的な多バンド系であり、一般にこのような系ではキャリアの種類や数を仮定せずに解析することは困難です。そこで、キャリアの数や種類の仮定を必要としない「移動度スペクトル解析(μスペクトル解析法)」に着目しました。さらに、この手法を、2DMAT(注8)を用いた大規模なフィッティング計算と組み合わせることで、多バンド系におけるキャリアの情報を正確に抽出することに成功しました。その結果、電荷密度波転移後に出現する高移動度かつ少数のキャリアが非単調なホール効果に大きく寄与していることが明らかになりました(図2)。

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図2:CsV3Sb5の移動度スペクトル
電子(左)と正孔(右)に対する移動度スペクトル。横軸が移動度、縦軸が移動度に対する部分伝導率を表している。電子と正孔ともに3つのキャリアが存在する。そのうち、高移動度かつ少数のキャリア(e2, e3, h2, h3)が非単調なホール効果の起源になっていることが分かった。

さらに本研究では、移動度の高い少数キャリアが非単調なホール効果の起源であることを検証するために、電子線照射(注9)によって試料中に点欠陥を系統的に導入し、移動度の変化がホール効果に与える影響を調べました。その結果、不純物散乱の増加に伴いキャリアの移動度が低下すると、電荷密度波転移後に現れる非単調なホール効果の成分が急激に減少し、最終的には消失することが分かりました。そこで、この非単調なホール成分が自発磁化に起因する異常ホール効果でないことを示すため、本物質の非単調なホール伝導度を異常ホール効果を示す既知の物質と比較しました(図3)。

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図3:縦伝導率と異常ホール伝導率の関係
異常ホール効果を示すさまざまな物質の縦伝導率と異常ホール伝導率の関係。CsV3Sb5において、非単調なホール伝導率を異常ホール効果に起因すると仮定すると、仮想磁場に由来する内因的な機構で期待される値より一桁以上大きな値になり、ループ電流秩序による異常ホール効果では説明が困難であることが分かった。むしろ、非単調なホール伝導度は縦伝導率の2乗に比例しており、CsV3Sb5における非単調なホール効果は、高移動度キャリアによる通常のホール効果で説明可能であることが分かる。

その結果、本物質の非単調なホール伝導度は、ループ電流秩序などの内因的な機構による異常ホール効果で期待される値よりも一桁以上大きく、かつ縦伝導度の2乗に比例することが分かりました。この結果は、本物質における非単調なホール効果が異常ホール効果に由来するものではなく、高移動度キャリアによる通常のホール効果で説明可能であることを示しています。

本研究で用いた移動度スペクトル解析は、これまで解析が難しかった多バンド系の輸送現象をモデルに依存せずに扱えるという点でも意義があり、今後、複雑な量子物質の電子状態を理解するうえで強力なツールになることが期待されます。

なお、 本研究における各研究機関の役割は以下の通りです。

  • 劉、石原、芝内、橋本(東京大学大学院新領域創成科学研究科):実験のデザイン、強磁場輸送測定
  • 木俣(日本原子力研究開発機構(研究当時:東北大学)):強磁場輸送測定
  • 吉見(東京大学物性研究所):データの理論的解釈

関連情報:

発表者・研究者等情報

  • 東京大学
    • 大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻
      • 劉 蘇鵬 博士課程
      • 石原 滉大 助教
      • 橋本 顕一郎 准教授
      • 芝内 孝禎 教授
    • 物性研究所 附属物質設計評価施設
      • 吉見 一慶 特任研究員
  • 日本原子力研究開発機構
    • 原子力科学研究所 先端基礎研究センター 強相関アクチノイド科学研究グループ
      • 木俣 基 研究副主幹(研究当時:東北大学 金属材料研究所)

論文情報

  • 雑誌名:Physical Review Letters
  • 題 名:Impact of Tiny Fermi Pockets with Extremely High Mobility on the Hall Anomaly in the Kagome Metal CsV3Sb5
  • 著者名:S. Liu*, M. Roppongi, M. Kimata, K. Ishihara, R. Grasset, M. Konczykowski, B. R. Ortiz, S. D. Wilson, K. Yoshimi, T. Shibauchi*, K. Hashimoto*
  • DOI:10.1103/d4dw-2v6k

研究助成

本研究は科学研究費 基盤研究(A) 「交替磁性体を舞台とした熱・スピン・電荷輸送現象の開拓」(研究代表者:橋本顕一郎准教授)[25H00838]、「時間反転対称性の破れた新奇超伝導状態の解明」(研究代表者:芝内孝禎教授)[22H00105]、学術変革領域研究(A) 「高密度共役の科学」(領域代表者:関修平教授)[20H05869]および「相関設計で挑む量子創発」(領域代表者:有田亮太郎教授)[25H01248]等の助成を受けて行われました。本研究の一部は東北大学金属材料研究所・強磁場超伝導材料研究センターの共同利用(課題番号:202012-HMKPA-0057、202112-HMKPA-0018、202212-HMKPA-0055)によって行われました。

用語解説

(注1)カゴメ格子
日本の伝統的な竹細工である「籠目模様」にちなんで名付けられた、三角形と六角形が組み合わさった幾何学的な格子構造。カゴメ格子をもつ物質では、通常の金属とは異なる電気的・磁気的性質が現れる可能性があり、新しい機能性材料として期待されている。
(注2)ホール効果
電流に垂直な磁場をかけると、電流と磁場の両方に垂直な方向に電圧が生じる現象。通常は磁場に比例して変化する。一方、強磁性体のように自発磁化をもつ物質では、外部磁場がなくてもホール効果が現れ、これを異常ホール効果と呼び、磁場に対して非単調に変化する。異常ホール効果の起源には、物質固有の電子構造に由来して生じるベリー曲率(仮想磁場)による「内因性」機構と、不純物やスピン散乱に起因する「外因性」機構がある。
(注3)移動度スペクトル解析(μスペクトル解析法)
異なる移動度をもつ複数のキャリアが存在する物質において、それぞれのキャリアを分離して解析できる手法。横軸にキャリアの移動度、縦軸に移動度に対する部分伝導率をとったスペクトルを作成することで、キャリアの数や種類を仮定せずに解析できる。
(注4)超伝導
ある温度以下で電気抵抗がゼロになり、エネルギーロスがなく、電流が流れ続ける現象。
(注5)電荷密度波
電子密度が空間的に周期的なパターンを持つ状態。
(注6)ループ電流秩序
電子が特定の軌道に沿ってループ状に流れることで、微小な自発磁化が生じる状態。
(注7)縦抵抗
電流と垂直な方向に生じるホール抵抗に対して、縦抵抗は電流と同じ方向に生じ、磁場によってその値が変化する。
(注8)2DMAT
探索アルゴリズムを適用して最適解を探すためのソフトウェア(https://www.pasums.issp.u-tokyo.ac.jp/2dmat)。探索アルゴリズムはNelder-Mead法、グリッド型探索法、ベイズ最適化法、レプリカ交換モンテカルロ法、ポピュレーションアニーリングモンテカルロ法が実装されている。
(注9)電子線照射
高エネルギーの電子を物質に照射して、原子の位置をずらすことで、意図的に点欠陥を導入する手法。電子線の照射時間を変えることで、系統的に欠陥量を制御することができる。

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(公開日: 2025年08月05日)