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スピンによる熱流が磁場で曲がるメカニズムを解明

東京大学
北海道大学

発表のポイント

  • 電気の流れない絶縁体であるカゴメ反強磁性体で、絶縁体では観測されないはずの熱ホール効果(熱流が磁場によって曲げられる現象)が観測された。
  • 理論計算との精密な一致により、カゴメ反強磁性体のスピン液体相(カゴメスピン液体相)におけるベリー位相の効果によってスピンによる熱流が磁場によって曲げられて、熱ホール効果が現れていることが判明した。
  • カゴメスピン液体相による熱ホール効果のメカニズムを解明したことで、他の磁性体やカゴメ磁性体で期待されている量子スピン液体の研究の発展につながる。

発表概要

東京大学物性研究所の山下穣准教授、川島直輝教授らの研究グループは、北海道大学の吉田紘行准教授、Sungkyunkwan大学のJung Hoon Han教授らのグループと共同で、カゴメ反強磁性体Caカペラサイト石(CaCu3(OH)6Cl2・0.6H2O)で実現しているスピン液体相(注1)で、熱流(注2)が磁場によって曲げられる「熱ホール効果」が起きていることを発見しました。そして、Schwinger-boson法という計算手法を用いてスピン液体相でのベリー位相(注3)と呼ばれる量子力学的効果を取り入れた計算を行った結果、観測された熱ホール効果を非常に高い精度で再現することに成功しました。

通常、熱ホール効果は電気の流れる金属で現れる現象で、Caカペラサイト石のような電気の流れない絶縁体ではどのようなメカニズムで現れているのか不明でした。今回、Caカペラサイト石で広い温度範囲にわたって高精度の熱ホール測定を行ったことで、スピン液体相でのベリー位相効果を取り入れた理論計算との詳細な比較が初めて可能になりました。本研究成果は、カゴメ反強磁性体におけるスピン液体のトポロジー現象の一端を明らかにするもので、磁性体中のスピンを用いた熱流の制御や、謎の多い量子スピン液体形成の起源の解明にもつながることが期待されます。

本研究は米国科学誌「Physical Review Letters」で公開されます(8月29日(水)オンライン掲載予定。前後する可能性あり)。

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図1 Caカペラサイト石(CaCu3(OH)6Cl2・0.6H2O)の結晶構造[左]とカゴメ格子におけるスピンの幾何学的フラストレーション[右]。 [左]黒の実線で結ばれている赤丸が磁性を担う銅イオン。理想的なカゴメ格子を形成する。 [右]カゴメ格子上に置かれたスピン(紫矢印)に対して互いに反対向きになるような反強磁性相互作用が働くとき、全てのスピンを互いに反対向きに配置できない幾何学的フラストレーションの効果が現れる。この結果、スピンが絶対零度まで整列しない「量子スピン液体相」が現れると理論的に期待されている。
図1 Caカペラサイト石(CaCu3(OH)6Cl2・0.6H2O)の結晶構造[左]とカゴメ格子におけるスピンの幾何学的フラストレーション[右]。

[左]黒の実線で結ばれている赤丸が磁性を担う銅イオン。理想的なカゴメ格子を形成する。

[右]カゴメ格子上に置かれたスピン(紫矢印)に対して互いに反対向きになるような反強磁性相互作用が働くとき、全てのスピンを互いに反対向きに配置できない幾何学的フラストレーションの効果が現れる。この結果、スピンが絶対零度まで整列しない「量子スピン液体相」が現れると理論的に期待されている。


発表内容

①研究背景

電子の持つスピンという性質は、物質における磁性の元となっている要素であり、私たちの身の回りの磁石からパソコンの記録媒体の素子まで、様々なところで応用されています。これまでの長年の研究からその性質の多くが解明され、応用されてきていますが、物質中でのマクロな数のスピンの集団的振る舞いには未解明の謎が多く残されています。特に、スピンには量子力学の法則に従って振る舞う性質があり、その影響が顕著になるような状況下では1つのスピンがあたかも2つに分裂しているように見えたり、磁気モノポールやマヨラナ粒子と呼ばれる幻の素粒子などと似た性質を示したりするなど、単独に存在するときとは全く異なる興味深い性質を示すことが知られています。こうしたスピンの集団的振る舞いが現れる最も顕著な例の一つがスピン液体と呼ばれるスピン状態です。これまでの理論研究からカゴメ格子(図1右)と呼ばれる幾何学的構造を持つ物質ではスピン液体と呼ばれるスピン状態が実現し、そこでは様々な興味深い現象が現れることが予想されていました。しかし、実際には理想的なカゴメ格子を持つ物質は見つかっておらず、その実験的検証は不可能でした。

②研究内容

本研究では、理想的なカゴメ格子を持つ物質として新しく発見されたカゴメ反強磁性体Caカペラサイト石(CaCu3(OH)6Cl2・0.6H2O、図1左)の熱輸送特性を調べたところ、電気の流れない絶縁体であるにもかかわらず、2~60 K(—271~—213℃)の広い温度領域で熱ホール効果(図2右)が非常に明瞭に観測されることがわかりました。熱ホール効果は熱流が磁場によって曲げられる現象であり、通常は電気が流れる金属中でしか観測されません(図2左)。この結果は、絶縁体中で熱流を担う格子振動やスピンによる熱流の軌道が、あたかも金属中の電子のように、磁場によって曲げられていることを示しています。

図2 通常の金属[左]と絶縁体[右]における熱ホール効果。 [左]金属中の熱流は主に電子の流れが担っており、フレミング左手の法則で決まるローレンツ力によって磁場中では電子の軌道は曲げられる。その結果、熱流と磁場の両方に垂直な方向に温度差が現れる熱ホール効果が発生する。 [右]絶縁体中では電流が流れないためにローレンツ力による熱ホール効果は存在しない。しかし、スピンに対するベリー位相の効果によってスピンの運ぶ熱流が曲げられて、温度差による熱ホール効果として観測された。
図2 通常の金属[左]と絶縁体[右]における熱ホール効果。

[左]金属中の熱流は主に電子の流れが担っており、フレミング左手の法則で決まるローレンツ力によって磁場中では電子の軌道は曲げられる。その結果、熱流と磁場の両方に垂直な方向に温度差が現れる熱ホール効果が発生する。

[右]絶縁体中では電流が流れないためにローレンツ力による熱ホール効果は存在しない。しかし、スピンに対するベリー位相の効果によってスピンの運ぶ熱流が曲げられて、温度差による熱ホール効果として観測された。

金属中の電子は磁場によるローレンツ力の効果でその軌道が曲げられます。絶縁体中の熱流は電気を帯びていないためにローレンツ力の効果は存在しませんが、スピンによる熱流はベリー位相効果によって仮想的な磁場を感じ、その軌道が曲がる可能性があることが知られていました。本研究ではSchwinger-boson法と呼ばれる計算手法を用いてこのベリー位相の効果を取り入れた計算を行い、測定された熱ホール伝導率を高精度に再現することに成功しました(図3)。これまで電気の流れない絶縁体における熱ホール効果が山下准教授を中心とする研究グループによって数例報告されてきましたが、理論計算との詳細な比較によってその起源を明確にしたのは本研究が初めてです。

図3 観測された熱ホール伝導率の温度依存性。実線がSchwinger-boson法による計算結果で、2つの異なる試料における観測結果を丸と四角で示しており、計算結果と観測結果がよく一致していることがわかる。縦軸と横軸はスピン相互作用(J)などを用いて無次元化されている。
図3 観測された熱ホール伝導率の温度依存性。実線がSchwinger-boson法による計算結果で、2つの異なる試料における観測結果を丸と四角で示しており、計算結果と観測結果がよく一致していることがわかる。縦軸と横軸はスピン相互作用(J)などを用いて無次元化されている。
③今後の展望

本成果では、カゴメスピン液体相におけるスピン熱流の熱ホール効果の観測に成功し、カゴメスピン液体相におけるベリー位相の効果がその起源であることを初めて明確にしました。一般に、ベリー位相の効果は物質中におけるトポロジー効果と関連が深く、カゴメ格子以外の構造を持つ物質でも類似の効果が現れることが期待されます。

また、今回の研究からSchwinger-boson法という計算方法によって謎の多いカゴメスピン液体相の状態を精密に再現できることがわかりました。これはカゴメスピン液体相の詳細を明らかにする上で重要な成果であると期待されます。

今後、研究によって様々な物質における熱ホール効果が観測されるようになれば、物質におけるトポロジー効果の解明や、磁性体中でのスピンを用いた熱流の制御、謎の多い量子スピン液体形成の起源の解明などにもつながると期待されます。

本研究は、日本学術振興会科学研究費 (15K17686、15K17691、17K18747、18K03529)、山田科学振興財団、東レ科学振興会、Samsung Science and Technology Foundation under Project (No. SSTF-BA1701-07)の助成を受け、文部科学省ポスト「京」萌芽的課題「基礎科学の挑戦-複合・マルチスケール問題を通した極限の探求」の一環として実施したものです。

発表雑誌:

  • 雑誌名:Physical Review Letters(米国東部時間8月29日にオンライン掲載予定)
  • 論文タイトル:Spin Thermal Hall Conductivity of a Kagomé Antiferromagnet
  • 著者:Hayato Doki, Masatoshi Akazawa, Hyun-Yong Lee, Jung Hoon Han, Kaori Sugii, Masaaki Shimozawa, Naoki Kawashima, Migaku Oda, Hiroyuki Yoshida and Minoru Yamashita.
  • DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.121.097203

用語解説

(注1)(量子)スピン液体

低温で磁気秩序するはずのスピンが、量子揺らぎの効果によって磁気秩序しないままの状態に留まること。この状態では、スピンは気体のように互いがバラバラになっておらず、スピン同士で強く結びついている。それにもかかわらず固体のように整列しない(磁気秩序をもたない)ために、「液体」と表現される。磁気秩序が通常期待される温度より低温になっても磁気秩序していない状態が広義の「スピン液体」と呼ばれるが、特に絶対零度まで磁気秩序しない状態は「量子スピン液体」と呼ばれる。スピン液体状態が実現している場合、未知の量子現象が現れる可能性があり、その物性が盛んに研究されている。

(注2)熱流

物質中を高温から低温に流れる熱の流れ。銅などの熱伝導性の良い金属では電気の流れが熱の流れを主に担う。一方、電気の流れない絶縁体では物質を構成する原子自身の振動や原子の持つスピンの振動が波となって物質内を伝わることで、熱が伝わる。

(注3)ベリー位相効果

物質中におけるスピン軌道相互作用の効果などによって、量子力学的粒子の波動関数の位相が変化する効果。軌道で決まる幾何学的効果であり、仮想的な磁場として働く。

(公開日: 2018年08月27日)