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量子スピン軌道液体を実現する物質の提案 ―スピン軌道相互作用から創発する新たな対称性―

東京大学

発表のポイント

  • 今まで物質中での実現が難しいとされていた、高いSU(4)対称性が自然に創発する機構を理論的に発見した。
  • この機構により、磁性体α-ZrCl3においてSU(4)対称性が創発し量子スピン軌道液体が実現することを予言した。
  • 量子スピン軌道液体の実現する新たな道、および、軌道の量子自由度の様々な応用の可能性を切り拓くものである。

発表概要

東京大学物性研究所押川研究室の山田昌彦大学院生らは、シュトゥットガルト大学、及び、マックスプランク研究所との国際共同研究でα-ZrCl3という磁性体がSU(4)対称性(注1)創発(注2)し、それによって量子スピン軌道液体(注3)を実現する可能性を見出しました。磁性体の模型として、しばしばスピンの回転に対応するSU(2)対称性を持つものが考えられますが、相対論的(注4)な磁性体においてはスピン軌道相互作用(注5)によりこの対称性が破れ、より低い離散的な対称性に変化するのが一般的です。しかし、本研究では、一般的な期待とは逆に、α-ZrCl3においては強いスピン軌道相互作用対称性のもとで、より高いSU(4)対称性が創発することを見出しました。これは、スピンと軌道を混ぜ合わせる回転対称性に相当します。さらに、高い対称性が強い量子ゆらぎ(注6)をもたらすため、α-ZrCl3において絶対零度でも軌道まで含めたスピンの秩序が破壊された量子スピン軌道液体が実現されることを予言しました。これは、既に実験的観測が報告されているどんな量子スピン液体とも異なる機構であり、量子スピン液体を実現する新たな道を切り拓くものです。

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図1 提案した物質α-ZrCl3の結晶構図 スピンを担うZrが理想的な蜂の巣格子を形成している。© American Physical Society
図1 提案した物質α-ZrCl3の結晶構図

スピンを担うZrが理想的な蜂の巣格子を形成している。© American Physical Society


発表内容:

① 研究の背景

近年、絶対零度でも量子ゆらぎのために磁気秩序が生じない、量子スピン液体(注3)が注目を集めています。量子スピン液体は通常の物質にはないさまざまな特異な性質を持ち、物質科学の地平を拡大するものと考えられます。たとえば、量子スピン液体には低温において分数化された励起状態が存在し、その性質は素粒子物理学で使われるゲージ理論(注7)によって記述されます。

量子スピン液体を実現する一つの方針として、対称性を高くすることがあります。対称性が高いほど量子ゆらぎが大きくなるので、秩序が壊れた量子スピン液体が生じやすくなると考えられます。実際、通常の非相対論的な磁性体で実現されるSU(2)対称性よりも高いSU(4)などの対称性を持つ系では量子スピン液体が実現されることが理論的に予想されてきました。

理論的には、スピンに加え電子の軌道自由度(注8)を活用して、SU(4)対称性を持ち量子スピン液体を生じる模型が知られていました。このように、軌道の自由度も含む量子スピン液体を、特に量子スピン軌道液体と呼びます。量子スピン軌道液体の実現は、スピンと軌道という2つの自由度を組み合わせて新しい物性を開拓する点でも興味深い目標です。しかし、起源の異なる2つの自由度を用いてSU(4)という高い対称性を磁性体で実現することは容易ではありません。特に、相対論的な磁性体ではスピン軌道相互作用によってSU(2)対称性すら失われてしまいます。そのため、SU(4)対称性を持ち量子スピン液体としてふるまう磁性体の物質例は知られていませんでした。

冷却原子系と呼ばれる、極限まで冷やした原子の凝縮体において、核スピン(注9)を用いてSU(6)などの高い対称性が実現されることは知られていますが、核スピンの持つエネルギーは極めて低いため、量子スピン液体を検証するには現状よりも低い温度を実現することが必要です。将来的な応用の上でも、磁性体において高い対称性やそれに伴う量子スピン液体を実現することは非常に重要です。

② 研究内容

そこで、東京大学物性研究所押川研究室の山田昌彦大学院生らは新たに物質中の電子の持つ軌道自由度を利用しました。各軌道はスピンと同様、ミクロな磁石としての性質を持ちますが、多くの固体磁性体において「軌道角運動量の消失(注10)」という現象が起き、軌道自由度の量子ゆらぎが低温で見られることはあまりありません。このような難点があるにも関わらず、本研究では相対論的効果の強い磁性体であるα-ZrCl3に注目しました。α-ZrCl3のように3価のジルコニウムを含む蜂の巣格子状の磁性体において、電子の持つ磁性は上述の軌道角運動量の消失を避けることができ、スピンの2自由度と軌道の2自由度が混ざった4自由度で記述されます。本研究では、低エネルギー(低温)においてこの4自由度を混ぜるSU(4)対称性が現れることを見出しました。

一般的に期待されるように、α-ZrCl3においてもスピン軌道相互作用によって元々のSU(2)対称性がなくなり、電子の運動は一見対称性が非常に低い模型で記述されます。しかし、この模型は素粒子原子核分野で用いられる格子ゲージ理論(注7)と類似の構造を持っています。本研究では、ゲージ変換(注7)を施すことにより実際には4つの異なるスピンと軌道の自由度を持つ電子の運動は全く等価となることを見出しました。これはSU(4)対称性の出現を意味します。α-ZrCl3は電子間の相互作用の効果により伝導性を失い磁性体になると考えられますが、この場合もやはりスピンと軌道の自由度はSU(4)対称性を示します。通常、相対論的な磁性体においてはスピン軌道相互作用によりSU(2)対称性が破れ、より低い離散的な対称性に変化するのが一般的ですが、α-ZrCl3においては対称性がより高いSU(4)へと変化することになります。このようなSU(4)対称性はこの世界を記述する基本法則には存在しないにもかかわらず、たくさんの原子の集まった物質中において初めて出現するという意味において、物質中で創発された新たな対称性とみなすことができます。

この創発SU(4)対称性が存在することで、α-ZrCl3は今までにない新たな量子力学的な磁性を示すことができます。量子スピン液体は今まで三角格子、かごめ格子状の磁性体や、もしくは、イリジウム酸化物やルテニウム塩化物(注11)といった対称性がSU(2)より低い磁性体において実現が期待されてきました。一方、蜂の巣格子の積層したα-ZrCl3に従来の意味でのフラストレーション(注12)はありませんが、対称性がSU(4)へと拡張されたことに伴う量子ゆらぎによって、量子スピン軌道液体を実現する可能性があります。

図2 (a) Zr間の原子配置の拡大図 (b) 別の角度から見たα-ZrCl3の構造 (c) スピンの量子ゆらぎのイメージ図 (d) 軌道自由度の量子ゆらぎのイメージ図 © American Physical Society
図2 (a) Zr間の原子配置の拡大図 (b) 別の角度から見たα-ZrCl3の構造

(c) スピンの量子ゆらぎのイメージ図 (d) 軌道自由度の量子ゆらぎのイメージ図
© American Physical Society

③ 社会的意義

本成果は、全く新しい機構によって量子スピン軌道液体が実現する物質α-ZrCl3を予言したものです。本物質は軌道自由度の持つ磁性は消失することなく、実験室で観測することができる点で、今後、実物質での研究展開が期待されます。また、電子スピン共鳴(注13)を用いることで軌道自由度の量子ゆらぎ、及び、創発SU(4)対称性の存在を実験的に観測できる可能性も提案しました。この成果は、今まで磁性体の研究において無視されることの多かった軌道や結晶の量子自由度を、観測し操作する可能性を切り開きます。

本研究は日本学術振興会頭脳循環プログラムR2604「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」、および科学研究費基盤研究(A) 15H02113・18H03686、特別研究員奨励費JP17J05736の支援に基づいています。

発表雑誌:


用語解説:

(注1)SU(N)対称性

対称性は物理学で大きな役割を果たします。数学的には、対称性は群によって表されます。たとえば我々が住む3次元空間の回転はSO(3)という群で表されます。量子力学における状態(波動関数)は複素数によって表され、N個の独立な状態を混ぜる対称性はSU(N)という群に対応します。電子が持つスピン(注14)には上向きと下向きの2つがあり、これらを混ぜる対称性はSU(2)です。これは3次元空間の回転SO(3)と等価であることが知られています。Nが大きいほど対称性が高いことになります。このようなSU(N)対称性は素粒子物理でも重要で、素粒子の標準模型によれば、この世界を記述する基本的な理論はU(1)×SU(2)×SU(3)ゲージ理論であると考えられています。

(注2)創発

標準模型を始めとする素粒子の理論は物質のほとんどない希薄な真空の性質を取り扱いますが、アボガドロ数個原子や分子の集まった物質中において、電子は真空中とは違った性質を示します。このようにたくさんの原子や分子が協力することによって初めて生じる物質内の現象を創発現象と呼びます。

(注3)量子スピン液体、量子スピン軌道液体

絶対零度でも、量子ゆらぎによりミクロな磁石の向きである電子スピンが整列しない磁性体を量子スピン液体と呼びます。量子スピン液体は、電子がいくつかの粒子に分裂したようにも見える「分数化した励起」の存在など、新奇な物性を示すことが期待されます。また、スピンだけでなく軌道自由度も量子的にゆらいでいる磁性体は量子スピン軌道液体と呼ばれます。

(注4)相対論的、非相対論的

電子の速度が光速に比べて無視できる場合を非相対論的と呼び、スピンと軌道の自由度は独立にふるまいます。一方、電子の速度が光速に比べて無視できない場合、特殊相対論の効果によってスピン軌道相互作用が生じます。軽い金属元素は非相対論的に振舞います。一方、重い金属元素では、電子が原子核の周りを公転する速度が大きくなるため、物質全体が静止していても相対論の効果が無視できず、スピン軌道相互作用が重要になります。

(注5)スピン軌道相互作用

電子はスピンを持つほか、原子核の周りを公転しています。この公転運動は軌道の自由度に相当します。スピンは素朴には電子の自転と解釈でき、公転とは独立の自由度に見えます。しかし、特殊相対論の効果を考えると、電子の位置の変化(軌道自由度)とスピンの間に相互作用が生じることになります。たとえば、スピンが特定の向きを向いている場合にはある軌道に入りやすい、などの効果が生じます。これをスピン軌道相互作用と呼びます。スピン軌道相互作用は、トポロジカル絶縁体を始めとする新奇な量子状態を実現するうえでも重要になります。

(注6)量子ゆらぎ

量子力学によると、エネルギーが最低となる絶対零度においても粒子は完全に静止するわけではなく、ある範囲に広がって運動しています。このような現象を量子ゆらぎと呼びます。スピンの向きについても同様の量子ゆらぎが存在するため、磁性体中のスピンは完全に整列するわけではありません。スピンの量子ゆらぎの効果が強ければ、絶対零度でも磁気秩序が失われ量子スピン液体が実現することになります。特に、対称性がSU(2)からSU(4)へと拡張されると、振動をすることのできる状態の数が増え、量子ゆらぎが増加します。

(注7)ゲージ理論、格子ゲージ理論、ゲージ変換

ゲージ理論とは、その基本的な対称性としてゲージ対称性を持つ量子力学の理論の総称です。通常の対称性の議論では、スピンの回転など同じ変換を空間全体で行うことを考えます。これに対し、空間の各点で異なる変換を行うものをゲージ変換と呼び、ゲージ変換に対する不変性をゲージ対称性と呼びます。通常の対称性と同様に、ゲージ対称性も数学的には群で分類されます。例えば最も基本的なゲージ理論の一つである量子電磁気学は、2次元平面の回転と等価なU(1)という群で表されるゲージ対称性を持ちます。このとき、理論的には、ゲージ対称性の要請から電磁場の存在が導かれます。通常、ゲージ理論は連続的な時空の中に定義されますが、時間や空間を格子に区切ったゲージ理論を格子ゲージ理論と呼び、素粒子原子核の高エネルギー物理学の分野ではこの格子ゲージ理論がゲージ理論を数値計算で解くための基本的な手法となっています。

(注8)軌道自由度

物質中にはたくさんの原子が存在し、原子核を中心に電子が「公転」していますが、この公転の仕方によってスピンとは別の軌道磁性を持ち、量子力学に基づくとこの公転軌道もとびとびの軌道に量子化しています。この量子力学的なとびとびの軌道の運動を軌道自由度と呼びます。

(注9)核スピン

素粒子である電子の他、陽子や中性子もミクロな磁石としての性質であるスピンを持ちます、それにより陽子や中性子でできた原子核もスピンを持つことがあり、その原子核のスピンを電子の持つスピンと区別して核スピンと呼びます。

(注10)軌道角運動量の消失

軌道自由度(軌道角運動量)はあらゆる物質中に存在しますが、液体や気体と異なり固体中においてはほとんどの軌道自由度は「消失」しています。これは、固体中では周囲に規則正しく並んだ他の原子によって電子が自由に公転するのを阻害されることにより、他の原子を避けるただ一つの軌道のみが安定化するためです。

(注11)イリジウム酸化物やルテニウム塩化物

スピン軌道相互作用の強いイリジウム酸化物やルテニウム塩化物には、三角格子やかごめ格子状の物質とは異なるタイプのフラストレーションが生じます。これは、スピン軌道相互作用がSU(2)対称性を破り、隣接スピンの相対的な位置によって軸が異なるキタエフ相互作用が実現するためです。

(注12)フラストレーション

格子の上のスピン同士の相互作用エネルギーを同時に最小化できず、安定してスピンが整列できない状況をフラストレーションと呼びます。スピンが三角形状に並び、逆向きを向こうとするとフラストレーションが生じ、三角格子やかごめ格子において量子スピン液体を生じる可能性があります。

(注13)電子スピン共鳴

磁場中の電子にマイクロ波等の電磁波を照射すると、電子スピン(注14)が磁性を持つために電磁波と相互作用して状態が変化します。この変化に伴う電磁波の吸収を測定する実験手法が電子スピン共鳴(ESR)です。この手法は、磁性体のスピン状態を精度良く測定できる点で優れています。なお、類似の手法に、磁場中の原子核のスピン状態の変化に伴う電磁波の吸収を測定する核磁気共鳴(NMR)があり、核磁気共鳴画像法(MRI)に応用され医学で広く用いられています。

(注14)電子スピン

電子を始めとするほとんどの素粒子はミクロな磁石としての 性質、スピンを持ちます。磁性体を含むあらゆる物質の磁石としての性質の多くはスピンに起因し、特にエネルギーの高い電子の持つスピンが大部分を占めます。また、このミクロな磁石の向きをスピンの向きと呼びます。

(公開日: 2018年08月27日)