スピンホール効果の周波数特性を初めて計測、材料評価へ新たな道筋
東京大学物性研究所の藤本知宏 大学院生、室谷悠太 助教、神田夏輝 助教(現:理化学研究所)、松永隆佑 准教授らの研究グループは、同研究所の栗原貴之 助教、玉谷知裕 JSTさきがけ専任研究員、金昌秀 特任研究員、吉信淳 教授、秋山英文 教授、加藤岳生 准教授らと協力して、室温の半導体GaAsにおける電子のスピンホール伝導度をスペクトルとして計測し、スピンホール効果の周波数特性を初めて実験的に評価することに成功しました。
固体に電場をかけると、電場と平行方向に電子が動いて電流が流れます。ただし電子には上向きと下向きのスピンを持った2種類の電子が存在し、図(a)に示すようにそれぞれ電場とは垂直な方向に対して逆向きに動きます。この結果、電場と垂直方向にはスピンの流れ、つまりスピン流が生じることが知られており、これはスピンホール効果と呼ばれています。もしスピンが偏った電子を注入すると、電場と横方向に電流が流れることになり、こちらはスピン流から電流へと変換することに相当するため逆スピンホール効果と呼ばれています。2004年に初めて半導体GaAsで観測されて以来、スピンホール効果は電流とスピン流の相互変換を可能にする重要な現象としてスピントロニクス分野で盛んに研究されてきました。
スピンホール効果は、(i)電子の波動関数のトポロジカルな性質を反映した内因的機構、(ii)電子の経路が不純物によって横ずれするサイドジャンプ機構、(iii)電子が不純物によって斜めに散乱されるスキュー散乱など、三つの異なるメカニズムによって生じることが知られています。これらが互いに競合してスピンホール伝導度を与えるため、明確に区別することは決して簡単ではありません。従来のスピンホール効果の研究は、定常的な、周波数ゼロ極限の電場や電流に対して計測されるものばかりでしたが、本研究ではスピンホール伝導度をテラヘルツ周波数帯で計測することに挑戦しました。上に挙げた三つのメカニズムはそれぞれ周波数依存性が質的に異なると考えられるため、スピンホール伝導度の周波数変化、つまりスピンホール伝導度スペクトルを計測することができれば、三つのメカニズムを分離して理解できることが期待されます。
藤本知宏 大学院生らは、室温の半導体GaAsに近赤外の円偏光パルスを照射してスピンの向きが偏った電子と正孔を注入し、その伝導度をテラヘルツ時間領域分光によって計測する実験を行いました。特にテラヘルツパルスの偏光方向に注目し、10 μrad以下の精度で偏光回転角を非常に精密に計測する実験を実現しました。その結果、スピンが偏った電子がテラヘルツ電場とは垂直方向にも動いたことによって放射される電磁波を明確に捉えることに成功しました(図(b))。その信号の解析から、テラヘルツ周波数帯におけるスピンホール伝導度の周波数変化を計測することに成功しました。
さらに理論計算と比較した結果、(i)内因的機構、(ii)サイドジャンプ機構、(iii)スキュー散乱の三つの計算結果の和と実験結果が定性的にも定量的にも非常によく一致することがわかりました。その結果、三つの寄与をそれぞれ明確に分離することに成功しました。半導体GaAsのスピンホール効果は、従来調べられてきた周波数ゼロ極限では不純物によるサイドジャンプ機構が支配的ですが、本研究で調べたテラヘルツ周波数の速い電場に対しては、特に伝導度実部について内因的機構が支配的になることが実証されました。
最近はスピン歳差運動がテラヘルツ周波数帯にある反強磁性体の研究が進むとともに、テラヘルツ周波数帯における高速スピントロニクスが注目を集めています。本研究成果は、テラヘルツ周波数帯のスピンホール効果を非接触に計測して発現機構を特定し、材料が持つスピン輸送のパラメーターを定量評価する手法として大きく貢献することが期待されます。
本研究の成果は、2024年1月4日に米国科学誌『Physical Review Letters』にオンライン掲載され、Editors’ Suggestionに選出されました。
発表論文
- 雑誌名:Physical Review Letters
- 論文タイトル:Observation of Terahertz Spin Hall Conductivity Spectrum in GaAs with Optical Spin Injection
- 著者:Tomohiro Fujimoto, Takayuki Kurihara, Yuta Murotani, Tomohiro Tamaya, Natsuki Kanda, Changsu Kim, Jun Yoshinobu, Hidefumi Akiyama, Takeo Kato, and Ryusuke Matsunaga
- DOI:10.1103/PhysRevLett.132.016301