磁気を用いて音波を一方通行に -音響整流装置の基礎原理開拓-
理化学研究所
東京大学
日本原子力研究開発機構
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター(CEMS)量子ナノ磁性研究チームの許明然研修生(東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程2年)、東京大学物性研究所の大谷義近教授(理研CEMS量子ナノ磁性研究チーム チームリーダー)、日本原子力研究開発機構先端基礎研究センターの山本慧任期付研究員(文部科学省卓越研究員、理研CEMS客員研究員)らの国際共同研究グループ※は、固体表面に沿って伝わる音波が磁石の薄膜を通過する際に、片側から入射する場合にのみ磁石に全く吸収されずに伝わることを発見しました。
本研究成果は、表面音波[1]を用いた情報処理や、絶縁体における熱の運び手である音波を制御することによる廃熱の有効利用などに向けた音響整流装置[2]の開発に貢献すると期待できます。
今回、国際共同研究グループは、「レイリー波」と呼ばれる固体表面に沿って伝わる音波が、面上に貼り付けた磁石の薄膜を通過する際に、磁石の片側から入射する場合と反対側から入射する場合で、磁石への吸収量が大きく異なることを発見しました。このような磁石によるレイリー波の「整流効果」は以前より知られていましたが、吸収量の差が小さく、また磁石の膜が薄いほど弱くなると考えられていました。しかし、今回の実験では1.6ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)の極薄膜の磁石で、ある方向からの入射波については吸収が全くゼロとなる100%の整流効果を実現しました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Science Advances』(8月7日付:日本時間8月8日)に掲載されました。
国際共同研究グループ
- 理化学研究所 創発物性科学研究センター
- 量子ナノ磁性研究チーム
研修生 許 明然 (Xu Mingran)1
(東京大学大学院 新領域創成科学研究科 博士課程2年)
研究員 ホルヘ・プエブラ (Jorge Puebla)2
研究員 ビヴァス・ラナ (Bivas Rana)2
計算量子物性研究チーム
上級研究員 前川 禎通 (まえかわ さだみち)3 - 東京大学
- 物性研究所 教授 大谷 義近 (おおたに よしちか)4
(理研 創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム チームリーダー) - 日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター
- スピン–エネルギー変換材料科学研究グループ
任期付研究員 山本 慧 (やまもと けい)5
(文部科学省卓越研究員制度) - スイス連邦工科大学ローザンヌ校(Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne)
- Laboratory of Nanoscale Magnetic Materials and Magnonics
Doctoral Assistant コルビニアン・バウムゲートル
(Korbinian Baumgaertl)6
Associate Professor ディルク・グルンドラー (Dirk Grundler)7 - 日立ヨーロッパ、日立ケンブリッジ研究所
- 主任研究員 三浦 勝哉 (みうら かつや)8
(日立ケンブリッジ研究所 副研究所長)
株式会社日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センター 企画室
主任研究員 高橋 宏昌 (たかはし ひろまさ)8
(企画室ユニットリーダー)
1試料作成、透過率測定、実験データ解析、2実験結果検討、3理論モデル構築、実験結果検討、研究取りまとめ、4実験結果検討、研究取りまとめ、5理論モデル構築、実験データ解析、6ブリルアン光散乱測定、7実験結果検討、研究取りまとめ、8試料作成
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究S「コヒーレント磁気弾性結合状態に基づくスピン流生成手法の開拓(研究代表者:大谷義近)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「ナノスピン変換科学」の研究課題「磁気的スピン変換」、「スピン変換総括班」による支援を受けて行われました。
背景
固体中の音波は、固体の小さな変形や歪みが振動として伝わる現象です。その一種である「レイリー波」は、固体の変形がその表面に沿ってだけ伝わる音波です。レイリー波はどのような固体中でも伝わり、また固体内部に伝わる通常の音波より速度が遅く減衰率も小さいため、センサーや信号フィルタリングなどで広く応用されています。また、地震波においてもP波やS波と比べて、震源から遠くまでエネルギーを失わずに届くレイリー波の役割が盛んに研究されています。
通常、情報機器では伝導電子を使って信号やエネルギーをやりとりしています。しかし近年、省エネや高機能化の観点から、電子を使わない情報機器開発への興味が高まっています。スピントロニクス[3]という分野では、磁気を情報の基礎単位として制御する研究が行われていますが、音波であるレイリー波がこの磁気情報を担って伝えることができないか注目を集めています。
音波が伝導電子に代わって情報やエネルギーを運ぶ役割を担うためには、さまざまな電子部品に相当する機能を音波で実現する必要があります。その中でも最も基本的で重要なものの一つが、電子の流れを一方向に整流する「ダイオード」です。音波はレイリー波も含めて、通常は前方にも後方にも同じように伝搬するため、ダイオードに相当する一方向への伝搬を実現するためには何かアイデアが必要になります。
レイリー波は、磁石を通過する際に磁気モーメントとの相互作用によって磁石に吸収されます。これまでの研究で、この吸収によって磁石の反対側で測った音波の透過率が、磁石の磁気モーメントの向きに対して、前から入射したか後ろから入射したかで異なることが分かっていました。しかし、これまでに得られた吸収量の差は、ダイオードのような整流装置を実現するには小さすぎました。また既存の理論によれば、この整流効果は磁石が薄くなるほど弱くなるとされていましたが、情報機器では小型化の観点から磁石は薄ければ薄いほど望ましいため、応用には高い壁があると考えられてきました。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、これまでの磁石によるレイリー波吸収の研究では考察されてこなかった、「磁気と回転の結合」という要素に注目しました。図1に示すように、レイリー波が引き起こす固体の変形において、固体表面の各点は波の伝搬方向に依存して、時計回り(青軌道)もしくは反時計回り(赤軌道)に回転しています。一方で、磁石の中の磁気モーメントは、磁場の方向に対して常に反時計回り(紫軌道)に回転する性質を持っています。固体表面の回転運動と磁気の運動が結合することによって、それぞれの回転方向が同じである場合の方が、異なる場合よりも磁石による音波の吸収が強くなります。このメカニズムによって、レイリー波の伝搬方向に依存して磁石を通ったときの透過率に差が生じます。
過去の研究においては、このような磁気と回転の結合は、磁気と歪みの結合を介して間接的に考慮されてきました。しかし、磁気と歪みの結合を介した磁気と回転の結合は、磁石の膜が薄くなるとそれに比例して小さくなってしまいます。実は、磁気と回転はより直接的な形で結合でき、その場合膜を薄くしても結合の強さは変化しないことが40年以上前に理論的に予言されていました注1)。今回、国際共同研究グループは、この磁気と回転の直接結合が、レイリー波の吸収にどのような影響を与えるかを調べるために実験を行いました。
まず、図2 (A)に模式的に示すような素子を微細加工により作製しました。基盤には圧電素子[4]であるニオブ酸リチウムを用い、両端に取り付けたすだれ状電極(IDT1,2)に交流電圧(本研究では周波数6.1GHz)を加えることで、レイリー波を発生させることができます。その基盤上に、Ta(10 nm)/Co20Fe60B20(1.6 nm)/MgO(2 nm)/Al2O3(10 nm)の積層構造(Ta:タンタル、Co:コバルト、Fe:鉄、B:ホウ素、Mg:マグネシウム、O:酸素、Al:アルミニウム)を作りました。中心のCo20Fe60B20層が磁石になっており、その厚さ1.6 ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)においては、磁気と歪みの結合は実質的に無視できるまで小さくなります。片方の電極により発生させたレイリー波が、磁石を含む積層構造を通過して反対側の電極で再び電気信号に変換されることで、磁石を通過する際のレイリー波の吸収量を測定しました。
測定の結果は、図2(B)に示すようなものとなりました。横軸は磁場の強さで、これを変化させたときのピーク値がレイリー波の吸収量に相当します。伝搬方向(±k)に依存して吸収量(P±k)が大きく変化していることから、Co20Fe60B20の極薄膜がこれまでの理解に反して高い整流機能を示すことが分かります。整流機能の目安となる量として、吸収量の差を比で表した指標r=(P+k–P–k)/(P+k+P–k)が用いられます。図2(B)に示す結果においては、r=0.77、すなわち77%の整流効果が得られたことになります。
この研究における重要な発見は、レイリー波の吸収量が磁場の方向に強く依存する点にあります。図3に磁場の向き(角度ϕで表される)を変えたときに、磁石による整流効果がどう変化するかを示します。これまでの研究では、右パネルのϕ=220°の場合のように左右に伝わる波で吸収に差はあるものの、どちらも吸収されて透過率が下がることには変わりがありませんでした。しかし今回、左パネルのようにϕを適当な値に合わせることでr≈1、つまり100%の整流効果を得られることが分かりました。このとき、右方向に伝わる波(青のデータ点)はほぼ吸収されず完全に透過しており、この角度において磁気モーメントと音波の結合が消失していることが明らかになりました。
注1)S. Maekawa and M. Tachiki, “Surface acoustic attenuation due to surface spin wave in ferro and anti-ferromagnets, AIP Conf. Proc. 29, 542 (1976)
今後の期待
本研究では、磁気と回転の結合に着目することで、磁石(Co20Fe60B20)の超薄膜を用いて表面音波の高い整流効果を実現しました。音波の伝搬の一方向性の面でも装置の小型化可能性の面でも、これまでの研究と比較して音響整流装置への応用に向けて大きく前進した重要な成果です。
この研究はまだ音波整流の原理開拓の段階で、実際に音響整流装置が情報機器や廃熱の有効利用での使用を検討されるのはまだずっと先のことになります。しかし、本成果が物理学的に実現可能性を示したことで、今後、音響整流のより工学的な研究がさらに加速することが期待できます。また既に表面音波が用いられているセンサーや信号フィルターにおいて、磁気薄膜による整流効果が新しい機能をもたらす可能性もあり今後の展開が注目されます。
論文情報
- <タイトル> Nonreciprocal surface acoustic wave propagation via magneto-rotation coupling
- <著者名> Mingran Xu, Kei Yamamoto, Jorge Puebla, Korbinian Baumgaertl, Bivas Rana, Katsuya Miura, Hiromasa Takahashi, Dirk Grundler, Sadamichi Maekawa, and Yoshichika Otani
- <雑誌> Science Advances
補足説明
- [1] 表面音波
- 電荷に頼らないスピントロニクスの利点の一つは、電流を流さない絶縁体を材料に情報機器を実現する可能性にある。絶縁体中で情報を運ぶには電流に代わる信号キャリアが必要になるが、絶縁体中を伝搬する信号キャリア候補の中で最も安定に遠くまで伝わるものが表面音波である。この視点に立って、現在磁気信号を表面音波に変換する研究が盛んに行われている。スピントロニクスについては[3]参照。
- [2] 音響整流装置
- 廃熱を有効利用するためには、あらゆる方向に拡散しようとする熱流を一応方向に整流して集める技術が有用になると考えられる。絶縁体中の熱流は主に音波によって運ばれているため、音響整流装置を用いた音波の整流が可能になれば、熱流の方向を制御できると期待されている。
- [3] スピントロニクス
- 電子が持つある種の回転自由度であるスピンとそれに付随した磁気モーメントを制御することによって、電子の電荷だけを利用した従来のエレクトロニクスを高機能化・省エネルギー化させることを目指す基礎研究分野。
- [4] 圧電素子
- 電圧が加わると膨張・収縮または歪みなどの変形が生じる特殊な物質。またそれらを用いた電気信号と力学的振動(すなわち音波)を相互に変換する素子。