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キタエフスピン液体を実現する金属有機構造体の理論設計

東京大学 物性研究所

発表のポイント

  • 有機-無機ハイブリッド物質によってキタエフスピン液体が実現する可能性を理論的に示し
    た。
  • 有機-無機ハイブリッド物質の構成要素を、無数に存在する有機分子から選択することによっ
    て、物性を調整することが可能。
  • 本研究成果により、新奇な性質を示す磁性体の実現が期待される。

発表概要

東京大学物性研究所押川研究室の山田昌彦大学院生らは、キタエフスピン液体を有機-無機ハイブリッド物質である金属有機構造体(Metal-Organic Framework, MOF)(注1)によって実現する可能性を提案し、電子状態計算(注2)によって理論的な裏付けを行いました。

キタエフ模型(注3)は、絶対零度でもミクロな磁石の向きであるスピン(注4)が凍結せず液体的にふるまう磁性体(注5)の模型で、その液体状態をキタエフスピン液体と呼びます。キタエフ(Alexei Kitaev カリフォルニア工科大学教授)によって最初に提唱された後、イリジウム酸化物などの無機化合物で実現される可能性が指摘され、盛んに研究されていますが、無機化合物は一般に性質の調整が難しく実現が困難でした。

本研究では、無数に種類のある有機分子を利用することで物性の調整が可能なMOFに着目し、ルテニウムとシュウ酸からなるMOFにおいてキタエフスピン液体が理想的に実現できることを見出しました。

MOFは、金属原子と有機分子が網目状に結合した物質の総称で、近年、化学の分野で盛んに研究されています。異なる有機分子を用いることで性質を細かく調整することが可能であり、本提案によりキタエフスピン液体の実際の物質中での実現に大きく道が開かれました。

本成果は、Physical Review Letters(米国時間平成29年8月1日オンライン掲載予定)のハイライトに選出されました。

図1 提案した蜂の巣格子MOFの俯瞰図
図1 提案した蜂の巣格子MOFの俯瞰図

発表内容

① 研究の背景
多くの物質は、十分低温に冷却すると分子や原子が規則的に配列した固体結晶となります。同様に、磁性体(注5)でも、多くの場合、十分低温に冷却するとミクロな磁石の向き(スピン)が整列し、固体のように秩序化します。しかし、ヘリウム4は絶対零度でも液体に留まります。これは低温でも常に存在する量子ゆらぎによる効果であり、これを量子液体と呼びます。同様に、絶対零度でも、量子ゆらぎのために、スピンが秩序化しない磁性体を「量子スピン液体(注6)」と呼びます。量子スピン液体の研究は最近の物理学のホットトピックとなっていますが、物質中で量子スピン液体を実現しこれを実験的に確認するのは未だに困難です。この困難の一因は、量子スピン液体の性質を示す模型の多くは数学的な取り扱いが複雑になり、その性質が理論的にも解明されていないことにあります。

一方、キタエフは、数学的に厳密に解ける蜂の巣格子上のスピン模型、キタエフ模型を提案しました。キタエフ模型はマヨラナ準粒子(注7)を用いると、絶対零度の場合にはシュレーディンガー方程式(注8)の厳密解を与えることができます。この厳密解で記述される状態はまさに量子スピン液体(キタエフスピン液体)を示しており、理論的には量子スピン液体の存在を確実にするものでした。当初、このキタエフ模型は純粋に理論的な模型として捉えられており、実在する物質の模型になるとは予想されていませんでした。ジャッケリ(George Jackeli 独シュトゥットガルト大学研究員)とカリウリン(Giniyat Khaliullin マックス・プランク固体物理学研究所グループリーダー)は、スピン軌道相互作用(注9)の強いイリジウムなど重金属イオンを含むイリジウム酸化物などでキタエフ模型が実現される可能性を指摘し、物質におけるキタエフスピン液体実現の機運が高まりました。しかし、実際に合成された物質には様々なスピン間相互作用(注10)が存在し、一般にキタエフ模型の理想的な実現にはなりません。キタエフスピン液体を実現するには、物質中のスピン間相互作用を調整する必要がありますが、無機化合物は物質のバラエティが少なく、圧力等による相互作用の調整も技術的な困難が常に伴います。

② 研究内容
これに対し、本研究ではキタエフスピン液体を実現する新たな候補物質として金属有機構造体(MOF)に注目しました。MOFを構成する有機分子には無数のバラエティがあり、この中から適切な構成要素を選択することで、同じ蜂の巣格子構造を持っていても無数の異なるMOFを設計することが可能です。本研究では、具体例としてルテニウムとシュウ酸からなるMOF(図1)を提案しました。この物質におけるスピン間相互作用のパラメーターを密度汎関数法と分子軌道法(注2)を組み合わせた電子状態計算により理論的に求めたところ、キタエフ模型の理想的な実現に近いことがわかりました。さらに、MOFにおいては、シュウ酸を他の関連物質に置き換えることによって相互作用を調整することができ、キタエフスピン液体の実現の可能性が大きく開かれました。

③ 今後の展開

キタエフが最初に提案したキタエフ模型は蜂の巣格子上の二次元物質を想定していましたが、近年三次元物質へと拡張されたキタエフ模型も理論的に研究されています。無機物では実現が難しい構造の三次元物質も、MOFにおいては挿入する有機分子に応じてボトムアップに構築することができ(図2)、このことは新たに、様々なマヨラナ準粒子のバンド構造(注11)を持った新奇な量子磁性体の物質設計の可能性を切り開きます。また、複数の有機分子を組み合わせることで、マヨラナ準粒子が質量を持った状態を実現する方法も提案でき(図3)、これはさらに次世代の量子コンピューター(注12)へ応用できる可能性の観点からも非常に重要な成果です。

本研究は日本学術振興会頭脳循環プログラムR2604「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」、および科学研究費基盤研究(A) 15H02113、特別研究員奨励費JP16J04752・JP17J05736の支援に基づいています。

発表雑誌

※8月2日、DOI及び論文公開情報追記しました。


用語解説

  • (注1)金属有機構造体(MOF)

    金属有機構造体は有機-無機ハイブリッド物質の一種で、金属イオンと有機分子イオンから構成されます。金属と有機分子が配位結合により次々と繋がり、一次元、二次元、もしくは、三次元の広がった構造を自発的に形作るのが特徴です。

  • (注2)電子状態計算/密度汎関数法/分子軌道法

    量子力学(注8)に基づいて物質の状態を調べるには電子についてシュレーディンガー方程式(注8)を正確に解く必要があります。コンピューターを用いてシュレーディンガー方程式を解く手法は一般に電子状態計算と呼ばれ、ハートリー・フォック法、密度汎関数法、分子軌道法などの手法がよく知られています。本研究では密度汎関数法に分子軌道法を組み合わせた新たな手法が使われています。

  • (注3)キタエフ模型

    量子スピン液体は理論的に複雑で、未だに全ての量子スピン液体の性質を解き明かすことのできる理論的枠組みは存在しません。一方、キタエフは絶対零度において数学的に厳密に解ける量子スピン液体の理論模型、キタエフ模型を提案しました。この種類の量子スピン液体(キタエフスピン液体)においては、その性質を厳密解から詳しく調べることができます。

  • (注4)スピン

    渦状のコイルに電流を流すと、渦に垂直な方向に磁場が生じます。これがモーターなどに用いられる電磁石の原理です。一方、電子などの電荷を持つ粒子が自転すると、それに伴う渦状電流に対応した磁場が生じます。このため、電子は止まっていてもミクロな磁石として働くことになります。このミクロな磁石の向きをスピンと呼びます。

  • (注5)磁性体

    磁性体とは、磁場に対して応答を示す物質の総称で、常磁性体・反磁性体・強磁性体などの様々な相に分類されます。日常目にする多くの物質は弱い常磁性体か反磁性体で、鉄や磁石は強磁性体に分類されます。しかし、磁場に対する応答のみに基づくこれらの分類では捉えられない、様々な「量子磁性体」が発見され近年注目を集めています。これは、量子力学(注8)の興味深い効果を実現する絶好の舞台となっています。

  • (注6)量子スピン液体

    量子スピン液体は典型的な量子磁性体で、絶対零度でも量子ゆらぎにより(強磁性体のように)ミクロな磁石の向き(スピン)が整列しない磁性体として定義されます。

  • (注7)マヨラナ粒子/マヨラナ準粒子

    マヨラナ(Ettore Majorana 1906-?)は量子力学と相対性理論を統一する試みの中で、マヨラナ粒子と呼ばれる新たな粒子を理論的に発見しました。マヨラナ粒子は電子等のよく知られた素粒子と異なり、粒子と反粒子が同一であるという奇妙な性質を示します。素粒子物理学においてはニュートリノとの関係が深く議論されていますが、近年物性物理学の分野においても、物質中におけるマヨラナ準粒子の出現が議論されています。特に、トポロジカル超伝導体の表面などにマヨラナ準粒子が存在する可能性が提案されており、量子コンピューター(注12)への応用等の観点から注目を集めています。

  • (注8)量子力学/シュレーディンガー方程式

    量子力学は相対性理論と並んで現代物理学の基本原理の一つです。シュレーディンガー方程式は量子力学の基本方程式で、古典力学における運動方程式に対応します。古典力学においては(原子等の)振動エネルギーの最小値は何も振動していない状態の0となりますが、シュレーディンガー方程式を用いて振動エネルギーを計算すると、プランク定数という量子ゆらぎを特徴付ける定数に比例する有限の数が残ります。これは絶対零度におけるゼロ点振動と呼ばれ、ヘリウム原子のゼロ点振動によりヘリウム4は絶対零度でも液体に留まることがわかります。

  • (注9)スピン軌道相互作用

    量子力学と相対性理論を組み合わせた理論に基づくと、重い金属元素においては、原子の中で電子が、原子核の周りを非常に速い速度で公転しているため、静止している物質中においても相対性理論の効果が無視できないことが知られています。このため、特に、電子の位置の変化(軌道運動)とスピンの間に相互作用が生じることになります。これをスピン軌道相互作用と呼びます。

  • (注10)スピン間相互作用

    電子それぞれはスピンを持ちますが、物質中の電子スピンのほとんどは他の電子スピンと相殺してゼロになります。しかし、磁性体では一部の電子スピンが相殺せず残ります。これが興味深い磁気的な性質をもたらします。隣接するスピンの間には、物質の種類によってさまざまな相互作用が働きます。典型的な例として、隣接するスピンの向きを揃える強磁性相互作用、隣接するスピンを反対向きにする反強磁性相互作用などがあります。キタエフ模型では、スピンの相対的な位置によって異なる特定の成分の間のみに相互作用が働きます。このような奇妙な相互作用が、スピン軌道相互作用(注9)に由来して自然に生じる場合があることを示したのがジャッケリ-カリウリン機構です。

  • (注11)バンド構造

    量子力学に基づくと、電子は粒子としての性質と波としての性質を同時に持つことがわかります。特に、固体中における電子には波としての性質が強く現れ、波数ごとにあるエネルギーを持った連続的なエネルギーのスペクトルを持ちます。この波数とエネルギーの関係はバンド構造と呼ばれ、固体中の電子の性質を最もよく特徴付けます。同じことはキタエフ模型におけるマヨラナ準粒子に対しても成立します。_

  • (注12)量子コンピューター

    量子コンピューターは量子力学の原理に基づく計算機で、0と1の状態の重ね合わせを実現できる量子ビットを単位として構成されます。この量子力学的な重ね合わせから従来のコンピューターでは実現不可能な並列性が実現でき、飛躍的に高い計算能力を持っていることが期待されています。特に、量子公開鍵暗号や量子化学計算への応用が提案されており、量子コンピューターの実現は産業界においても大きな革新をもたらすことが期待されています。

添付資料

図2 新たにMOFによって実現できる三次元物質の俯瞰図
図2 新たにMOFによって実現できる三次元物質の俯瞰図
図3 複数の有機分子を組み合わせることで新たに提案されたMOFの構造式
図3 複数の有機分子を組み合わせることで新たに提案されたMOFの構造式
(公開日: 2017年07月31日)