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電子の波動関数操作により ピコ秒以下の超高速で磁化制御を実現 -低消費電力スピンデバイスに向けた新機能を実証-

強磁性半導体(In, Fe)Asを含む半導体量子井戸において、パルスレーザ光を照射した瞬間に超高速で電子キャリアの波動関数が動き、それに伴い1ピコ秒以下で瞬時にFe原子のスピンが揃う(赤丸はFe原子、矢印はそのスピンを表す)

東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻/附属スピントロニクス学術連携研究教育センターのLe Duc Anh准教授、小林正起准教授、武田崇仁特任助教および田中雅明教授の研究グループは、同大学大学院理学系研究科の鷲見寿秀大学院生、同大学物性研究所の堀尾眞史助教、松田巌教授の研究グループ、分子科学研究所の山本航平助教、理化学研究所放射光科学研究センターの久保田雄也研究員、矢橋牧名グループディレクター、高輝度光科学研究センターの大和田成起主幹研究員の研究グループと共同で、強磁性半導体(In,Fe)As(注1)を含む半導体量子井戸構造に30フェムト秒(fs)(注2)の長さを持つパルスレーザー光を照射し、量子井戸(注3)磁化(注4)を600 fsという非常に短い時間で増大させることに初めて成功しました(図1)。

fig1

図1 (a)本研究で用いた測定系の模式図
強磁性半導体(In,Fe)As/非磁性半導体InAsからなる量子井戸構造にポンプ光(赤外光)の超短パルスを照射し、それと同期したプローブ光(XFEL)で量子井戸内のFe磁気モーメントの時間変化を観測する。強磁性量子井戸の磁化によって、反射するXFELの偏光面が回転し(カー回転)、それを回転偏光板とフォトディテクターで検出する。(右図)フォトディテクターで検出するXFELの反射強度は、強磁性量子井戸の磁化を反映する。ポンプ光が入射された後、600 fsという非常に短い時間の間(領域I)に磁化が増大する。これは波動関数を制御することによって超高速で磁化制御を行った世界初の実証例である。

実験結果の解析と理論計算によるシミュレーションによると、fsパルスレーザー光で生成されたキャリア(電子と正孔)(注5)は強磁性半導体層内のFeの磁気モーメントと直接には相互作用しません。しかし、それらの空間電荷で作られる表面ポテンシャルにより量子井戸内に閉じ込めた2次元電子の波動関数(注3)およびそれに従う電子密度分布が非常に速く変化した結果、Fe磁気モーメント同士の磁気的相互作用が超高速で増強され、磁化(Feの磁気モーメントの総和による巨視的な磁気秩序)が増大することを明らかにしました(図2)。従来の強磁性体では磁化を増大させるために材料のd軌道またはf軌道の電子濃度を大きく変化させる必要があり、電界効果トランジスタ(注6)のゲート電圧など電気的な手段で材料の電子濃度を超高速かつ大量に変調することは非常に困難でした。これに対し、本研究で実現した波動関数による超高速磁化制御方法は、従来のキャリア濃度の変化ではなく、半導体中の波動関数を制御するという点で画期的でありトランジスタ技術に高い整合性を持つため、テラヘルツ(THz)周波数帯で超高速かつ低消費電力で動作可能なスピントロニクス(注7)デバイスや量子デバイスの実現に向けて新たな道筋を示したと考えられます。

fig2

図2 磁化増大のメカニズム
本研究で作製した量子井戸構造のポテンシャルを示す。量子井戸は強磁性層(In,Fe)Asと非磁性層InAsからなる。赤外超短パルスレーザーによって生成された電子と正孔(光電子、光正孔)は強磁性半導体層のFe磁気モーメントと直接に相互作用しないが、それらの空間電荷で作られるポテンシャルを非常に速く変化させ、量子井戸内に閉じ込められた2次元電子の波動関数(φ_i (z),青い曲線)をシフトさせる。強磁性半導体(In,Fe)AsのFe磁気モーメント間の磁気相互作用はこれらの2次元電子波動関数によって仲介されるため、ポンプ光照射直後に2次元電子の波動関数が動き(In,Fe)As層との重なりが増えることで、強磁性量子井戸全体の磁化が超高速で増大する。

本研究成果は、2023年7月28日(英国夏時間)に科学誌「Advanced Materials」のオンライン版に掲載されました。

東京大学工学系研究科発表のプレスリリース

発表論文

  • 雑誌名:Advanced Materials
  • 論文タイトル:Ultrafast subpicosecond magnetisation of a two-dimensional ferromagnet
  • 著者:Le Duc Anh, Masaki Kobayashi, Takahito Takeda, Kohsei Araki, Ryo Okano, Toshihide Sumi, Masafumi Horio, Kohei Yamamoto, Yuya Kubota, Shigeki Owada, Makina Yabashi, Iwao Matsuda, Masaaki Tanaka
  • DOI: 10.1002/adma.202301347

用語解説

(注1)強磁性半導体:
半導体と強磁性体の両方の性質を併せ持つ物質であり、現在は、主に半導体(II-VI族、III-V族)の結晶成長中に磁性元素(Mn, Fe, Coなど)を添加した混晶半導体が主流である。既存の半導体材料や半導体デバイス技術との整合性が良いので、将来のスピントロニクス・デバイスに使われる材料として期待されている。最近、本研究グループでは、キュリー温度(強磁性を示す温度の上限)が室温を超えるn型強磁性半導体(In, Fe)Sbおよびp型強磁性半導体(Ga, Fe)Sbを開発した。
(注2)ピコ秒、フェムト秒:
1ピコ秒(ps)は10-12秒(10のマイナス12乗秒)、1フェムト秒(fs)は10-15秒(10のマイナス15乗秒)。600 fsは周波数がテラヘルツ(THz = 1012 Hz)領域の電磁波の振動のほぼ1周期の時間に相当する。光は秒速30万kmの速度で1秒間に地球を7周半周回するが、600 fsの間に0.18 mm 18 cm(2023/8/28修正)しか進まない。
(注3)量子井戸、量子サイズ効果、波動関数、コヒーレンス性:
量子力学において電子の振る舞いは波動関数と呼ばれる波で表され、その存在確率は波動関数の絶対値の2乗で記述される。その電子の波動関数の位相が揃うことは電子のコヒーレンス性と呼ばれ、波動関数の位相が変わらない距離はコヒーレンス長と呼ばれる。電子のコヒーレンス長より狭いポテンシャル中に電子を閉じ込めると、電子のエネルギーは離散化した値をとる(電子状態が量子化されるという)。この現象を量子サイズ効果と称し、閉じ込めるポテンシャルが一方向で電子の運動が2次元面内に限られる場合に量子井戸と呼ぶ。量子井戸内の電子は量子化されたエネルギー状態ごとに定在波で表される波動関数を持つ。通常、禁制帯が異なる半導体超薄膜(厚さ数nm~数十nm)のヘテロ構造を作製することによって量子井戸を形成することが多い。
(注4)磁化、磁気異方性、キュリー温度:
強磁性体の重要な磁気特性である。磁化は材料内部の原子レベルの磁気モーメント(電子スピン)の総和として巨視的な磁気モーメントで現れる物理量である。強磁性材料の性質によって、磁化がある特定の方向に向きたがることが多いが、これは磁気異方性と呼ばれる。また、強磁性体の磁化がゼロでない温度領域の上限はキュリー温度と呼ばれる。
(注5)光キャリア:
物質原子などに光をあてた時に電子が放出されるという光電効果は1905年にEinsteinが発見した現象である。光のエネルギーを吸収し、物質表面から外部に放出された自由電子と、固体の内部に留まるが励起されて伝導(光伝導)に寄与するようになったキャリア(電子、正孔)の総称である。本研究では光キャリアは後者(内部に溜まるキャリア)を意味する。
(注6)電界効果トランジスタ(Field Effect Transistor,FET):
集積回路の90%以上を構成する最も主要な半導体素子である。FETはある半導体チャネルに対して、横方向に「ソース(S)」と「ドレイン(D)」という2つの電極で挟んでおり、半導体表面の縦方向に非常に薄い絶縁膜で隔てられる「ゲート(G)」電極があるという3端子で構成される。ゲートに電圧を印加し半導体表面に縦方向の電界をかけることで半導体チャネル内部のキャリア濃度を変化させることによって、ソース・ドレイン間に流れる電流をコントロールするトランジスタである。強磁性体をチャネルにするFET構造を用いて、ゲート電圧の電界効果によって強磁性体の磁化を制御する試みが多いが、非常に大きなキャリア濃度の変化を実現しなければならず効率的な制御がまだできていない。
(注7)スピントロニクス:
電子は「電荷」とともに自転の角運動量に相当する「スピン」を持っている。スピントロニクス(Spintronics)とは、「電荷」と「スピン」の両方を活用して、新しい機能を持つ物質や材料の設計、デバイス、エレクトロニクス、情報処理技術などに応用しようとする分野である。
(公開日: 2023年08月01日)