新しい概念の磁性体を実験的に検証 ―中性子散乱実験による交替磁性体の観測―
東京大学
高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
発表のポイント
- 新しい概念の磁性体として注目されている、交替磁性体のマグノンスペクトルの観測に、世界で初めて成功しました。
- スペクトルの分裂が観測され、スピン流を運ぶカイラルマグノンであることが明らかになりました。
- 交替磁性体は、次世代の超高速情報通信デバイスに利用できる可能性があります。
概要
東京大学物性研究所Liu Zheyuan(リウ・ゼユアン) 大学院生と益田隆嗣 教授の研究グループ、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の伊藤晋一教授は、新しい概念の磁性体として注目されている交替磁性体のマグノン(注1)のスペクトル(注2)の観測に初めて成功しました。これは、スピン(注3)励起の観点から交替磁性体を実験的に検証したといえます。交替磁性体は、最近、世界的に研究が始まった第三の磁性体です。磁化(注4)がゼロであるにも関わらずスピン分裂(注5)があるという特徴から、スピンを活用するスピントロニクス(注6)デバイスの開発や超伝導物質の探索の場として注目されています。
本研究では、良質な大型単結晶MnTeを合成し、高性能中性子分光器による中性子非弾性散乱(注7)実験を行いました。その結果、交替磁性体において理論的に予想されていた、マグノンのスペクトル分裂の観測に、世界に先駆けて成功しました。さらに詳細な解析を行ったところ、観測されたマグノンは、スピン流(注8)を運ぶカイラルマグノン(注9)であることが明らかになりました。この発見は、交替磁性体の理解を深め、物質探索の新たな指針を示すとともに、スピントロニクスデバイスの進歩に貢献します。
本成果は、米国科学誌「Physical Review Letters」に2024年10月8日(現地時間)に掲載されました。成果を示した論文は、注目論文であるEditor’s suggestionに選ばれました。
発表内容
研究の背景
磁性体のミクロな構造は、スピンが平行に整列した強磁性体(図1(a)上図)と、スピンが反平行に整列した反強磁性体(図1(b)上図)の二つに分類されてきました。ところが最近、第三の磁性体として「交替磁性体」が提案されました。「スピン周辺の結晶構造まで含めた対称性により磁性体を分類する」という新しい概念を導入することで現れた新しい磁性体です。反強磁性体の場合、隣接するスピン周辺の結晶構造は同じですが、交替磁性体の場合は図1(c)上図のように異なります。左下の赤い矢印で示されている上向きスピンの周囲の結晶構造(簡略して灰色のダイヤで表されています)と、左上(もしくは右下)の青い矢印で記されている下向きスピンの周囲の結晶構造は、そのままでは重なりません。90度回転させることによってはじめて重なります。このように、そのままずらしただけでは重ならず、回転させることによって重なるような対称性を持つ結晶構造をもち、かつスピンが反平行に配列している磁性体が、交替磁性体として分類されました。
このように新しく分類された交替磁性体では、カイラルマグノンと呼ばれる興味深い物理状態が予想されていました。カイラルマグノンはスピン流を運ぶことができる準粒子です。従来、強磁性体のカイラルマグノンが注目されてきましたが、スピントロニクスデバイスとして見ると、低周波数(GHz)でしかデバイスは動作しないという課題があります。また、有限の磁化を持つため、デバイスとしては望ましくない漏れ磁場もあります。一方、反強磁性体では、高周波数(THz)での動作が期待されていますが、マグノンのカイラリティ(注9)が完全に打ち消しあって(図1(b)下図参照)スピン流を運ばないため、デバイスとして動作させることは困難です。これらに対し、交替磁性体は強磁性体と反強磁性体の利点を兼ね備えています。交替磁性体のマグノンは高周波数で大きくカイラル分裂することが理論的に予想されており(図1(c)下図参照)、超高速スピン流の生成が期待されています。反強磁性体のようにスピン配列が反平行となっていて磁化がゼロであり、漏れ磁場の心配がないにもかかわらず、磁化が有限の強磁性体のようなカイラルマグノンを有している点で新しいのです。このため、交替磁性体のマグノンを直接観察することは、その物質が交替磁性を有するか否かの判定のためと、デバイス応用の可能性を探るための両方の意味で重要です。交替磁性体の候補物質は数多くありますが、これまでマグノンの観測には成功していませんでした。
研究の内容
研究グループは、交替磁性のマグノン分散を観測するために、交替磁性候補物質MnTeの良質な大型単結晶を合成しました。この物質は、磁性が観測されやすいMnイオンを含んでおり、かつ、交替磁性の特徴の一つである電子バンドのスピン分裂が光電子分光実験で報告されていたため、マグノンのカイラル分裂の観測にも適切であろうと予想しました。さらに研究グループは、大強度陽子加速器施設J-PARC(注10)物質・生命科学実験施設MLFのHRC高分解能チョッパー分光器を用いて非弾性中性子散乱実験を行いました。結晶の評価には研究用原子炉JRR-3(注11)のHODACA分光器も用いられました。
観測された中性子スペクトルを図2(a)および(c)に示します。図2(a)では、E = 30 meV以上の高エネルギーで、白丸で示されているように約2 meVのマグノン分裂が観測されました。一方低エネルギーの小さな運動量領域の周りのマグノン分散は、反強磁性体に似て、直線的に立ち上がっています。これらは、交替磁性体の存在を示す重要な証拠です。図2(c)は、別な運動量領域での高エネルギースペクトルですが、分裂したマグノン分散が運動量軸に沿って交替に伝播している様子が明瞭に観測されました。計算されたマグノン分散を、図2(b)および(d)で黒い実線と点線で示します。計算は観測された中性子スペクトルを完全に再現しました。さらに、反時計回りのカイラリティを赤色、時計回りのカイラリティを青色で表すと、低エネルギーでは二つのカイラリティが打ち消しあって無色となっていますが、高エネルギーでは二つのマグノンは異なるカイラリティを有し、青色と赤色が明瞭となっています。図2(d)ではカイラリティが交替的に変化することが確認されました。これらのことから、観測されたマグノンはスピン流を運ぶカイラルマグノンであることが明らかとなりました。
今後の展望
交替磁性体は、新しい概念の磁性体です。本研究でカイラルマグノンの存在が実証されたことから、スピン流生成をもたらすことが明らかとなりました。この発見により、将来的にはより高速で効率的な電子デバイスが実現し、我々の日常生活にも大きな変革をもたらす可能性があります。
関連情報
- 「プレスリリース① 次世代エレクトロニクスへの展開に期待! -特殊な磁石の磁区パターンを光で可視化-」(2024/8/22)
- 「プレスリリース② 量子磁性体のスピン波寿命を磁場で制御することに成功 ―スピン流制御のスイッチデバイスの可能性―」(2024/1/11)
- 「物性研ニュース① 「トリプロン」がスピン流を伝搬することを実証 ―極小スピン回路などでの活用に期待―」(2021/8/31)
- 「プレスリリース③ フラストレート量子磁性体におけるハイブリッド励起を発見 -譲り合う励起状態たち-」(2019/10/19)
発表者・研究者等情報
- 東京大学
- 物性研究所
- 益田 隆嗣 教授
- 兼 トランススケール量子科学国際連携研究機構 教授
- 兼 高エネルギー加速器研究機構物質科学研究所 客員教授
- Liu Zheyuan(リウ・ゼユアン) 大学院生(大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 博士課程)
- 益田 隆嗣 教授
- 物性研究所
- 高エネルギー加速器研究機構
- 物質構造科学研究所
- 伊藤 晋一 教授
- 物質構造科学研究所
論文情報
- 雑誌名 : Physical Review Letters
- 題名 : Chiral-Split Magnon in Altermagnetic MnTe
- 著者名 : Liu Zheyuan, Makoto Ozeki, Shinichiro Asai, Shinichi Itoh, Takatsugu Masuda*
- DOI:10.1103/PhysRevLett.133.156702
研究助成
本研究は、科研費 基盤研究(A)「次世代中性子分光器による量子物質の準粒子構造研究(課題番号:21H04441)」の支援により実施されました。中性子実験は大強度陽子加速器施設 物質・生命科学実験施設BL12 HRC高分解能チョッパー分光器(課題番号:2024S01)により実施しました。結晶評価は、東京大学物性研究所全国共同利用のもと、研究用原子炉JRR-3のHODACA分光器(課題番号:24403)により実施されました。
用語解説
- (注1)マグノン :
- 数多くのスピンが運動している様子を、量子力学的に表現した物理状態のことです。古典力学的には、スピンは波のように運動しているのですが、量子力学では、その波のような運動を量子化して、粒子の運動として表現します。このような粒子は準粒子と呼ばれます。自然界には数多くの準粒子が存在し、その一つがマグノンです。
- (注2)スペクトル :
- 粒子(もしくは準粒子)の持つエネルギーを運動量の関数として表したもの。
- (注3)スピン :
- 原子もしくは電子1つ1つに付随したミクロな磁石のこと。棒磁石のようにN極とS極を持ち、向きと長さを持っています。専門的には、ベクトルで表される物理量ということになります。同じ長さのスピンが全て同じ方向にそろった磁石は強磁性体と呼ばれており、互いに反平行に並んだ磁石は反強磁性体と呼ばれています。スピンが運動している状態を、スピンが励起している状態、と表現します。スピンが励起している状態を量子力学的に表現したものがマグノンになります。
- (注4)磁化 :
- 磁性体全体にわたってスピンを足し合わせた物理量のこと。強磁性体では有限になりますが、反強磁性体や交替磁性体ではゼロになります。
- (注5)スピン分裂 :
- 同じ運動量の上向きスピンを持つ電子と下向きスピンを持つ電子が、異なるエネルギーを持ち、電子のスペクトルが分裂していること。この用語は、マグノンのスペクトルではなく、電子のスペクトルの分裂に対して用いられていることに注意してください。
- (注6)スピントロニクス :
- 電子の電荷を活用するエレクトロニクスに加えて、スピンの自由度も利用する新しい技術のこと。
- (注7)中性子非弾性散乱 :
- 中性子非弾性散乱は、中性子を試料に当てたときに散乱された中性子を分析して物質の性質を調べる実験です。中性子はスピンと強く相互作用するため、試料から散乱された中性子を分析することで、マグノンなどのスピン励起に関する情報を得ることができます。
- (注8)スピン流 :
- 物質中のスピンの流れのこと。スピントロニクスで利用されます。
- (注9)カイラリティ、カイラルマグノン :
- ある状態を鏡写しにした際に、元の状態と鏡の中の状態が重なり合わない状態を、カイラリティを有する状態、と呼びます。たとえば、時計回りに回転している状態を鏡写しにすると反時計回りに回転している状態になります。これらの状態は重なり合わないため、特定の方向に回転している状態はカイラリティを有する状態、ということになります。マグノンには、スピンが反時計回りに歳差運動するカイラリティのものと、時計回りに歳差運動するカイラリティのものと二種類あります。反強磁性体の場合、図1(b)下の矢印付き回転円で示されているように、それらが両方存在するためカイラリティが打ち消しあい消失します。強磁性体の場合は、片方のカイラリティのみを持ち、スピン流を運ぶ性質があります。このようなマグノンをカイラルマグノンと呼びます。交替磁性体の場合は、同じ運動量のマグノンのエネルギーがカイラリティにより異なっているため、カイラルマグノンが存在すると予想されていました。
- (注10)大強度陽子加速器施設J-PARC :
- 高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設。素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設MLFでは、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まります。
- (注11)研究用原子炉JRR-3 :
- 日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で運営している大型研究施設。J-PARCと同じように、中性子を用いた幅広い分野の研究が行われています。J-PARCではパルス状に発生した中性子が供給されるのに対し、JRR-3では定常的に発生した中性子が供給される点で異なります。東京大学物性研究所は、JRR-3に設置された中性子装置を用いた共同利用を運営しています。
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