Home >  ニュース > 赤外光を照射した半金属における巨大屈折率分散の発見と機構解明 -金属系物質による室温スローライト生成の道筋を開拓-

赤外光を照射した半金属における巨大屈折率分散の発見と機構解明 -金属系物質による室温スローライト生成の道筋を開拓-

東京大学
科学技術振興機構

  • 金属と絶縁体の中間の性質を持つ半金属に、ある周波数の赤外光を照射すると、その周波数の前後で強い光の吸収と増幅が生じるようになり、屈折率が周波数に対して急峻に変化する巨大屈折率分散が起こることを発見した。
  • この巨大屈折率分散は誘導レイリー散乱と呼ばれる非線形光学効果の一種であり、電子の集団によるプラズマ振動がこの効果を著しく増大させていることを、精密な分光実験と理論計算によって明らかにした。
  • 本発見は、金属的な物質を使った室温での無散逸スローライト(遅い光)生成など新技術への応用が期待される。

発表概要:

東京大学物性研究所(所長:森初果)の室谷悠太 特任研究員、神田夏輝 助教および松永隆佑 准教授らの研究グループは、同研究所の池田達彦 助教、吉信淳 教授および小林洋平 教授ら、および米国の研究グループと協力して、半金属に赤外光(注1)を照射すると光学的性質が劇的に変化して巨大な屈折率分散(注2)が生じることを発見し、そのメカニズムを解明しました。

固体材料は自由に動き回る電子の有無によって金属と絶縁体に大別することができ、それぞれ全く違った光応答を示します。しかし、金属と絶縁体の中間のような性質を持つ半金属の場合には、金属的な応答と絶縁体的な応答の両方が起こって互いに影響を及ぼすため、強い光を当てたときに何が起こるかはよく理解されていません。本研究では、物性研究所で開発された精密な分光技術を駆使して、近年トポロジカル半金属(注3)と呼ばれて注目されているヒ化カドミウムに一定の周波数を持つ強い赤外光を照射し、光応答の変化を詳細に調べました。

図1 スローライト生成の概念図
ポンプ光が半金属の中の電子にエネルギーを与えて結合することで、半金属中を通過する光子の伝搬速度が遅くなる様子を表す。

その結果、赤外光の周波数よりわずかに低周波側では光吸収が著しく増大する一方、わずかに高周波側では逆に吸収が減少してむしろ光が増幅されることを発見しました。このとき屈折率が周波数に対して非常に急峻に変化するという、巨大な屈折率分散を示すことも分かりました。詳細な理論計算と比較することで、この特異な現象は、誘導レイリー散乱と呼ばれる非線形光学効果(注4)が自由電子のプラズマ振動の影響を受けて増大したものであることを明らかにしました。このように巨大な屈折率分散を持つ物質を使うと、スローライト(遅い光)を生成できることが知られており、光情報処理における応用が期待されています。従来のスローライト生成技術に関する類似の研究では、光吸収が起こりにくい絶縁性物質を極低温まで冷却する例がよく知られていますが、本研究では、散逸が起こりやすい金属的な物質を使って、室温で無散逸スローライト生成を可能にする道筋を示しました(図1)。今後このような半金属の非線形性を通して更なる新規機能性が開拓されることが期待されます。本研究成果は国際科学雑誌Physical Review Lettersの2022年11月10日付けオンライン版に公開されました。

全文PDF

発表内容:

① 研究の背景

物質に光が当たったときに何が起こるかは、多くの場合、電子によって決まります。特に波長の長い光、つまり赤外光に対する応答は物質固有の性質を反映しやすく、さまざまな応答が現れます。しかし、金属と絶縁体の中間のような性質を持つ半金属に強い光を当てた場合の応答はよく理解されていません。物性物理学の研究分野では、2014年頃から、質量ゼロの電子が出現するトポロジカル半金属に注目が集まっています。物質のトポロジー(注3)を反映した非自明な電子状態が出現することに注目した基礎研究に加えて、大きな非線形光応答を活用して、超広帯域かつ高速の光検出器開発、超短パルスレーザー発振や周波数変換を可能にする光学素子開発など、赤外域でのさまざまな応用が期待されています。

強い光パルスが物質に当たった瞬間に何が起こっているのかを調べるためには、100フェムト秒(10兆分の1秒)以下の時間スケールで応答を計測することのできる超高速分光技術が重要です。しかし、光電場に対する物質の応答には、光を吸収せず電荷が偏るだけの応答と、光を吸収してエネルギーが物質に移る応答の2種類が混在しているため(注4)、両者を分離して調べる必要があり、精密な実験は容易ではありません。特に周波数の低い赤外域では、利用可能な光源や検出方法が限られるために、応答の超高速な時間変化を精密に調べることは困難でした。松永准教授らの研究グループでは、赤外光の中でも特に周波数が10から50 テラヘルツ(THz)程度(波長にして6から30マイクロメートル程度)の帯域に注目して研究開発を進めてきました。この帯域はマルチテラヘルツ帯(注5)とも呼ばれ、他の帯域と比べて技術の進展が遅れていたのですが、最近になって物質の性質を光でコントロールするうえで非常に重要であることがわかり、大きく注目されています。松永准教授らのグループでは、マルチテラヘルツ帯における高強度パルス光源の開発や、この帯域で物質の応答を精密に広帯域計測できる分光技術を開発し、研究を推進してきました。

② 研究内容

本研究で松永准教授らの研究グループは、トポロジカル半金属の代表的な物質として知られるヒ化カドミウムCd3As2薄膜に注目しました。ヒ化カドミウムの中の電子は質量が非常に軽く、一部の電子が実効的に質量ゼロとして振る舞うことが2014年頃に発見されて以来、その性質に注目が集まっています。神田助教と室谷特任研究員は、周波数30 THzの高強度マルチテラヘルツパルスをヒ化カドミウムに照射(ポンプ)し、応答の変化を12-45 THzの広帯域で精密に計測(プローブ)する実験システムを開発し、ポンププローブ分光測定を行いました(図2)。その結果、ポンプの周波数よりわずかに下の28 THzでは光吸収の増大が生じるのに対し、わずかに上の31 THzでは逆に吸収が減少してむしろ光が増幅されることを発見しました(図3(a))。このときヒ化カドミウムの屈折率も周波数に対して急峻に変化するという、巨大な屈折率分散を示すことを明らかにしました(図3(c),(d),(e))。

fig2

図2 研究内容の模式図
(a)ヒ化カドミウム薄膜に対して周波数30 THzの強いマルチテラヘルツポンプパルス(図中、狭帯域ポンプ)を照射し、その際の複素応答関数の変化を12-45 THz帯の周波数成分からなる広帯域プローブパルスによって計測する。(b)ヒ化カドミウムのバンド構造の模式図。黒の曲線が交差する点の付近において電子は質量ゼロとして振る舞う。緑色は電子分布を示す。周波数30 THzのポンプパルスによってバンド間遷移を引き起こすことができる。

室谷特任研究員は、非線形光学効果の一種として知られる誘導レイリー散乱を考えることで、この振る舞いを説明できることを突き止めました。一般的には、誘導レイリー散乱は他の非線光学効果と比べて影響はそれほど大きく現れません。しかし半金属における赤外応答の場合は、光を照射することでプラズマ振動の共鳴周波数が変わることの影響を受けて、誘導レイリー散乱が著しく増強されることを発見しました。さらに室谷特任研究員と池田助教は、量子力学的な微視的モデルによる理論計算でも、巨大な屈折率分散が再現されることを確認しました(図3(b))。これまでにも類似の状況を想定した理論研究が行われていましたが、この屈折率分散は予想されていませんでした。その要因は、従来の研究が電子の質量をゼロと近似していたためと考え、室谷特任研究員はヒ化カドミウムが持つ現実的なバンド構造から計算することで、電子の有限の質量に由来する反磁性電流(注6)の寄与によって屈折率分散が生じるというメカニズムを明らかにしました。さらにこの微視的モデルから出発して、従来の非線形光学で知られる誘導レイリー散乱の現象論的モデルを導出することにも成功しました。

fig3

図3ヒ化カドミウムにおける応答関数の変化
(a)光学伝導度実部の変化を計測した実験結果。28 THzにおいて巨大な吸収ピークが出現し、31 THzでは逆に吸収が減少して負の値に達している。(b)微視的モデルによる光学伝導度の理論計算。青は常磁性電流、赤は反磁性電流の寄与を表す。(c),(d),(e)ヒ化カドミウムの屈折率、消衰係数および群屈折率スペクトルの実験結果。点線は光照射前の値を示す。消衰係数がゼロまたはそれ以下の値を示す周波数において群屈折率が300を超えることを示している。
③ 社会的意義・今後の予定 など

本研究によって、半金属に強い赤外光を照射することで巨大な屈折率分散が室温で現れることが見出されました。屈折率分散が大きい物質中では、光パルスの伝搬速度が遅くなります。極端に遅くなった光はスローライトと呼ばれ、光情報処理を行う際に必要に応じて信号を待機させることができるため、光情報処理技術における信号の圧縮や光バッファーおよび光メモリーとしての応用が期待されています。本研究では、半金属が巨大な屈折率分散を示す周波数において光吸収の抑制が同時に起き、スローライトが減衰することなくむしろ増幅されながら伝搬できる可能性を示しました。スローライトを伝搬させるには物質自身による光吸収を防ぐことが重要であるため、従来は光吸収が起こりにくい絶縁性の物質を、さらに極低温まで冷やして行う研究が主流でした。また、金属的な物質では通常はどの周波数の光であっても常に光吸収が起こるため、スローライトの研究はこれまでほとんど行われていませんでした。今回の成果は、室温でスローライト生成を可能にする道筋を示したと言えます。またスローライトを生成できる周波数帯域も、従来法と比べて大きな100ギガヘルツ程度に達し、高速情報処理を実現する上で有利になることが分かりました。ポンプ光源の単色性を高めることで、屈折率分散をさらに大きくすることも可能です。このような大きな屈折率分散が生じる起源として電子の質量が有限であることの重要性も示されたため、ヒ化カドミウムに限らず、多くの半金属において同様の性質が現れると期待されます。

また本研究は、一定の周期の光電場を与えて物質を制御するという点で、近年盛んに理論的研究が進められているフロッケエンジニアリング(注7)を、物質の応答という観点から実験的に観測したことにも相当しています。本研究によって半金属が示す赤外域での巨大な非線形応答とその機能性について新たな切り口が見出され、今後もさらに理解と応用先が広がることが期待されます。

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「トポロジカル材料科学と革新的機能創出」研究領域(研究総括:村上 修一)における研究課題「トポロジカル半金属を用いたテラヘルツ高速エレクトロニクス・スピントロニクス素子開拓」課題番号 JPMJPR20LA(研究者:松永 隆佑)、さきがけ「革新的光科学技術を駆使した最先端科学の創出」研究領域(研究総括:田中 耕一郎)における研究課題「ベクトル波形制御された高強度高周波テラヘルツパルスによる物質制御」課題番号 JPMJPR2006(研究者:神田 夏輝)、CREST「新たな生産プロセス構築のための電子やイオン等の能動的制御による革新的反応技術の創出」研究領域(研究総括:柳 日馨)における研究課題「時空間で精密制御した輻射場による表面反応プロセス」課題番号 JPMJCR20R4(研究者:吉信 淳)、並びに文部科学省 科学研究費補助金 基盤研究(B)における研究課題「モノサイクル高強度テラヘルツ磁場発生技術開拓とワイル磁性制御」課題番号 19H01817(研究代表者:松永 隆佑)、若手研究における研究課題「テラヘルツ分光によるワイル反強磁性体の電磁応答の解明と高速制御」課題番号 20J01422(研究代表者:松田 拓也)、基盤研究(A)における研究課題「位相制御したテラヘルツバルスによるレアイベント表面プロセスの駆動」課題番号 20H00343(研究代表者:吉信 淳)、若手研究における研究課題「散逸と駆動の下にある量子多体系の理論的記述と応用」課題番号 21K13852(研究代表者:池田 達彦)の一環として行われました。また文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)における研究課題「次世代アト秒レーザー光源と先端計測技術の開発(ATTO)」 課題番号 JPMXS0118068681において開発された光源技術が一部使われました。

本研究チーム構成員:
  • 室谷 悠太(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 特任研究員)
  • 神田 夏輝(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 助教/科学技術振興機構 さきがけ研究者)
  • 池田 達彦(東京大学物性研究所 物性理論研究部門 助教)
  • 松田 拓也(日本学術振興会特別研究員(PD))
  • 吉信 淳 (東京大学物性研究所 機能物性研究グループ 教授)
  • 小林 洋平(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 教授)
  • 松永 隆佑(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 准教授/科学技術振興機構 さきがけ研究者)

発表雑誌:

  • 雑誌名:「Physical Review Letters」
  • 論文タイトル:Stimulated Rayleigh Scattering Enhanced by a Longitudinal Plasma Mode in a Periodically Driven Dirac Semimetal Cd3As2
  • 著者:Yuta Murotani†*, Natsuki Kanda†*, Tatsuhiko N. Ikeda, Takuya Matsuda, Manik Goyal, Jun Yoshinobu, Yohei Kobayashi, Susanne Stemmer, and Ryusuke Matsunaga* (†: Equal contribution, *: 責任著者)
  • DOI番号:10.1103/PhysRevLett.129.207402

用語解説:

(注1)赤外光
人間が目視できる光の波長はおよそ0.4から0.8 μm程度であり、それより波長の長い、つまり周波数の低い光は、総称して赤外光と呼ばれます。赤外光の中でも、波長300 μmの光は周波数1 THzに相当し、この周辺の帯域の光はテラヘルツ光と呼ばれています。
(注2)屈折率分散
白い光がプリズムに入射すると、様々な色の光へと別れて違う方向へ伝搬する、つまり分光されることが知られています。これは物質の屈折率が光の波長(周波数)ごとに違う値をとることに起因しており、この性質を分散と呼びます。屈折率分散の大きさを示す度合として、群屈折率という物理量が用いられますが、これは物質中における光パルスの伝搬速度が真空中と比べて何分の一になるかを与えます。
(注3)トポロジー・トポロジカル半金属
近年、物質をその電子状態の幾何学的な性質(トポロジー)の観点から分類する研究が盛んに行われ、ディラック半金属やワイル半金属と呼ばれる特異な物質群に注目が集まり、総称してトポロジカル半金属と呼ばれるようになりました。トポロジカル半金属の特徴の一つとして、電子の運動エネルギーと運動量が比例するという線形のエネルギー分散関係が挙げられます。このとき電子の質量はゼロと見なすことができ、特殊相対性理論に従う特異な応答が出現します。ただし質量ゼロと見なせる領域はバンド構造の中の低エネルギー領域に限られることには注意が必要です。
(注4)光電場に対する物質の応答・非線形光学効果
光電場に対して物質がある時刻に示す応答は、それより前のすべての時刻の光電場の影響を受けるため、電場と応答の関係は時間軸上では非常に複雑です。この物質の応答を周波数軸上で捉えると、ある周期の振動電場に追随して即時的に電荷の偏り(電気分極)が生じる応答と、光を吸収してエネルギーが物質に移る応答に分けて考えることができます。この二つが、応答関数を複素数として定義した時の実部と虚部に対応しています。通常の分光測定では、実部と虚部が混ざった応答を計測することになりますが、本研究で用いられた時間領域分光測定では、実部と虚部を同時にかつ分離して計測することができるという特色があります。
微弱な光に対する物質の応答は光電場の大きさに比例しますが、強い光の場合には比例しなくなり、これを非線形光学効果と呼びます。非常に複雑で非自明な応答が生じるため、盛んに研究が行われています。
(注5)マルチテラヘルツ帯
テラヘルツ光とは典型的には周波数が0.1から10 THz程度(波長にして30から3,000 μm程度)の光を指します。それより周波数が高い、10から70 THz程度(波長にして4から30 μm程度)の光は、典型的なテラヘルツ技術を適用するには難易度が高く、一方で中赤外と呼ぶには波長が長いため、独自の実験技術が必要であり、区別してマルチテラヘルツ帯とも呼ばれています。この帯域では物質が持つ様々な自由度を反映した固有の応答が顕著に現れることも特徴です。近年ではこの帯域において位相を固定した高強度パルス生成が実現され、光で物質を制御する非線形応答の研究が活発化しています。
(注6)反磁性電流
物質に電場をかけたときに流れる電流を量子力学的に計算するとき、電場のベクトルポテンシャルに比例する成分と比例しない成分に分けて考えることができ、それぞれ反磁性電流および常磁性電流と呼ばれます。質量ゼロの電子の場合は、反磁性電流がゼロになることが特徴です。
(注7)フロッケエンジニアリング
 時間に対して周期的に変化する外場を物質に与えると、物質の状態がエネルギーについて周期的なサブバンド(フロッケ状態)を形成することが知られています。このようにしてバンド構造を人為的に変化させるフロッケエンジニアリングの研究が近年盛んに行われていますが、そのほとんどが理論研究であり、実験的には角度分解光電子分光によって「フロッケ状態を見る」ことが実現しています。本研究は、フロッケ状態を形成した時の物質の「応答の変化」を詳細に調べた数少ない研究例であり、フロッケ状態間の共鳴として誘導レイリー散乱が現れることを明らかにしました。
(公開日: 2022年11月11日)