歪みによる異常ホール効果のスイッチングに成功 ―ピエゾ磁気効果を用いた反強磁性体への情報の書き込み技術を開発―
東京大学大学院理学系研究科 中辻 知 教授、ムハンマド イクラス 特任研究員、肥後友也 特任准教授の研究グループは、カナダ ブリティッシュコロンビア大学 サヤック ダスグプタ 特任研究員、米国 コーネル大学 ブラッド ラムシャウ 助教、フローリアン セイス 大学院生の研究グループ、中央大学 橘高俊一郎 准教授、米国 ジョンズホプキンス大学 オレグ チェルニショフ 教授、英国 バーミンガム大学 クリフォード ヒックス グループリーダーからなる国際共同研究グループと共同で、磁化をほとんど持たないにもかかわらず、室温で巨大な異常ホール効果(注1)を示す反強磁性体(注2)Mn3Snにおいて、一軸性の歪み(ひずみ)によって異常ホール効果の符号が制御可能であることを実証しました。
反強磁性体はスピン(注2)の応答速度が強磁性体(注2)の場合に比べて100 ~ 1000倍速いということのみならず、磁化が非常に小さいため素子化した際に漏れ磁場の影響を受けないという特性を持っています。そのため、不揮発性メモリ(注3)の有力候補である磁気抵抗メモリ(MRAM)(注3)に応用することにより、テラヘルツ帯(ピコ秒台)で超高速駆動する、超高密度なMRAMの実現が期待できます。その一方で、磁化が非常に小さいという上記の利点は、反強磁性体への情報の書き込み(信号の制御)が困難であるという課題にもなっていました。本研究により見いだされた一軸性の歪みを用いた高効率な信号の制御手法は、磁場や電流といった従来の磁性体における信号の制御手法を補完するものであり、反強磁性体のスピントロニクス技術への応用展開の幅を広げる成果になりました。
本研究成果は英国の科学誌「Nature Physics」において、2022年8月19日付けオンライン版に公開されました。
発表論文:
- 雑誌名:Nature Physics
- タイトル:Piezomagnetic switching of anomalous Hall effect in an antiferromagnet at room temperature
- 著者: M. Ikhlas+, S. Dasgupta+, F. Theuss, T. Higo, S. Kittaka, B. J. Ramshaw, O. Tchernyshyov, C. W. Hicks and S. Nakatsuji* (+ : equal contribution、* : corresponding author)
- DOI:10.1038/s41567-022-01645-5
用語解説:
- (注1)異常ホール効果
- 電気を流すことが可能な物質において、磁場・電流と垂直方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼びます。互いに垂直に磁場と電流を与えた際に、電流として流れている電子の運動方向が磁場により曲げられることが原因です。強磁性体では、外部から磁場を与えなくても磁極の向きを制御することでホール効果が生じます。この効果を異常ホール効果と呼びます。最近では仮想磁場(波数空間に存在する有効磁場で、電子構造のトポロジーに起因する新しい物理概念)を持つ特殊な反強磁性体やスピン液体でも異常ホール効果が現れることが分かってきています。
- (注2)反強磁性体・スピン・強磁性体
- 磁性体は「スピン」と呼ばれる電子の自転運動に起因した微小な磁石を有する物質です。この磁性体は巨視的な数のスピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示し、スピンが一様な方向にそろうことで磁石のように磁極を持つ強磁性体と、隣り合うスピンが反平行や互いを打ち消しあうように配列することで磁極を持たない(磁石の性質が現れない)反強磁性体に分類されます。
- (注3)不揮発性メモリ・磁気抵抗メモリ(MRAM)
- 既存の半導体メモリとは異なり、電源を切っても記録された情報を失わないメモリです。磁気抵抗メモリ(MRAM)、抵抗変化メモリ(ReRAM)、相変化メモリ(PRAM)など、データ記憶方式の異なる複数のメモリが開発されています。本研究で着目したMRAMは磁気状態(磁極の向きに対応した抵抗値の変化)を使用して情報の書き込みと読み出しを行う不揮発性メモリです。膜面に対して磁極(Mn3Snの場合は磁気八極子偏極が垂直(上下)方向に向いた垂直2値状態のときに高密度・省電力化と熱安定性の向上が期待できます。