光で絶縁体を未知の金属相へと相転移させることに成功
東京大学
発表のポイント
- 励起子絶縁体のTa2NiSe5とバンド絶縁体のTa2NiS5という物質が、超短パルスレーザーを照射することで金属になることを発見しました。
- 実現された金属相は、熱平衡状態では実現できない未知の金属相であることを解明しました。
- さまざまな物質に光を照射することで、物質の性質を自在に制御できるようになることが期待されます。
発表概要
東京大学物性研究所の岡﨑浩三特任准教授、辛埴教授らの研究グループは、「励起子絶縁体」(注1)と呼ばれる絶縁体の候補物質と考えられていたTa2NiSe5と、通常の絶縁体であるバンド絶縁体と考えられていたTa2NiS5について、高次高調波レーザー時間・角度分解光電子分光装置(注2)を用いて非平衡状態(注3)における電子構造を直接観測しました。その結果、Ta2NiSe5が「励起子絶縁体」であるということを解明しました。さらに、Ta2NiSe5とTa2NiS5ともに超短パルスレーザー(注4)を照射することで、熱平衡状態(注3)では実現できない未知の金属相へと相転移することも発見しました。
本研究成果は、東京大学物性研究所極限コヒーレント光科学研究センターに建設された高次高調波レーザー時間・角度分解光電子分光装置が物質中における非平衡電子状態を観測するための極めて有用な装置であることを示すと共に、今後さまざまな物質にレーザーパルスを照射することで、物質の性質を自在に制御できるようになることが期待されます。
この研究成果は、英国夏時間2018年10月17日午前10時(日本時間10月17日午後6時)に、英国科学誌「Nature Communications」に掲載されました。
研究内容
① 研究の背景
「光で物質の性質を自在に操る」というのは、近年目覚しく発展している超短パルスレーザーを用いることで、超高速でかつ環境にも優しいデバイスの開発への応用が期待されるため、物性物理学の大きな目標の一つとなっています。光誘起相転移(注5)を利用することで、光によって物質を相転移させる例はこれまでいくつか報告されていましたが、その多くは熱平衡状態における高温相に対応する相への相転移でした。
② 研究内容と成果
東京大学物性研究所の岡﨑浩三特任准教授らの研究グループは、「励起子絶縁体(図1)」と呼ばれる特殊な絶縁体の候補物質であると考えられていたTa2NiSe5とその対照物質でSeをSに置換した物質であり、通常の絶縁体と考えられていたTa2NiS5に着目し、本研究グループによって開発された高次高調波レーザー時間・角度分解光電子分光装置(図2)を用いて、これらの物質のポンプ光照射後の非平衡状態における電子構造の直接観測を行いました。
まず、照射する超短パルスレーザーの強度の違いに対する振る舞いから、Ta2NiSe5が励起子絶縁体であるということを解明しました。さらに、図3に示すように、ポンプ光照射前は価電子帯のバンドがフェルミ準位を横切らない絶縁体的なバンド構造になっている一方で、ポンプ光照射後は価電子帯の正孔的なバンドと伝導帯の電子的なバンドがフェルミ準位を横切る金属的なバンド構造に変化する様子が観測されました。これは、Ta2NiSe5という物質が励起子絶縁体相から金属相へと光誘起相転移を示すことを意味します。この物質には高温においても金属にはならないので、実現された金属相は熱平衡状態では実現し得ない「未知の金属相」であることが分かりました。
③ 今後の展望
今回の研究成果である「未知の金属相」の発見によって、光によって絶縁体を金属に、さらには金属を超伝導体に変換するなど、「物質の性質の光による自在の制御」の実現に向けて新たな可能性が広がりました。今後のさらなる研究によって、今回発見された「未知の金属相」への光による相転移のメカニズムが解明されることで、さまざまな物質の性質を光によって自在に制御できるようになることが期待されます。
なお本研究は、文部科学省国家課題対応型研究開発推進事業「光・量子融合連携研究開発プログラム」、JSPS科研費基盤研究(JP25220707, JP26610095)の助成のもとに行われました。
発表雑誌
- 雑誌名:Nature Communications(2018年10月17日)
- 論文タイトル:Photo-induced semimetallic states realised in electron-hole coupled insulators
- 著者:Kozo Okazaki*, Yu Ogawa, Takeshi Suzuki, Takashi Yamamoto, Takashi Someya, Shoya Michimae, Mari Watanabe, Yangfan Lu, Minoru Nohara, Hidenori Takagi, Naoyuki Katayama, Hiroshi Sawa, Masami Fujisawa, Teruto Kanai, Nobuhisa Ishii, Jiro Itatani, Takashi Mizokawa, and Shik Shin* (* 責任著者)
- DOI番号:10.1038/s41467-018-06801-1
用語解説
- (注1) 励起子絶縁体
-
半導体や半金属では、熱や光のエネルギーを吸収することで、価電子帯に正孔が、伝導帯に電子が励起される。正孔は正の電荷、電子は負の電荷を持つので、これらはクーロン相互作用によって励起子と呼ばれる束縛状態を作ることがある。一般に励起子は低温で全て最低エネルギー状態に落ち込む凝縮状態となるが、励起子のクーロン相互作用が強い場合、エネルギーの吸収なしに、自発的に励起子が形成されて凝縮状態となりえることが知られている。このような状態が実現された絶縁体を「励起子絶縁体」と呼ぶ。(図1)
- (注2) 高次高調波レーザー時間・角度分解光電子分光装置
-
超短パルレーザーをアルゴンなどの希ガスに集光すると、集光したレーザーの奇数倍の振動数(∝エネルギー)を持つ光が発生する。これを高次高調波という。超短パルスレーザーを用いることで、まずポンプ光と呼ばれる光で物質を非平衡状態にし、その緩和過程においてプローブ光と呼ばれる光で物質の電子状態などを観測する実験手法をポンプ-プローブ法と呼ぶが、この手法を物質中の電子のバンド構造を直接観測できる角度分解光電子分光という測定手法に応用したものを時間・角度分解光電子分光と呼ぶ。本研究グループは、東京大学物性研究所の極限コヒーレント光科学研究センターに、プローブ光として高次高調波レーザーを用いることが出来る高次高調波レーザー時間・角度分解光電子分光装置を建設した。(図2)
- (注3) 熱平衡状態と非平衡状態
-
物質中の電子などが取り得る状態の中でエネルギーが最低のものを基底状態、それよりもエネルギーが高い状態を励起状態と呼ぶが、外部から物質にエネルギーを与えると励起状態を占める割合が高くなる。逆に、多数の電子が励起状態を占めている場合、光や熱を放出することによって、物質中の電子は外部にエネルギーを放出してよりエネルギーの低い状態を占めるようになる。外部から物質に与えるエネルギーと物質から外部に放出されるエネルギーが等しく吊り合っている状態を熱平衡状態という。この時励起状態を占める割合は一定となり、その割合から温度は定義される。超短パルスレーザーによって瞬間的に物質にエネルギーを与えると、その吊り合いは保たれなくなり、物質からエネルギーが放出されるようになる。このような状態を非平衡状態と呼ぶ。
- (注4) 超短パルスレーザー
-
パルス幅が100 fs(10兆分の1秒)程度のパルスレーザー。高次高調波を発生できる超短パルスレーザーは、今年のノーベル物理学賞受賞の対象となったチャープパルス増幅という技術によって実現された。この技術により、電子が光のエネルギーを吸収することによって実現される非平衡状態である、光励起状態からの緩和過程を観測することが出来るようになった。
- (注5) 光誘起相転移
-
物質に超短パルスレーザーを照射すると一般に物質は非平衡状態になるが、熱平衡状態とは別の相とみなせる、寿命が比較的長い準安定状態になることもある。このような現象は、光によって相転移が誘起されたとみなせるため、光誘起相転移と呼ばれる。
関連ページ
- 東京大学物性研究所 岡崎研究室
- 2018.1.18 プレスリリース超伝導ギャップの「ノード」の消失を発見