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分子を使った乱れの設計により量子スピン液体を実現

大阪府立大学
東京大学 物性研究所

大阪府立大学(学長:辻 洋)の大学院理学系研究科 山口博則准教授、細越裕子教授、および東京大学物性研究所の河野洋平研究員、橘高俊一郎助教、榊原俊郎教授らの研究グループは、分子の設計性を利用した新しいタイプの錯体化合物を合成し、磁気ネットワーク(注1)に乱れを導入することで量子スピン液体(注2)状態を実現しました。

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本取り組みのポイント

  • 新たに開発した錯体分子において磁気ネットワークに乱れを導入することで、量子スピン液体として振る舞うことを実証。
  • これまでに量子スピン液体として報告されていた物質の本質が、乱れによってランダムに形成されるスピンのペア(ランダムシングレット)である可能性を示唆。
  • 乱れを取り込んだ量子磁性体(注3)のデザインが可能であることが実証され、量子物性を取り込んだ磁性材料の開発に新たな道を拓いた。

量子状態の解明は、スピンに備わる量子性の新たな一面や物質中での量子エンタングルメント(注4)の効果を明らかにし、物性科学全般において基礎学術的にも大きな意義を持ちます。さらに、本研究が目指す分子の自由度を活用した量子磁性体のデザインは、量子物性の制御を可能にし、新たな量子現象を取り込んだ新材料の開発にもつながります。

なお、本研究は2017年11月23日19時(日本時間)に雑誌「Scientific Reports」に掲載されました。


【概要】

図1: 本研究で開発に成功した新規錯体分子Zn(hfac)2(AxB1-x)の分子構造。
図1: 本研究で開発に成功した新規錯体分子Zn(hfac)2(AxB1-x)の分子構造。

磁性体においてその磁性を担っている電子スピンが絶対零度においても凍結しない、量子スピン液体の実現は、近年の物性科学における到達目標の一つとされています。これまでにその候補物質として報告されてきたものでは、スピンが時間的にも空間的にも揺らいで量子スピン液体を形成していると考えられてきました。しかし、最近の理論的研究によって、物質中での偶発的な乱れから生じる、ランダムシングレットと呼ばれる特異な量子状態が、量子スピン液体の本質である可能性が指摘されていました。そこで本研究グループは、分子の設計性を活用した物質デザインにより、磁性体に意図的に乱れを導入することで、ランダムシングレットの実証を試みました。

具体的には、有機ラジカルを金属原子に配位させた分子性の金属錯体を合成しました(図1参照)。金属原子に配位させることでラジカルの分子内回転自由度を消失させて、2種類の異性体を作り出しています。これによって結晶中では2種類の分子がランダムに配列することになり、分子の繋がりから成る磁気ネットワークの結合の強さにも乱れが出現します。低温での物性を調べた結果、磁化率、磁化曲線、比熱の全ての実験結果において、量子スピン液体の実現を示唆する振る舞いが観測されました。本研究成果は、これまでに量子スピン液体として報告されていた物質の本質が乱れによるランダムシングレット(図2参照)である可能性を示唆する重要な結果となりました。また、分子の自由度を利用することで乱れを取り込んだ量子磁性体のデザインが可能であることが実証され、量子物性を取り込んだ磁性材料の開発に新しい可能性をもたらしました。

図2: ランダムシングレットの概念図。Zn(hfac)2(AxB1-x)結晶中の乱れを持つハニカム格子上で、青丸のスピンがランダムなパターンでペアを組み、非磁性の量子状態を形成している。
図2: ランダムシングレットの概念図。Zn(hfac)2(AxB1-x)結晶中の乱れを持つハニカム格子上で、青丸のスピンがランダムなパターンでペアを組み、非磁性の量子状態を形成している。

【研究背景】

1973年にノーベル物理学賞受賞者であるP.W. Anderson によって、電子の持つスピン自由度が絶対零度まで凍結しない量子スピン液体状態が実現し得ると予言され、その実現は今日まで物性科学における大きな到達目標とされてきました。概念的には、絶対零度にまで冷やした水が氷にならないことに例えられます。当初の予言では、スピンが時間的にも空間的にも揺らぐ状態が、量子スピン液体を説明する有力なモデルとして提唱されました。その後、実験的にいくつかの物質において量子スピン液体を示唆するような物性が観測されて、量子スピン液体を実現する候補物質として注目を集めてきました。一方最近の研究では、それらの物質においては偶発的に乱れが生じており、それによって作られるランダムシングレット状態が、実験で観測されている量子スピン液体の本質である可能性が指摘されていました。そこで、量子スピン液体の本質に迫るために、意図的に乱れを導入した物質において、ランダムシングレットをベースとした量子スピン液体が実現し得るのかを検証する必要がありました。

【研究内容】

今回、本研究グループは、安定有機ラジカルの1つであるフェルダジルラジカルを金属原子に配位させた分子性の金属錯体Zn(hfac)2(AxB1-x)を合成しました。金属原子に配位させることでラジカルの分子内回転自由度が消失して、分子構造にCl原子の位置が異なるA-typeとB-typeの2種類の異性体が構築されます。結晶中ではこの2種類の分子がランダムに配列することになり、分子の繋がりによって形成されるハニカム格子の結合の強さに乱れが出現します。この乱れによって形成されると考えられるランダムシングレットにおいては、図2に示すようにそれぞれのスピンがランダムにペアを組み、シングレットと呼ばれる量子的な状態を形成して消失しています。それ故に量子スピン液体と同等な物性が観測されると予想されています。本研究では乱れの大きなx = 0.64と0.79の試料の合成に成功し、低温での物性検証を進めました。実際に、磁化率における低温での上昇、磁化曲線における線形的な増加、比熱における低温での温度に比例した変化など、全ての実験結果において明瞭にランダムシングレットで予想されている量子スピン液体的な振る舞いを再現することができました。

【今後の展開】

乱れを導入することによって実現した量子スピン液体は、従来の量子スピン液体のモデルとは異なる発現機構を備えています。現実の物質で観測されている量子スピン液体の理解に一石を投じるとともに、その本質に迫る重要な知見となりました。量子状態の解明は、スピンに備わる量子性の新たな一面や物質中での量子エンタングルメントの効果を明らかにして、物性科学全般において基礎学術的にも大きな意義を持ちます。また、超伝導体をはじめとした、電子がもたらすマクロな量子物性の発現メカニズムの解明にも大きな進展をもたらすと予想されます。さらに、本研究が目指す分子の自由度を活用した量子磁性体のデザインは、量子物性の制御を可能にし、新たな量子現象を取り込んだ新材料の開発にもつながります。

【研究助成資金等】

本研究は、若手研究(A)「高度な磁性体デザインによって実現する新奇量子状態の解明と制御」(研究代表者:山口博則 大阪府立大学大学院理学系研究科)およびその他の支援を受けて完成しました。

【発表雑誌】

  • 論文名:Randomness-induced quantum spin liquid on honeycomb lattice
  • 著者:山口博則1、岡田将孝1、河野洋平2、橘高俊一郎2、榊原俊郎2、岡部俊輝1、岩崎義己1、細越裕子1 (1 大阪府立大学 大学院理学系研究科、2 東京大学 物性研究所)
  • 掲載誌:Scientific Reports
  • doi:10.1038/s41598-017-16431-0

【用語解説】

(注1)磁気ネットワーク:

磁性体中では、電子の自転運動に対応する物理量であるスピンが、小さな磁石のような振る舞いをして磁気を担っている。スピン同士は交換相互作用と呼ばれる相互作用によってつながれており、スピンの場所を頂点、相互作用を辺として形作られる点と辺の集合を磁気ネットワークという。この磁気ネットワークは磁性体の性質を決める重要な要因となっている。本研究ではハニカム格子上の磁気ネットワークが形成されている。

(注2)量子スピン液体:

磁気を担うスピンが互いに強く相関するにも関わらず、絶対零度においても凍結せずにスピンの液体的な概念で理解される量子的な状態。実際にその実現を明確にとらえることはできていないが、いくつかの候補物質において量子スピン液体に由来していると考えられる振る舞いが観測されている。スピンが時間的にも空間的にも揺らいだRVB状態がその本質を描く有力なモデルとして提唱されてきた。

(注3)量子磁性体:

磁性体を構成する小さな磁石とされるスピンは、本来は量子力学的な量であり、厳密には磁石のように単純なモデルでは説明できない。スピンの量子性によって量子的な物性を示す磁性体は量子磁性体と呼ばれる。本研究は、量子磁性体デザインの一環として、乱れの設計による量子スピン液体の実現に取り組んだ。

(注4)量子エンタングルメント:

古典力学では説明できない量子力学的な相関。2つのスピンの場合、片方の状態が決まると同時に、もう一方の状態もそれに応じて決まり、その関係はスピンの距離に依存しない。時空を超えた相関であり、量子力学を代表する不可思議な現象として知られている。本研究のランダムシングレットにおけるスピンのペアも量子エンタングルメントとなっている。


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(公開日: 2017年11月24日)