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スピンと軌道の「量子もつれ」の巨視的効果の発見と、その制御に成功

図1:プラセオジム酸化物Pr2Zr2O7の単結晶写真。透き通る緑色が美しい結晶です。

量子コンピュータや量子センサなど、新しい量子技術の開発には巨視的に現れる量子もつれ(注1)の効果の観測とその制御が鍵となります。さらなる技術開発に向けて、その操作の簡便性から磁性体での巨視的量子もつれの観測と制御の実現が望まれていました。東京大学理学系研究科物理学専攻 唐楠特任研究員(研究当時)、ミンシゥエンフゥ特任研究員、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 酒井明人講師と東京大学大学院理学系研究科物理学専攻・物性研究所およびトランススケール量子科学国際連携究機構の中辻知教授は、東京大学大学院新領域創成科学研究科の木村健太助教、および、米ジョンズホプキンズ大学、独マックスプランク研究所、独ドレスデン高磁場研究所、印Tata Institute of Fundamental Research、名古屋大学らとの国際共同研究により、磁性イオンのプラセオジム(Pr)がパイロクロア格子(注2)を成す酸化物Pr2Zr2O7(図1)において、スピンと軌道の量子もつれによりスピン軌道ダイナミクス(注3、図2)が極低温まで生き残り、トポロジカルな磁性状態である量子スピンアイス状態(注4、図3)が実現していることを確認しました。さらに、その量子もつれの巨視的効果を磁場で制御するメタ磁性転移(注5)の観測にも成功しました。

fig2

図2:Pr2Zr2O7の非クラマース二重項状態において、スピンと軌道が量子もつれしている模式図。Sx, Sy成分である軌道成分とSz成分であるスピン成分の両方を持ち合わせています。Sx, Sy成分は格子歪(εx, εy)と直接結合し、Sz成分は磁場(Bz)と直接結合します。NとSはスピンの向きを示しています。古典的なスピンアイスでは横揺らぎの成分であるSx, Sy成分は存在せず静的な基底状態を取りますが、量子スピンアイスではこのSx, Sy成分が量子揺らぎの源になっており、動的な基底状態を実現します。
fig3

図3:スピンと軌道の量子的な絡みあいが結晶格子の歪みを通じて実現する機構の模式図。下の二つの正四面体は異なる2-in,2-out相関を持つスピンアイス状態。 上の二つの四面体は、二種類の格子歪みにより変形しています。 Pr2Zr2O7は、この変形状態を通して異なるスピンアイス状態の間を量子力学的に行き来する(=量子揺らぎ)ことができ、量子スピンアイス状態を安定化させていると考えられます。

固体中の電子のスピンや軌道は、高温では全く無秩序に振るまうのに対して、低温では一定のパターン(=長距離秩序)を形成することが知られています。しかし、量子もつれ(スピンと軌道が両方揺らぐ特異な液体状態)を巨視的に観測するには、上記のような秩序を全て抑える条件を満たす物質を見つけた上で、さらに、その極めて純良な試料と精密な極低温測定を行う必要があります。そのため、その実現は長らく不可能であると考えられていました。

当研究グループは、高純度のPr2Zr2O7単結晶の合成に初めて成功し、精密な極低温熱力学測定を幅広く行いました。さらに理論面の検証を踏まえ、スピンと軌道の量子もつれによるスピン軌道ダイナミクスが量子スピンアイス状態を安定化させていることを見出しました。この量子スピンアイス状態は、高エネルギー物理分野で探索が続いている電気モノポール、磁気モノポールと等価な準粒子(注6)が固体の中で安定化しているトポロジカルに新しい状態であり、量子もつれの実験的制御を調べるうえで恰好の舞台となります。本研究は今後、スピン軌道液体状態を実現する物質設計の指針になることや、新規な励起の発見に貢献すると期待されています。本研究成果は英国科学誌「Nature Physics」の2022年12月1日号に掲載されました。

理学系研究科発表のプレスリリース

発表雑誌:

  • 雑誌名:Nature Physics
  • タイトル:Spin-orbital liquid state and liquid gas metamagnetic transition on a pyrochlore lattice
  • 著者: N. Tang, Y. Gritsenko, K. Kimura, S. Bhattacharjee, A. Sakai, M. Fu, H. Takeda, H. Man, K. Sugawara, Y. Matsumoto, Y. Shimura, J. -J. Wen, C. Broholm, H. Sawa, M. Takigawa, T. Sakakibara, S. Zherlitsyn, J. Wosnitza, R. Moessner, S. Nakatsuji
  • DOI番号:10.1038/s41567-022-01816-4
  • アブストラクトURL:https://www.nature.com/articles/s41567-022-01816-4

用語解説:

(注1)量子もつれ
物質を構成する小さい粒子同士が互いに強く結びつく現象。 一旦二つの粒子に量子もつれの関係ができると、どんなに遠く引き離されても片方の粒子の状態が変化すると同時に、もう一方の粒子の状態も瞬時に変化します。この量子もつれ状態を操作することができれば、量子暗号技術を含め、様々な技術に応用することができます。
(注2)パイロクロア格子
正四面体が頂点共有をして連なった結晶格子のことを指します。パイロクロア磁性体では、磁性イオンが各正四面体の頂点に位置します。
(注3)スピン軌道ダイナミクス
スピンとは、自転に譬えられる電子の自由度で、磁性体における微小な磁石(磁気モーメント)のことを言います。磁性体は通常巨視的な数のスピンが、何らかのパターンに整列する磁気秩序を示します。典型的な例として、スピンが一様な方向にそろう強磁性体と、隣り合うスピンが反平行に配列する反強磁性体があります。軌道とは、結晶中の一電子の運動状態を表わす波動関数であり、おおざっぱには電子が存在する領域と捉えることができます。軌道は種類によって異なる形を持ちます。スピン軌道ダイナミクスとは、スピンと軌道がお互いに影響を及ぼしあい揺らいでいる様のことを言います。
(注4)スピンアイス
常圧において氷はパイロクロア格子構造をとり、共有する二つの正四面体の中心に位置するO2-イオン一つに対して、近隣の四つの水素イオンH+のうち二つが近くに、残りの二つは遠くにいる配置条件(=アイスルール)を満たしています。同様な状況は、H+イオンの変位を上下二方向にしか向かないスピン(イジングスピン)に置き換えたスピンアイスと呼ばれる磁性体にも現れます。スピンアイスでは正四面体の頂点にイジングスピンが配置されており、四つのイジングスピンのうち、二つは正四面体の内側を向き、残りの二つは外側を向きます(=アイスルール)。この構造を“2-in, 2-out”と呼びます。
量子スピンアイスとは、量子力学的効果(図2に示す横ゆらぎSx, Sy成分)が加わり、異なる2-in, 2-out構造間を量子力学的にトンネルさせている磁性状態です(図3)。また、量子スピンアイスは従来の磁性体のような古典的な長距離秩序ではなくトポロジカルな秩序を有しており、まったく乱雑な状態とは一線を画しています。さらに、このトポロジカルな性質による新奇な準粒子(注6)の存在が予言されており、基礎物理のみならずデバイス開発の応用面からも注目を浴びています。
(注5)メタ磁性転移
磁場を印加し、ある磁場で磁化が急激に増大する現象のことを指します。スピンアイスを特徴づける現象の一つです。
(注6)準粒子
一つの粒子が全体として最もエネルギーの低い量子状態(基底状態)から外れて動きだすと、周囲の粒子も影響されて動きだします。このような運動は一見一粒子の運動のように見えるので、準粒子と呼ばれます。物体が水の中を通過するとき、周りの水は物体に道をあけるように流れますが、準粒子は周囲の流れを伴って動く物体のようなものと思えばよいでしょう。量子スピンアイスでは、「フォトン」、「電気モノポール」、「磁気モノポール」の三種類の準粒子が現れると予言されております。そのうちとりわけ磁気モノポールが注目を浴びています。磁石のS極とN極を分割することはできないと信じられてきましたが、大統一理論では、宇宙初期の高エネルギー状態ではS極とN極が別々である磁気モノポールが存在していたと考えられていました。しかし、決定的な実験の観測には至っていません。スピンアイスにおける磁気モノポールは、高エネルギー物理分野で探索されてきた素粒子と酷似した性質を持つ準粒子であり、それゆえ固体物理学者のみならず高エネルギー物理学者を含め、幅広い研究者から大きな注目を集めています。
(公開日: 2022年12月01日)