二分子層間の電界誘起プロトン移動で可逆的な導電性スイッチングに成功
東京大学物性研究所の森初果教授、𠮷信淳教授らのグループは、大阪大学の加藤浩之准教授、熊本大学の上田顕准教授(研究当時:森研究室助教)、横浜国立大学の藤野智子准教授(研究当時:森研究室助教)、横浜市立大学の立川仁典教授、広島大学の兼松佑典助教らと共同で、異種二分子層間で水素陽イオン(H+; プロトン)を強電界によって動かし、分子膜のトンネル伝導度を可逆的にスイッチさせることに初めて成功しました。
水素原子は最もシンプルかつ身の回りに多量に存在する元素であり、その陽イオンであるH+の分子間移動は、さまざまな物質合成や真核生物の生命維持に欠かすことができない基本的な化学反応です。このH+移動を分子間で能動的に誘起して、物性を制御する指導原理を実証することは重要です。
本研究ではまず、H+のドナー分子とアクセプタ分子からなる異種二分子層膜を浸漬法(自己組織化法)でAu結晶基板上に成膜しました(図1a)。この二分子層膜は、分子レベルで平坦で、室温かつ大気中でも安定して取り扱えることが特徴です。特に、H+ドナー分子には森教授らが開発した「電子-H+相関特性」を有するカテコール縮環テトラチアフルバレン(以下、Cat-TTF)誘導体を用いたことで、H+移動による顕著な物性変化を期待しました。また、H+アクセプタ分子として、イミダゾール基で終端したアルカンチオラート分子を用い、良好な分子膜の形成とH+移動後の安定化を狙いました。
H+移動の制御には、走査トンネル顕微鏡(STM)を用いた外部からの局所電界印加が有効でした(図1bと1c)。STMは、導電性の探針と試料基板間を1ナノメートル以下に近づけて、微弱な電圧を掛けた時に流れるトンネル電流を検出しながら試料までの距離と導電性を画像化する装置です。この装置を用いることで、数ボルト/ナノメートル (=数百万ボルト/ミリメートル)の強電界印加と分子膜試料のトンネル伝導度を計測することができるため、電荷を持つH+イオンの移動誘起と分子膜の導電性変化を検証しました。
強電界印加前の二分子層膜のSTM像には、Au結晶基板上の原子レベルのテラス&ステップ構造が分子膜を通して観測されており(図2a)、二分子層膜は平坦で均質なことが分ります。一方、この分子膜の一部(赤色コーナーで囲んだ領域)を負の試料電圧(-1.5 V)で刺激した後は(図2b)、刺激部分の導電性が向上し分子膜が明るく(高く)観測されている(ΔZ > 0)ことが確認できます。この電界刺激により、Cat-TTF誘導体の水酸基からイミダゾール基に向かってH+移動しイミダゾリウム・カチオンが生成されたと考えられます(図1b)。これに対し、導電性が向上した部位の一部(水色コーナーで囲んだ領域)に正の試料電圧(+2.0 V)で電界刺激を与えると、明る(高く)観測されていた領域が元の高さ(ΔZ = 0)に戻ることを確認しました(図2c)。すなわち、イミダゾリウム・カチオンからH+を元のCat-TTF誘導体へ戻す電界刺激で、元の状態へ戻ったと考えられます(図1c)。さらに同部位の一部を負の試料電圧(-1.5 V)で刺激すると、再び明るく(高く)変化する(ΔZ > 0)ことが観測され(図2d)、可逆的に導電性の変化が起こることが確認できました。なお実験では、この電界刺激による高さの変化が、トンネル伝導度の変化であることをdI/dV像の計測手法で確かめています。また、モデルクラスターを使った理論計算からも、強電界によるH+移動とトンネル導電度の向上が推計され、当反応機構の正当性を確認しました。

※ Nano Lettersより一部改変して転載
実験では、試料印加電圧(VSS)に対する高さ変化(ΔZ)がどのように応答しているかも計測しました(図2e)。結果として、導電性を上げる電界と下げる電界の閾値には差があって、ヒステリシスを示すことが確認できました。また、これをCat-TTF誘導体の水酸基(OH)を重水素化(-OD)した分子で行うと導電性が変化する閾値が変わり(ヒステリシスの幅が広がり)、この電界応答がH+移動による導電性スイッチングであることの確証を得ました。ヒステリシスを示すこの導電特性は、抵抗変化型メモリ(RRAM)やメモリスタと呼ばれる記憶素子としての動作特性を示しており、二分子層間のH+移動という機構に基づき、室温かつ大気中で動作する分子メモリの作製と動作を実証することができました。
本研究の成果は、2025年7月4日に米国科学誌『Nano Letters』にオンライン掲載されました。
発表論文
- 雑誌名: Nano Letters
- 論文タイトル: Tunneling Conductivity Switching by Reversible Electric-Field-Induced Proton Transfer for a Hydrogen-Bonding Heterobilayer Film
- 著者: H. S. Kato*, R. Muneyasu, T. Fujino, A. Ueda, Y. Kanematsu, M. Tachikawa, J. Yoshinobu, H. Mori
- DOI: 10.1021/acs.nanolett.5c02455