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電子の地図が決めていた、“渦”のサイズ ―世界最小スキルミオンの誕生メカニズムを解明―

東京大学
大阪大学
東京都立大学
北海道大学

発表のポイント

  • 世界最小のスキルミオン(直径約1.9ナノメートル)を生み出す物質の電子構造を、放射光を用いた高精度な光電子分光により初めて可視化することに成功。
  • スピン同士が電子をキャッチボールしながら結びつくことで、スキルミオンの源となるらせん状のスピン構造が形成されるメカニズムを解明。
  • 磁場や温度で自在に変形・再構築される、しなやかな磁気ドメインを発見。書き換え可能なこの磁気構造は、これまでにない柔軟性と応答性を備え、次世代のメモリデバイスや情報処理技術に新たな道を拓く可能性を秘める。
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「電子の地図」に刻まれた伝導電子の運動量によって、スキルミオンのサイズが決まる

発表概要

東京大学物性研究所のYuyang Dong大学院生(同大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程)(いずれも研究当時)と近藤猛准教授らの研究グループは、同研究所の木下雄斗特任助教、徳永将史教授、大阪大学大学院理学研究科の越智正之准教授、東京都立大学の松田達磨教授、北海道大学の速水賢教授らの研究グループと共同で、世界最小のスキルミオン(注1)が発現することで知られる物質GdRu2Si2において、スキルミオンの源となる、らせん状のスピン構造(らせんスピン(注2))が形成されるメカニズムを解明しました。

磁石の中で、目には見えないほど小さな“渦”が回っている、そんな不思議な現象が、いま物理学の最前線で注目を集めています。「スキルミオン」と呼ばれるこの渦は、電子スピン(電子が持つ小さな磁石)がなめらかにねじれながら、ドーナツ型に巻き込むように並んだナノスケールの磁気構造です。直径はわずか数ナノメートルで、髪の毛の太さの数万分の1という極限のサイズに、渦巻きの世界が広がっています。その構造は「トポロジー(注3)」という幾何学的な法則によって守られており、熱や衝撃といった外乱にもびくともしない高い安定性を持ちます。この「壊れにくい情報の渦」が、次世代の超高密度・超低消費電力の磁気メモリや量子情報デバイスの担い手として、いま世界中で熱い注目を浴びています。ところが、このスキルミオンの源である、らせん状のスピン構造がどうやって生まれるのか、その謎は未解明でした。

今回本研究グループは、物質の中に広がる電子の地図となる運動量とエネルギーの関係(電子構造(注4))を可視化することで、その謎に迫りました。すると、ある特定の運動量を持つ伝導電子たちが、遠く離れたスピン同士をまるでキャッチボールするように結びつけていることが分かりました。この仕組みは「RKKY相互作用(注5)」と呼ばれ、スピンがねじれながら連なっていく、柔らかくしなやかな磁気構造(らせんスピン)を生み出していました。そしてこのスピン構造が、外部からの磁場や温度変化に対して驚くほど柔軟に応答し、磁気ドメイン(注6)のパターンが自在に変化する操作可能な磁性を実現していることも明らかになりました。今回の研究は、電子構造とスキルミオン形成の関係を初めて描き出し、スキルミオンを自在に設計・制御するための新たなコンパスを提示するものです。この成果は、スピントロニクス素子や次世代情報処理デバイスの材料開発において、電子構造の設計という新しい発想に基づく強力な基盤を提供します。“電子の地図”から未来のスキルミオンを描く、そのための明確な指針が、いまここに示されました。

本成果は米国科学振興協会が発行するScienceの5月8日14時(米国東部夏時間)オンライン版に掲載されました。

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発表内容

研究の背景

スキルミオンは長らく、“ねじれた”結晶構造を持つごく限られた材料でしか現れないと考えられていました。しかし近年、左右対称な一般的な構造を持つ結晶でもスキルミオンが現れることが明らかになり、「物質の常識」が塗り替えられようとしています。さらに注目すべきは、そのサイズです。新たに見つかったスキルミオンは、従来に比べて10分の1〜100分の1という超小型です。これにより、記録密度の飛躍的な向上が期待されており、情報技術の限界を超える鍵として、産業界からも大きな期待が寄せられています。こうしたスキルミオンは、縦横に交差するらせん状のスピン構造(らせんスピン)が、ちょうど波紋のように重なり合うことで、格子状の磁気模様を形成します(図1)。しかし、その“らせんスピン”は一体どうやって生まれるのか?どのような電子のふるまいが、この精緻な磁気渦の誕生を導いているのか?その答えは、多くの理論が交錯しながらも、これまで未解決の謎でした。

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図1:らせんスピン構造の重ね合わせによって形成されるスキルミオン格子
電子スピンが空間的にらせん状に回転しながら縦横に並ぶ“らせんスピン”は、スキルミオン形成の基本単位である。しかし、その発生メカニズムは、重要であるにも関わらず未解明だった。
研究の内容

スキルミオンのようなナノスケールの磁気渦が、なぜ結晶の対称性を破らなくても出現するのか?電子の動きを“地図”のように可視化することで、その謎に迫りました。本研究グループが挑んだのは、世界最小記録となる直径約1.9ナノメートルのスキルミオンを生み出すことで知られる、空間反転対称性(注7)を持つ磁性金属GdRu2Si2です。鍵を握るのは、物質中の電子運動が描く模様、すなわち電子構造でした。放射光(注8)を用いた光電子分光(注9)によって、物質内部の電子たちがどのようなエネルギーと運動量の関係で動いているかを可視化しました(図2)。

その結果、電子構造の中でも最もエネルギーが高く勢いのある電子たちだけに着目して描かれるフェルミ面(注10)において、特定の方向に沿って線路のレールのように平行に伸びる、いわゆる「ネスティング構造」(注11)が浮かび上がりました。これは、電子集団が協調的に整列して進行する道筋を示しています。このネスティングにより、伝導電子は離れたスピン同士をキャッチボールでつなぐような相互作用、すなわちRKKY相互作用を強め、磁気秩序を誘導します。そして驚くべきことに、このネスティングの差し渡し運動量(線路のレール間距離に対応)が、以前の実験で明らかにされていたスキルミオン格子の周期長とほぼ完全に一致していました。つまり、スキルミオンのサイズは、伝導電子の行進パターンによって決められていたといえます。さらに、ネスティングの運動量に対応するフェルミ面上(線路のレール上に対応)では、電子の存在がかき消されたように信号強度が弱まり、「擬ギャップ」(注12)と呼ばれる電子密度の部分的な減少が観測されました。これにより、(線路が分断されたように)フェルミ面は閉じた形を保てず、途中でちぎれたように見える「フェルミアーク」(注13)が形成されていました。これら一連の現象(ネスティング、擬ギャップ、フェルミアーク)は、伝導電子とスピン秩序との強い相互作用が導くものであり、通常の磁性体では見られない非共線的(注14)な、らせん状の磁性構造が発現していることの明確な証拠となります。重要なのは、この磁性が成り立つための条件が極めて繊細であることです。(線路がとても長く)ネスティングが強すぎれば、単純なスピン密度波や反強磁性秩序が優勢となり、スキルミオンは安定に存在できません。(線路が短すぎて)ネスティングが逆に弱すぎても、そもそも磁気秩序が育ちません。本研究では、このバランスがちょうどよく保たれた状態にある結果として、スキルミオン格子が安定して形成されていることを実証しました。実際、絶妙なバランスで成り立つ磁性が持つしなやかさと柔軟さを、無磁場下に現れた磁気ドメインのパターンがパルス磁場によって粉々に崩壊しつつも温度変動によって再構成されるという劇的な挙動から捉えることができました(図3)。これは、スキルミオン磁性体ならではの高い操作性と応答性を物語っており、次世代のメモリデバイスや情報処理技術に革新をもたらす、新たな道を切り拓く可能性を秘めています。

fig2

図2:光電子分光による電子構造の可視化と、らせんスピン形成機構の解明
世界最小スキルミオンが発現する磁性体GdRu2Si2において、放射光を用いた光電子分光により電子の運動量とエネルギーの関係を測定した。観測されたフェルミ面には、特定の運動量 q に対応するネスティング構造が存在し、その方向に沿って擬ギャップとフェルミアークが形成されていた。この現象は、伝導電子が特定の qベクトルでスピンと強く相互作用することを意味し、RKKY相互作用(伝導電子によるスピン間のキャッチボール)によって、らせん状のスピン構造が自発的に形成される機構を実験的に裏付けるものである。重要なことに、らせんスピンを生む伝導電子の運動量 qがスキルミオンの大きさλを決定していることが分かった。

fig3

図3:無磁場下で観測された、らせん状スピン秩序の磁気ドメイン構造とその柔軟な応答性
本図は、GdRu2Si2において、外部磁場が存在しない状態(無磁場下)で形成される磁気ドメイン構造の変化を示している。左図は、冷却後に自然に形成された磁気ドメイン構造である。パルス磁場の印加により、磁気ドメインは、中央図のようなモザイク状に細分化される。しかし、その後の温度制御によって右図のように元のドメイン構造が可逆的に復元されることが分かった。このドメイン構造は、横らせんスピン構造および縦らせんスピン構造がそれぞれ発達した領域に対応している。スキルミオンは通常、外部磁場下でこれら2種類のらせんスピンが重なり合うことにより発現するが、本図のような柔軟で可逆的ならせん磁性の挙動は、スキルミオン磁性体ならではの高い操作性と機能性を物語っている。
今後の展望

本研究は、「スキルミオンはなぜ生まれるのか?」という根本的な問いに対し、結晶の構造ではなく、電子の動き(電子の地図)が決定的な役割を担うことを初めて明らかにしました。これまでスキルミオン材料の開発は「結晶構造の工夫」に依存していましたが、これからは「電子構造をデザインする」という、より精密かつ戦略的なアプローチが主流になるでしょう。電子の運動量空間を読み解き、フェルミ面を自在に設計できれば、スキルミオンのサイズ・柔軟性・安定性までも意図的に操ることが可能になります。第一原理計算と光電子分光を駆使して、“ネスティングを持つフェルミ面”を備えた新たな磁性物質を次々と発見することで、超高密度・超省エネのスキルミオンデバイス実現への道が大きく拓かれると期待されます。さらに、電場や光でスキルミオンを自在に制御する技術が確立されれば、次世代スピントロニクス素子や量子情報処理デバイスの開発も視野に入ってきます。電子の地図を手に、スキルミオンが切り拓く物質科学の新たな未来が、いま大きく動き出しました。

発表者

  • 東京大学 物性研究所
    • 附属極限コヒーレント光科学研究センター
      • Yuyang Dong 博士課程 <同大学大学院理学系研究科物理学専攻>(いずれも研究当時)
      • 近藤 猛   准教授 <同大学トランススケール量子科学国際連携研究機構 准教授>
    • 附属国際超強磁場科学研究施設
      • 木下 雄斗 特任助教
      • 徳永 将史 教授
  • 大阪大学大学院 理学研究科
      • 越智 正之 准教授
  • 東京都立大学大学院 理学研究科
      • 松田 達磨  教授
  • 北海道大学大学院 理学研究院
      • 速水 賢  教授

論文情報

  • 〈雑誌〉 Science
  • 〈題名〉 Pseudogap and Fermi arc induced by Fermi surface nesting in a centrosymmetric skyrmion magnet
  • 〈著者〉 Yuyang Dong, Yuto Kinoshita, Masayuki Ochi, Ryu Nakachi, Ryuji Higashinaka, Satoru Hayami, Yuxuan Wan, Yosuke Arai, Soonsang Huh, Makoto Hashimoto, Donghui Lu, Masashi Tokunaga, Yuji Aoki,
    Tatsuma D. Matsuda, and Takeshi Kondo* (*責任著者)
  • 10.1126/science.adj7710

研究助成

本研究は、日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP21H04439、JP23K17351、JP22K03517、 JP21H01037、JP23H04869、JP25H01246、JP25H01250)、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP 課題番号 JPMXS0118068681)、科学技術振興機構(JST PRESTO助成金 JPMJPR20L8)、東京都高度研究(課題番号 H31-1)、旭硝子財団、村田学術振興財団、三菱財団の支援を受けて実施した研究です。

用語解説

(注1)スキルミオン
「スキルミオン」とは、電子が持つ「スピン」(小さな磁石のような性質)が、渦を巻くように回転しながら配列した、直径わずか数ナノメートルの極めて小さな磁気構造です。中心のスピンは下向き、外側に向かうにつれてなめらかに回転し、最外周では上向きとなるなど、全体として“ドーナツ状”に巻き込まれた構造を持ちます。この構造は、トポロジー(連続的なつながりの幾何学的性質)によって守られており、熱や欠陥といった外乱に対して非常に強い安定性を示します。「スキルミオン」という名前は、イギリスの理論物理学者トニー・スキルム(Tony Skyrme)が1960年代に提唱した、素粒子のトポロジカルな構造解としての「スキルミオン解」に由来しています。物性物理の分野では、この考え方が磁性体中のスピン構造として実現されることが発見され、ナノスケールの磁気渦構造にも同じ名称が使われるようになりました。このようなスキルミオンは、その小ささ・高い安定性・電流などで容易に動かせる操作性を活かして、次世代の超高密度・超低消費電力な磁気メモリ(スキルミオンメモリ)や、スピンを用いた新たな情報処理技術(スピントロニクス素子)への応用が期待されています。
(注2)らせんスピン
「らせんスピン(螺旋スピン)」とは、電子スピン(電子が持つ小さな磁石の向き)が空間方向に沿って、ねじれるように少しずつ回転しながら並んでいる状態を指します。まるでコイルやバネのように、スピンの向きがらせん状に回っていく構造であることから、「らせんスピン」と呼ばれます。この構造は、磁性体の中で自然に生じることがあり、特にスキルミオンのような複雑な磁気構造をつくる基本的な素材になります。複数のらせんスピンが異なる方向から重なり合うことで、ドーナツ型にねじれたスキルミオンが形成されます。
(注3)トポロジー
「トポロジー(位相)」とは、ものの形を“切ったり破ったりせずに”連続的に変形できるかどうかに注目する数学的な考え方です。形の大きさや角の鋭さではなく、「つながり方」や「穴の数」など構造そのものに注目します。例えばドーナツとマグカップは、形は違っても「穴が一つある」という点でお互いに連続的な変形が可能であることから、同じトポロジーに分類されます。物理学では、トポロジーの概念が電子の流れやスピン配列などミクロな世界にも応用されます。特にスキルミオンでは、スピンが空間全体で巻き込まれるようにつながっており、この構造を壊すには“どこかを切る”必要があるため、高い安定性が生まれます。この巻き方そのものが、熱や外乱に強く、情報キャリアとしての可能性を支えています。
(注4)電子構造
物質中の電子は、背後に配列するイオンの影響を受けながら量子力学に従ってエネルギーと運動量(方向と速さ)を持ちます。「電子構造」とは、このエネルギーと運動量の分布を描いた、いわば物質内部の“電子の地図”です。この地図の模様は物質ごとに異なり、それによって金属か絶縁体か、あるいは電気抵抗や磁性の性質が決まります。つまり、電子構造とは、物質のふるまいを根本から読み解くための、極めて重要な情報です。
(注5)RKKY相互作用
「RKKY相互作用」は、磁性の発現メカニズムを説明する理論体系の中でも、特に伝導電子が媒介する間接的な磁気結合を意味しており、磁性の代表的な起源の一つです。この名称は、理論を提唱・発展させた4人の物理学者、Ruderman、Kittel、Kasuya、Yosidaの頭文字に由来しています。この相互作用は、たとえるなら、自由に動ける伝導電子がボールのような役割を果たし、離れたスピン同士が“キャッチボール”をすることでお互いの存在を感じ取り、結びついていくようなものです。つまり、スピン同士が直接触れ合っていなくても、間を飛び交う電子が情報を“運ぶ”ことで、遠距離にあるスピン同士があたかも会話しているように、一定の磁気秩序(スピンの並び方)を生み出します。
(注6)磁気ドメイン
「磁気ドメイン」とは、電子スピン(電子が持つ小さな磁石)が一定の秩序を持ってそろっている局所的な領域のことです。磁性体の内部では、スピンの秩序が物質全体に均一に広がるわけではなく、異なる向きの秩序を持つ「かたまり」として分かれて分布しているのが一般的です。その一つ一つのかたまりが「磁気ドメイン」と呼ばれます。例えば、1つの磁石の中でも「こちら側は右向きに、あちら側は上向きに」スピンがそろっている領域があり、それらが境界を挟んでせめぎ合っています。磁気ドメインの挙動は、磁石の性質や記録デバイスの動作に大きく関わっており、特にスキルミオンを発現する磁性体では、磁気構造が柔軟で操作性が高く、ドメインのサイズや形が独特なふるまいを示すことが本研究により分かりました。
(注7)空間反転対称性
「空間反転対称性」とは、物質の構造を空間全体で反転(すべての座標 x, y, z を -x, -y, -z に反転)しても変わらない性質を指します。通常、磁性体ではこの対称性の有無が、電子やスピンのふるまいに大きく影響します。従来、スキルミオンと呼ばれる特殊な磁気構造は、空間反転対称性が破れた物質に特有の現象だと考えられてきました。しかし近年では、空間反転対称性を保つ対称な物質でもスキルミオンが形成されることが実験的に報告され、注目を集めています。
(注8)放射光
「放射光」とは、電子が光の速さに近いスピードで円形の軌道を回るときに、急激に方向を変えることで発生する、非常に強くて指向性の高い特殊な光です。この光には、通常の光源では得られないような広いエネルギー範囲(赤外線からX線まで)や、非常に高い明るさとコヒーレンス(波がそろった状態)という特徴があります。このような放射光は、専門の大型施設(「放射光施設」)で人工的に生成されます。加速器で光速近くまで加速された電子を磁石の力で曲げることで放出され、微細な構造や電子の動きを覗き見るための光として利用されます。物質中の電子の状態や電子構造、原子の並びや化学結合の様子などを極めて高精度に調べることができるため、物性物理学・材料科学・化学・生命科学など幅広い分野の最先端研究に欠かせないツールとなっています。
(注9)光電子分光
「光電子分光」とは、物質に高いエネルギーの光(紫外線やX線、放射光など)を当てることで、物質内部の電子を外に飛び出させ、そのエネルギーや運動の向きを測定することで、電子がもともと持っていた物質内部でのエネルギー状態を明らかにする手法です。特に「角度分解光電子分光(ARPES)」では、飛び出した電子の向きとエネルギーの両方を測定することで、物質中の電子の運動量とエネルギーの関係(電子構造)を“地図のように”描き出すことができます。一見すると、金属中を自由に飛び回っている電子たちは乱雑でバラバラなように見えますが、ARPESで観測すると、それらが驚くほど整然とした模様(電子構造やフェルミ面)として浮かび上がります。これは、電子がただの粒ではなく、規則正しい波としてふるまっていることを示しており、量子力学の本質を、目で見える形で映し出していると言えます。つまり光電子分光とは、美しい量子の世界を視覚化するレンズのようなものです。
(注10)フェルミ面
電子構造の中でも、最も高いエネルギーを持ち、最も勢いよく動き回る電子たちだけを集めて描いた分布図を「フェルミ面」と呼びます。電子の海でいえばちょうど“水際ライン”のようなものです。海の表面のように広がるフェルミ面は、電気的・磁気的な性質を左右する伝導電子の地図となり、固体物理学のあらゆる分野で重要な役割を担います。
(注11)ネスティング構造
「ネスティング」とは、フェルミ面の一部が、まるで線路のように等間隔に並び、ある方向に“コピーして少しずらす”と別の部分とぴったり重なってしまうような状態を指します。英語の“nest”(重ねる・巣に収まる)に由来し、電子同士が波長をそろえて動きやすくなる「共鳴の準備ができた状態」と言えます。こうしたネスティング構造があると、電子が特定の方向に集団的に動いたり、磁気や電荷の秩序が波のように現れたりするなど、物質の性質に大きな影響を与えます。つまり、ネスティングは、磁気構造を生み出す土台となり、スキルミオンのような特異な磁気現象の起点になることがあります。
(注12)擬ギャップ
「擬ギャップ」とは、本来であれば電子が存在しているはずのエネルギーの領域で、電子の数(密度)が部分的に減ってしまっている状態のことをいいます。「ギャップ」とは、絶縁体のように電子がまったく存在できないエネルギーのすき間を意味しますが、「擬」という言葉がついている通り、完全に空ではなく、あたかもギャップのように電子の数が少なくなっているという中間的な状態を指します。擬ギャップは、電子が磁気的な秩序やスピンのねじれ、集団的な揺らぎなどと強く相互作用することで生じます。つまり、電子が本来は自由に動けるはずのエネルギー領域にいながらも、何らかの理由で通りにくくなっている、あるいは足止めされているようなイメージです。本研究で観測された擬ギャップは、フェルミ面のネスティングによって、伝導電子が局在スピンと強く結びつき、特定の運動量の電子が見えなくなるように弱まったことを示す証拠であり、スキルミオン形成の背後にある磁気的な相互作用の強さを視覚的に示す重要なサインとなっています。
(注13)フェルミアーク
「フェルミアーク」とは、本来なら、なぞっていくと輪のように一周し閉じるはずのフェルミ面が、部分的に消失して、弧(アーク)のように、途中で途切れて見える状態のことです。この現象は、電子の自由な動きが何らかの相互作用によって妨げられていることを示しており、その原因の一つが「擬ギャップ」です。ある特定の運動量の電子がスピン構造や磁気秩序と強く結びつき、その領域で電子の存在が消されるように強度が弱くなると擬ギャップが生じるため、フェルミ面が途中で切れてしまったように見えるのです。つまり、フェルミアークは、擬ギャップがどこでどのように開いているかを視覚的に示すサインとも言えます。これは、スキルミオンのような得意な磁気構造が形成される背景にある、電子とスピンの強い相互作用を捉える重要な観測結果です。
(注14)非共線
「非共線(ひきょうせん)」とは、磁性体の中で電子スピンが、一列にまっすぐそろっているのではなく、空間の中でそれぞれ異なる方向を向いている状態を指します。例えば、すべてのスピンが上向き(あるいは交互に上下)にそろっている状態は「共線的(きょうせんてき)」と呼ばれ、一般的な磁性で見られます。一方、「非共線的」な状態では、スピンが右にねじれたり、斜めに傾いたりしながら複雑に並ぶため、スピン同士が直線的にはそろっていない“ねじれた”構造になります。スキルミオンは、まさにこの非共線的なスピン配置の代表例です。中心から外側に向かってスピンの向きがなめらかに回転し、ドーナツ状の“渦”を形成しているため、スピンの向きは空間の中で常に異なっています。このような非共線的構造があることで、スキルミオンはトポロジーによって守られた安定な磁気構造となります。

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(公開日: 2025年05月09日)