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左右の破れと磁性の不思議な関係 ―非磁性キラル絶縁体の熱伝導が磁性に変換される理論を構築―

東京大学
慶應義塾大学

発表のポイント

  • キラルな物質(鏡映対称性の破れた物質)中の原子振動がスピンを作りだす機構を提案
  • 磁性を持たない絶縁体に温度差をつけるだけで隣の金属にスピンを注入可能
  • 重元素を用いない環境にやさしいスピントロニクス素子の開発により高機能かつ低消費電力なデバイスの実現に貢献

発表概要

東京大学物性研究所の加藤岳生准教授、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(スピントロニクス研究開発センター)の船戸匠特任助教(研究当時)、中国科学院大学カブリ理論科学研究所の松尾衛准教授らによる研究グループは、キラルな結晶(注1)に熱を流すことで隣接する金属へスピン(注2)が流入するという最近の実験結果をよく説明する、新たな理論を構築しました。物質中の原子振動(注3)によって生じる結晶の局所回転が、物質中の電子のスピンを一定の方向に揃える効果をもたらすことに着目し、原子振動とスピンの新しい結合機構を解明しました。さらに本機構を利用して、キラル物質から金属へ注入される単位時間あたりのスピンの量を定式化しました。

物質のキラリティ(注4)によって生じるスピン誘起現象は、キラリティ誘起スピン選択性(注5)と呼ばれます。キラリティ誘起スピン選択性はスピントロニクス素子(注6)の新しい動作原理として、近年盛んに研究が行われており、本研究はその発現機構の解明に向けた重要な一歩となります。また、高性能のスピントロニクス素子には重元素(注7)が必要とされてきましたが、本研究で解明したキラリティ誘起のスピン生成機構は重元素を必要としないため、重元素を用いない環境にやさしいスピントロニクス素子の開発に大きく貢献すると期待されます。

本成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」6月6日3日付(現地時間)のオンライン版に掲載されました。

※2024年6月7日、論文掲載日を修正しました。

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アイキャッチ図

本研究で明らかにした、キラルな絶縁体に温度差をつけたときのスピン流生成の模式図。

発表内容

研究の背景

右手を鏡に映すと左手と同様の形に見えますが、左手と右手は重ね合わせることができません。これと同様に、自然界には鏡に映した形が元の物質に戻らない物質(キラルな物質)が存在します。例えば、らせん構造を持つDNAやアミノ酸・糖はキラルな物質として知られています。最近、DNA上を電子が移動していくと、電子のもつスピン(小さな磁石)の向きが一方向に揃う現象がイスラエルのグループによって報告されました。電子のスピンの向きが揃うと物質は磁石の性質(磁性)をもつようになりますが、このときの磁石の向きは結晶構造のキラリティ(右手系か左手系か)により決定されます(図1)。この現象はキラリティ誘起スピン選択性(Chirality-Induced Spin Selectivity, CISS)と呼ばれ、物質のキラリティと磁性が直接結びつく重要な発見となりました。現在も多くの研究が行われていますが、なぜキラルな物質がスピン選択性を有するのかについて、未だにはっきりとした理由はわかっていません。

固体物理の分野でも同様の現象が観測されています。例えば、石英ガラス(クォーツ)のような結晶も室温で右手系と左手系にあたる二種類の結晶構造が存在し、やはりキラル物質となっています。ごく最近になって、石英ガラスに温度差をつけて熱を流したときに、隣接する金属へ電子のスピンが流入し、金属中のスピンがある方向に偏極することで磁性を獲得する現象が観測されました。これもキラリティ誘起スピン選択性の一種と考えられますが、なぜ磁性を全くもたない石英ガラス中の熱の流れがスピンへと変換されるかについて、明確な理由がわかっていませんでした。

図1

図1:キラリティ誘起スピン選択性(Chirality-Induced Spin Selectivity, CISS) の模式図。(a)右巻きのらせん構造を含む物質では、図のように右向きに電子が移動するにつれて一方の方向を向いたスピンの電子(青色)が多くなる。(b)逆に左巻きのらせん構造を含む物質では、右向きに電子が移動するにつれて他方のスピンの電子(赤色)が多くなる。
研究の内容

本研究では、石英ガラスのような磁性をもたないキラル物質の絶縁体と金属との間の接合系を理論的に考察しました(図2(a))。キラル物質に温度差をつけると、キラル物質中の原子振動(音波)によって熱が運ばれます。固体中の原子振動は局所的に結晶を回転させる場合がありますが、今回は、この結晶の回転運動に着目しました。磁石ではない物質を回転させると、物質中の電子のスピン(小さな磁石)が揃うことがすでに知られています(図2(b))。これを「磁気回転効果」(注8)と呼びます。本研究では、固体中の原子振動によって結晶の回転が発生することで、局所的な磁気回転効果が生まれ、電子のスピンの向きが揃うことで固体の磁性に影響を及ぼしうることを初めて明らかにしました。これは従来の理論では見逃されていた機構であり、特に軽元素で重要な役割を果たすと期待されます。

さらにこのスピンと原子振動の結合機構を利用して、キラル物質から金属に単位時間あたりに注入されるスピンの量を定式化しました。最終的に得られた理論式は物質のキラリティに依存する形になっており、キラルでない物質ではスピンが注入されないことが明確になりました。さらにこの式を用いて、石英ガラスに対する実験を想定した見積もりを行うと、既存の実験結果を十分に説明しうる程度のスピンの注入量を得ることができました。

図2

図2:(a)本研究で考察したキラルな絶縁体と非磁性金属の接合系の模式図。絶縁体に温度差をつけて熱を流したとき、接触している金属に接合を介してスピンが流れる。(b)磁気回転効果の模式図。磁性のない物質を回転させると、物質中の電子のスピンが揃うことで磁性が生まれる。
今後の展望

本研究の成果はキラル物質を用いたスピントロニクス素子の開発に貢献すると期待されます。従来の研究では、原子振動によって原子間の距離や角度が変化することを通して、電子と原子振動の結合が議論されてきましたが、スピンと原子振動が結合するためには重元素を含む物質で生じる相互作用(スピン軌道相互作用)を必要としました。しかしながら、本研究のような結晶の局所的な回転によるスピンと原子振動の結合では、スピン軌道相互作用を必要としないため、重元素を含まない物質でも有効に働きます。よって、重元素を用いない新しいタイプのスピントロニクス素子の開発に向けた重要な第一歩となると考えられます。またこれまで物理機構が明確でなかったキラリティ誘起スピン選択性の研究に新しい視点を提供すると期待されます。

発表者

  • 東京大学物性研究所
    • 加藤 岳生 准教授
  • 慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(スピントロニクス研究開発センター)
    • 船戸 匠 特任助教(研究当時)
  • 中国科学院大学カブリ理論科学研究所
    • 松尾 衛 准教授

論文情報

  • 雑誌名 : Physical Review Letters
  • 題名 : Chirality-induced phonon-spin conversion at an interface
  • 著者名 : Takumi Funato, Mamoru Matsuo, and Takeo Kato*
  • DOI:10.1103/PhysRevLett.132.236201

研究助成

本研究は、「基盤研究(A)(課題番号:21H04565, 24H00322)」、「基盤研究(B)(課題番号:21H01800, 23H01839)」、「基盤研究(C)(課題番号:24K06951)」の支援により実施されました。

用語解説

(注1)キラルな結晶 :
鏡に映した結晶が元の結晶と一致させることができないような結晶のこと。例えばらせん構造が含まれる結晶では、右巻きらせん構造を鏡に映すと左巻きらせん構造となり、元の結晶と一致しなくなる。
(注2)電子のスピン :
電子は小さい磁石として振る舞うことが知られており、その磁石の大きさ(磁気モーメント)を記述する物理量をスピンと呼ぶ。多くの永久磁石では、固体中の電子のスピンが一方向に揃うことで生じる。
(注3)原子振動 :
固体中の原子は釣り合いの位置の周りで振動運動を行っており、温度が上昇するにつれて振動が激しくなる。これを原子振動と呼ぶ。原子振動は一般に音波の重ね合わせとして記述されるが、固体中ではさらに量子力学によって量子化され、フォノンと呼ばれる励起によって記述される。絶縁体では熱の流れ(熱伝導)は主にフォノンの流れによって記述される。
(注4)キラリティ :
右巻き・左巻きの対称性が破れていることに起因するキラルな物質のもつ特性のこと。
(注5)キラリティ誘起スピン選択性 :
キラルな物質中を電子が移動するときに、電子のもつスピンが進行方向に対して平行(同方向)あるいは反平行(逆向き)に揃うという効果のこと。
(注6)スピントロニクス素子 :
電子のスピン(磁石の性質)を利用したさまざまなデバイス素子のこと。これまでにない高機能かつ低消費電力なデバイスの実現のために、研究開発が活発に行われている。
(注7)重元素 :
原子番号の大きい元素のこと。一般に環境への影響が大きく、産出量の少ない元素も多いため、重元素を用いない材料の開発が求められている。
(注8)磁気回転効果 :
物体を回転させると電子スピンの向きが揃う、あるいは逆にスピンの向きを変えると物体が回転する現象で、20世紀初頭にアインシュタインらによって発見された。

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(公開日: 2024年06月04日)