日本から発見された新鉱物たち(No.1-20)

 

IMA No./year: オフィシャルリストに掲載されている年に準拠しており,改訂があるものは「発見年(リストに記載の数字)」としてある。年の後についている「s.p.」はspecial procedureの略で再定義・再命名・再承認などがあったことを意味している。

IMA Status: 鉱物の承認の状態を示しており,例えば A = approved(IMAが設立された後に承認された鉱物),G = grandfathered(IMA設立以前に発見されており現在でも有効と見なせる鉱物),Rd = redefined(すでに存在していたが規約が改訂された鉱物),Rn = renamed(すでに存在していたが名前が変更された鉱物),Q = questionable(情報が少なくて存在が疑わしい鉱物)。

名前は 和名 学名 の順で掲載。

文献についてはオフィシャルリストに引用されている論文を掲載しておりその他はレビュー中で引用。

未申請・未承認・取消しされたものや怪しいものはその他へ移動した。
学名はオフィシャルリストに準拠しているが,和名はなじみのあるものを採用している。
 
一覧表の鉱物をクリックすればそこへ,写真をクリックすれば保存先のFlickrからフルサイズが見られる。
写真の利用はhamane*へお問い合わせください(*@issp.u-tokyo.ac.jp)。
質問などもそこへ。

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国産新鉱物一覧(No.1-20)

1. 石川石 2. 轟石 3. 阿武隈石 4. 手稲石 5. イットリウム河辺石
6. 湯河原沸石 7. 亜砒藍鉄鉱 8. 大隅石 9. 生野鉱 10. 人形石
11. 尾去沢石 12. 吉村石 13. 芋子石 14. 赤金鉱 15. 園石
16. 神保石 17. 原田石 18. 櫻井鉱 19. 万次郎鉱 20. 福地鉱

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No.1-20 | No.21-40 | No.41-60 | No.61-80 | No.81-100 | No.101-120 | No.121-140 | その他

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No. 1.

IMA No./year: 1922
IMA Status: G(grandfathered)

石川石 Ishikawaite

(U,Fe,Y)NbO4

模式地:磐城國(現:福島県) 石川郡 石川町 外牧 観音山・大橋川

第一文献:Shibata Y., Kimura K. (1922) Ishikawaite, a new mineral from Ishikawa, Iwaki province. Journal of the Chemical Society of Japan, 43, 648-649.

第二文献:Hanson S.L., Simmons W.B., Falster A.U., Foord E.E., Lichte F.E. (1999) Proposed nomenclature for samarskite-group minerals: new data on ishikawaite and calciosamarskite. Mineralogical Magazine, 63, 27-36.

石川石 Ishikawaite
福島県石川町和久

 帝国大学(現:東京大学)の柴田雄次,木村健二郎によって1922年(大正11年)に磐城国(現:福島県)の石川町から報告された新鉱物で,模式地は石川町外牧観音山および大橋川。観音山のものはペグマタイト中から,大橋川のものは砂鉱から得られたとされる。当初は結晶外形が不定形で測角できるほどの標本では無かったため化学組成だけが先に報告されており[1],ウランの含有量が顕著なことから新鉱物であることが期待されつつもそのときはあくまで予報にとどまっていた。その後に新たな標本を得てその結晶外形の新規性から新鉱物であることが明らかとなった[2]。原著論文には名前を決める際には神保小虎に相談し,小虎の勧めで産地の名前を取って「石川石」とすることが決まったと記述が見られる。1923年にはAmerican Mineralogist誌に新鉱物として紹介されている[3]。

 その一方で結晶構造に関するデータは長らく取得されないままで,既存のサマルスキー石と関連して独立性が議論されてきた。石川石のようにウランやトリウムを多量に含む初生の鉱物はメタミクト(非晶質)で産出しそのままでは構造データが取得できないことも議論が長引く一因である。そして1999年になって石川石の再記載の論文が登場する[4]。Hansonらは石川石とカルシオサマルスキー石を確たるものにしようと,タイプ標本を手に入れて近代的な手法(EPMA分析とXRD測定)で化学組成と格子定数(加熱後)の測定を行った。結果的にサマルスキー石族のウラン卓越体であることが再認識され,その結果を受けて改めてAmerican Mineralogistで新鉱物として紹介されている[5]。こういった経緯からはIMA StatusはRd(redefined)になるべきだと思うのだがオフィシャルリストではG(grandfathered)となっている。

 ひとまずはこのように収まっているが,化学組成・結晶構想の問題はまだ完全には解決していないと思える。なにしろサマルスキー石族は結晶構造がまだ解かれていない。こうなるといずれまた更新される可能性はあるだろう。それでも現時点(2015/07/05)では石川石が日本産第一号の新鉱物である。著者の一人・木村健二郎は後に「木村石/Kimuraite」として鉱物にその名を刻むことになる。

 写真の標本は和久のペグマタイトから得られたとされる標本となる。分離標本なので共生鉱物などはわからない。柴田・木村が報告した外形は板状であることが知られ,写真の標本は残っている結晶外形からは四角柱状~厚みのある板状にみえる。

[1] 柴田・木村 (1922) 日本化学会誌,43, 306-312.
[2] 第一文献
[3] Wherry (1923) American Mineralogist, 8, 230-231.
[4] 第二文献
[5] Jambor & Roberts (1999) American Mineralogist, 84, 1464-1468.

2016/08/17改編

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No. 2.

IMA No./year: 1934(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)

轟石 Todorokite

(Na,Ca,K,Ba,Sr)1-x(Mn,Mg,Al)6O12·3-4H2O

模式地:北海道 轟鉱山

第一文献:Yoshimura T. (1934) “Todorokite”, a new manganese mineral from the Todoroki mine, Hokkaido, Japan. Journal of the Faculty of Science, Hokkaido Imperial University, Series IV, Geology and Mineralogy, 2, 289-297.

第二文献:Post J.E., Heaney P.J., Hanson J. (2003) Synchrotron X-ray diffraction study of the structure and dehydration behavior of todorokite. American Mineralogist, 88, 142-150.

轟石 Todorokite
青森県 丸山鉱山

 北海道大学の吉村豊文によって1934年(昭和9年)に報告された新鉱物で,北海道轟鉱山が模式地となる。発見のきっかけは工学部の高桑健が吉村豊文に轟鉱山の鉱石を見せたことにある。”Syuetu(漢字不明だが「秀逸」だろう)”と名付けられた石英脈に高品位のマンガン鉱が伴われ,その黒いマンガン鉱石に興味を抱いた吉村豊文が轟鉱山を訪問し,試料を得て記載を行った[1]。

 電子線分析装置とX線回折装置が普及する以前,鉱物の分析はしばしば困難であった。そのため同定が不完全でありながらも論文が提出され,同じ鉱物ながらも別の名前を付けられるということがよくあった。轟石も例外ではない。Simon&Straczekによって1958年にキューバ産の新鉱物として報告されたDelatorreiteという鉱物があり[2],それは後に轟石と同一であることが指摘されていた[3]。こういう場合はより早い方に名前の優先権が認められる。1958年にIMAが設立され,それまでの新鉱物を洗い直しが行われて1962年の報告で轟き石の優先権が確定した[4]。その経緯でオフィシャルリストでは発見年が(1962s.p.)として記録されている。IMA Status:が「A」はちょっと疑問で,この経緯なら「G」もしくは「Rd」だろうと思う。ちなみにこの1962年の報告には「中瀬鉱 / Nakaseite」がリジェクト(拒絶)されたという記述がある。轟石の結晶構造が確定するのはずっと後年の1998年で,その後に同じ著者がさらに詳細を報告した論文が第二文献としてオフィシャルリストに挙げられている[5]。

 写真は青森県丸山鉱山から得られた標本となる。轟石の標本は土状~繊維状の集合体となる場合が多い。また本鉱は海底の堆積物からも報告され,マンガンノジュールの主要構成鉱物であることが知られている。本鉱を記載した吉村豊文は後に「吉村石 / Yohimuraite」として新鉱物にその名を残す。

[1] 第一文献
[2] Simon&Straczek (1958) U.S. Geol. Surv. Bull. 1057.
[3] Frondel et al. (1960), American Mineralogist, 45, 1167.
[4] International Mineralogical Association (1962) Mineralogical Magazine, 33, 260-263.
[5] 第二文献

2016/08/17改編

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No. 3.

IMA No./year: 1938(1966s.p.)
IMA Status: Rn (renamed)

阿武隈石 Britholite-(Y)(原記載では阿武隈石/Abukumalite)

(Y,Ca)5(SiO4)3(OH)

模式地:福島県 石川村(当時)

第一文献:Hata S. (1938) Abukumalite, a new yttrium mineral. Scientific Papers of the Institute of Physical and Chemical Research, 34, 1018-1023.

第二文献:Noe D.C., Hughes J.M., Mariano A.N., Drexler J.W., Kato A. (1993) The crystal structure of monoclinic britholite-(Ce) and britholite-(Y). Zeitschrift für Kristallographie, 206, 233-246.

阿武隈石 Britholite-Y
福島県水晶山

 畑晋(論文名はShin Hata)により1938年(昭和13年)に福島県石川村(当時)のペグマタイト岩脈から発見され,名前と諸性質が記載された[1]。化学組成分析によってイットリウム(Y)が主体のケイ酸塩であることが明かとなり,X線回折で得られた軸率なども総合した考察が行われている。結論としてbritholite(後にbritholite-Ceとなる)に似ているが阿武隈石はYに富むことが相違点となるという記述がある。この記載論文は単名で書かれているものの試料採集や分析には幾人かの協力があったようで,名前は理化学研究所の飯盛里安が提案したことが記されている。阿武隈地域からの産出を理由として,阿武隈石 / Abukumaliteと名付けられた。後年,畑晋は阿武隈石の発見の業績により櫻井賞*の第6号メダルを受賞することになる。

 1966年,ランタノイドとイットリウムを含む鉱物の名前については「ルートネーム-(REE)」としましょうというルールが制定される[2]。それを受けて阿武隈石は再検討されることになる。阿武隈石はそれより先に発見されていた既存種のbritholite(Ceタイプ)とはYを主成分とする点のみが異なることから,ルートネームをbritholiteに譲ることになり「britholite-(Y)」と改名される。そのため,阿武隈石の名前はオフィシャルリストからは消えてしまい,その経緯はリストには載らない。ただそれはあまりにさみしい。日本においては和名で教科書を作るという文化があるので,せめて和名としては阿武隈石を使い続ければ良いだろう。

 いわゆるbritholiteの結晶構造が判明するのはもう少し後年となる。1993年にNoeらはbritholite-(Ce)および(Y)の結晶構造解析を行い,燐灰石族に相当するものであることを報告した[3]。その際の試料は福島県水晶山からのもので科学博物館から提供されている。ただしこの論文は別の問題をはらんでいた。この論文中で使用された試料の化学組成はいずれもフッ素(F)が卓越していた。ところが,そもそものbritholite-(Ce)および(Y)は水酸基(OH)が卓越している鉱物である。すなわち,この論文中で使用された試料は,フッ素卓越の新種として記載されるべきものである。そんな指摘がすでにあるのだが[4],この問題はそのままになっている。

 写真は福島県水晶山から産出したもので恵与していただいた。FかOHかは不問にすると,分析でYが卓越する燐灰石族であることが確認できる。

* 櫻井賞とは新鉱物の研究に貢献し顕著な業績を挙げた研究者に贈呈される,日本鉱物科学会が規定する賞である。櫻井欽一の還暦を記念して1973年に設立され,当初は櫻井記念会から授与される形であったが,今は日本鉱物学会から授与される。受賞者には純銀製のメダルが授与され,メダルには受賞者の氏名と対象の新鉱物名が刻印されている。

[1] 第一文献
[2] Levinson (1966) American Mineralogist, 51, 152.
[3] 第二文献
[4] Jambor et al. (1994) American Mineralogist, 79, 570

2016/08/17改編

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No. 4.

IMA No./year: 1939
IMA Status: G (grandfathered)

手稲石 Teineite

Cu2+Te4+O3·2H2O

模式地:北海道 手稲鉱山

第一文献:Yosimura T. (1939) Teineite, a new tellurate mineral from the Teine mine, Hokkaidō, Japan. Journal of the Faculty of Science, Hokkaido Imperial University, Series IV, Geology and Mineralogy, 465-470.

第二文献:Effenberger H. (1977) Verfeinerung der kristallstruktur von synthetischem teineit CuTeO3•2H2O. Tschermaks Mineralogische und Petrographische Mitteilungen, 24, 287-298.

手稲石 Teineite
手稲石 Teineite
和歌山県 岩出市 山崎

北海道大学の吉村豊文により1939年(昭和14年)に報告された新鉱物で,北海道手稲鉱山から発見された[1]。試料は同じく北大の原田準平により瀧之澤という鉱脈から得られている。この鉱物は吉村がかつて宮崎県土呂久鉱山から報告したカレドニア石に一見は似ていたことから,それと比定するために研究が始まったようである。そして早々に光学的特徴はカレドニア石とは異なることが判明し,新鉱物の可能性が出てくる。後に量が確保できて組成分析を行えるようになると,やはりカレドニア石とは全く異なる新鉱物であることが明らかとなる。産地の名前を取って手稲石と命名された。論文は単名で発表されているが,試料採集に関しては北大の渡辺武男や手稲鉱山の技師たちの貢献が大きい。吉村豊文はこの手稲石の業績で櫻井賞の第4号メダルを受賞した。化学組成はその後に改訂されることになり,1977年に現在の化学組成になることおよび結晶構造の詳細が確定した[2]。

 吉村は後に九州大学に移り,数々の新鉱物を発表することになる。しかしながら,吉村が筆頭で発表する新鉱物は轟石とこの手稲石を除き,残念ながらことごとくが現在は認められていない。当時は二成分系の中間にも名前を付ける慣習があり吉村の名付けた新鉱物はそういったものであった。現在では二成分系の中間は種をまたぐ境界線として機能し,中間組成に名前がつく場合はそこで構造が変化する場合に限られる(例えばオンファス輝石)。それでも筆頭著者として2種以上の新鉱物を発見した日本人は吉村が最初となる。

 日本における手稲石の産地は他に静岡県河津鉱山と和歌山県岩出市山崎が知られる[3,4]。そして,写真は和歌山県岩出市山崎から産したものとなり模式地や河津鉱山の標本と比べるとやや淡い色合いを示す。多くは皮膜状であるが一部に結晶が認められる。私も北大にいた頃に模式地標本を手に入れようと試みた。現地には手稲石かと思える青い鉱物が見いだされるものの,持ち帰り分析するとそれはすべてが胆礬であった。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Kato and Sakurai (1968) Mineralogical Journal, 5, 285.
[4] 藤原ら (2002) 日本鉱物学会講演要旨,34.

2016/08/17改編

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No. 5.

IMA No./year: 1950(1987s.p.)
IMA Status: A (approved)

イットリウム河辺石 Kobeite-(Y)

(Y,U)(Ti,Nb)2(O,OH)6(?)

模式地:京都府 中郡 河邊村 白石

第一文献:田久保實太郎,鵜飼保郎,港種雄(1950)含稀元素鉱物の研究(其の11)京都府中郡河邊村白石産河邊石. 地質学雑誌, 56, 509-513.

第二文献:Masutomi K., Nagashima K., Kato A. (1961) Kobeite from the Ushio mine, Kyoto Prefecture, Japan and re-examination of kobeite. Mineralogical Journal, 3, 139-147.

イットリウム河辺石 Kobeite-(Y)
宮崎県 大崩山 高千穂珪石鉱山

 京都大学の田久保實太郎らによって1950年(昭和25年)に報告され,京都府中郡河邊村白石のペグマタイトから見いだされた[1]。論文中には前年(昭和24年)10月に発見したことが記されている。本鉱を伴うペグマタイトは昭和18年3月からおおよそ1年間でガラス原料として石英を目的に採掘されたようだ。本鉱はイットリウム(Y)やニオブ(Nb),タンタル(Ta)に富むという特徴を持っている。論文からはXZ2O6型の化学組成に近似すると(Y,Ca,U)(Ti,Nb+Ta)2(O,OH)となることが読み取れる。ただし,この化学組成はオフィシャルリストにも「?」がつけられているなど,確定ではない。また,結晶構造としてはユークセン石との関連を示唆している。実際には河辺石はアモルファス状態で産出し,これは著量に含有するウラン(U)による放射線損傷で構造が破壊されていることに起因している(メタミクト)。このような場合は加熱により構造回復を試みることが通常となっており,彼らも試したようだが,900℃30分程度の加熱では顕著な結晶化が検出されなかった旨が記述されている。しかしながら,化学組成上の特徴により新鉱物として主張された。命名は発見地に因んでいる。

 再検討は1961年,日本人の手によって行われる。著者全員が後に新鉱物に名前を残すことになる益富壽之助・長島乙吉・加藤昭によって,河辺石の加熱再結晶実験と粉末X線回折実験が行われた[2]。900℃1時間加熱で試料はX線回折ピークを示すようになり,得られた結果は等軸晶系と解釈されるものであった。ただ,この論文では河辺石の構造などについては明言されず,zirkeliteやzirconoliteとの関連が示唆されるにとどまる。

 Zirkeliteやzirconoliteは分類がやっかいな鉱物であり,命名規約は存在しているものの[3],それらの分類は不完全であると私は判断している。これらの二種はほとんど結晶系だけの違いで分類され,同じ化学組成でも等軸晶系ならば前者,それ以外なら後者となる。そして後者のzirconoliteには多形が様々あり一筋縄ではない。また,zirkeliteの等軸晶系の対称性は試薬を混ぜて焼いた合成物では出現せず,鉱物を焼いて等軸晶系を示した(とされる)試料においても構造は解かれていない。

 ここまでの文献を読むと,河辺石は化学組成・結晶構造ともに確たるものがない状態であると言える。それにもかかわらず IMA Statusが「A」となっているのはどうにも解せない。発見年が1987s.p.となっているのは,この年にKobeite→Kobeite-(Y)としましょうというアナウンスがあっただけで[4],化学組成や結晶構造が決定したわけではない。それでも河辺石についてzirconolite-3Oに近いX線回折パターンが得られたという報告が最近になってあがってきた[5,6]。化学組成についてもzirconoliteと同様にO=7で構造式が書けるようだ。河辺石の化学組成・結晶構造はいずれも更新されるべきであろう。だた,現時点ではいずれも講演要旨にとどまっている(2015/07/06現在)。研究が進展し論文となり河辺石のNew Dataが確立されることを期待する。

 写真は宮崎県大崩山高千穂珪石鉱山から産したものとなる。この産地ではハロを持たない産状が特徴的ではあるが,ウランやトリウムの含有量は模式地のものと大差なかった。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Bayliss et al.(1989) Mineralogical Magazine, 53, 565.
[4] Nickel&Mandarino (1987) American Mineralogist, 72, 1031.
[5] 藤井&上原 (2011) 日本鉱物科学会講演要旨集,R1-P13.
[6] 福本&皆川 (2012) 日本鉱物科学会講演要旨集,R1-06.

2016/08/17改編

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No. 6.

IMA No./year: 1952(1997s.p.)
IMA Status: A (approved)

湯河原沸石 Yugawaralite

Ca(Si6Al2)O16·4H2O

模式地:神奈川県 湯河原町 不動ノ滝

第一文献:Sakurai K., Hayashi A. (1952) “Yugawaralite”, a new zeolite, Science Reports of the Yokohama National University, 1, 69-77.

第二文献:Kvick Å., Artioli G., Smith J.V. (1986) Neutron diffraction study of the zeolite yugawaralite at 13 K. Zeitschrift für Kristallographie, 174, 265-281.

湯河原沸石 Yugawaralite
岩手県 雫石町 葛根田

 櫻井欽一と林瑛により1952年(昭和27年)に報告され,神奈川県の湯河原温泉,不動ノ滝から見いだされた[1]。櫻井が試料を採集したのは1930年(昭和5年)であり,産出した結晶は比較的大柄であり諸々の性質を測定できる順良なものであったことが覗える。そのときすでに既存の沸石種とはことなることに気づいていたようだが,研究が進展したのは戦後であった。戦後間もない1948年(昭和23年)になり横浜国立大の林瑛の協力を得てこの見慣れない沸石の研究が始まっている。鉱物名は産地の名前から採用された。和名では沸石族は名前+沸石とする慣習があり,本鉱の和名は湯河原沸石となる。湯河原沸石は現時点(2015年)で神奈川県産としては唯一の新鉱物である。

 湯河原沸石の結晶構造が完全に解かれるまでには何段階かのステップがあったが,最終的に構造がすべて解かれるのは1969年であり,化学組成の改訂も提案されて今の組成式に収まる[2]。1986年にはKiveckらによって中性子回折実験が行われ,SiとAlが構造中で完全に別のサイトにいることが確かめられた[3]。これがオフィシャルリストに引用されている第二文献となっている。その後も構造に関して議論はあるがそれはもう省略。

オフィシャルリストでyearは1997s.p.となっている。これは1997年の沸石族命名規約の改訂があったことに由来する[4]。ものすごくざっくりと説明すると,沸石族はNa, K, Ca,Sr,Baなどを含む場合が多いので同じ結晶構造でこれらの元素が異なるだけの場合にはサフィックス(接尾辞)としましょう,という提案である。たとえば束沸石だと,stilbite-Na, stilbite-Caなどとなる。湯河原沸石の場合はどうかというと,Ca種ではあるがこれまでの研究からNaやKなどは構造中にほとんど入らないことが明らかとなっている。そのためにサフィックスは付けずに単にyugawaraliteが学名となっている。

 櫻井欽一は家業(神田の老舗の鳥鍋屋「ぼたん」)を切り盛りするかたわらで鉱物学を修め,この湯河原沸石の業績で東京大学から理学博士を取得した。そして,櫻井欽一の還暦を記念して,新鉱物の発見に貢献した研究者をたたえる櫻井賞が設立された。1973年のことである。櫻井欽一はこの湯河原沸石の業績で第一号の受賞者となった。

 模式地での採集はもはや望めないが国内にはいくつか産地が知られており,大柄なものは静岡県の大洞林道から産したようだ。写真は岩手県雫石町葛根田からのものとなる。

[1] 第一文献
[2] Leimer and Slaughter (1969) The determination and refinement of the crystal structure of yugawaralite. Zeitschrift für Kristallographie, 130, 88-111
[3] 第二文献
[4] Coombs et al. (1997) Recommended nomenclature for zeolite minerals: report of the Subcommittee on Zeolites of the International Mineralogical Association, Commission on New Minerals and Mineral Names. The Canadian Mineralogist, 35, 1571-1606.

2016/08/17改編

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No. 7.

IMA No./year: 1954
IMA Status: G (grandfathered)

亜砒藍鉄鉱 Parasymplesite

Fe2+3(AsO4)2·8H2O

模式地:大分県 木浦鉱山

第一文献:Ito T., Minato H., Sakurai K. (1954) Parasymplesite, a new mineral polymorphous with symplesite. Proceedings of the Japan Academy, 30, 318-324.

第二文献: Cesbron F., Sichère M.C., Vachey H. (1977) Propriétés cristallographiques et comportment thermique des termes de la série koettigite–parasymplésite. Bull. Minéral., 100, 310–314 (in French with English abs.).

亜砒藍鉄鉱 Parasymplesite
亜砒藍鉄鉱 Parasymplesite
模式地標本

 東京大学の伊藤貞一らにより1954年(昭和29年)に記載論文が公表された[1]。大分県木浦鉱山からの新鉱物である。ただしこの鉱物が文献に最初に現れるのは記載論文に先立つ1950年[2]。

 東京大学の森と伊藤は栃木県足尾(銅山と思われる)からの藍鉄鉱と大分県木浦鉱山からの砒藍鉄鉱(symplesite)の結晶構造を解くことに世界で初めて成功したと報告した[2]。両者は全く同一の単斜晶系の結晶構造で,違いは化学組成におけるリン(P):藍鉄鉱と砒素(As):砒藍鉄鉱ということのみであった。ところがこの結果は以前の報告と相容れなかった。実は砒藍鉄鉱は三斜晶系であることがすでに知られていたのである[3]。すなわち,森&伊藤の分析した木浦鉱山の砒藍鉄鉱というのはそもそもの砒藍鉄鉱とは結晶構造の異なる別の種ということになる。

そして1954年の記載論文において,原産地の砒藍鉄鉱を取り寄せて木浦鉱山産の本鉱との比較を行ったことが記されている[1]。原産地の砒藍鉄鉱は従来の報告通り三斜晶系で,木浦鉱山産の単斜晶系と区別できるデータが示されている。そうなると木浦鉱山産の標本は砒藍鉄鉱と化学組成が同一で結晶構造が異なる別種,つまりは新鉱物であった。彼らは木浦鉱山産の新鉱物に「para」の接頭語を当てた。それは日本語では「亜」となり,symplesiteの和名:砒藍鉄鉱と併せて,本鉱は亜砒藍鉄鉱 / parasymplesiteという名前になった。第二文献についてはまだ入手できてないので内容がよくわからない。また砒藍鉄鉱の結晶構造は未だに解かれていないことを注釈しておく。

 伊藤は後に中瀬鉱を筆頭著者で記載することになるが,これはIMAの委員会の審査を経ていない名乗りであったため独立の鉱物種として認められていない。そして伊藤が中瀬鉱を発表した同年,ナミビアのTsumeb鉱山から発見された新鉱物に伊藤の名がつくことになった(itoite)[4]。

 写真はいずれも模式地の木浦鉱山から産した標本となる。この鉱物は時間が経過すると鉄分の酸化により色がくすむため新鮮な状態の保存が難しい。写真の標本は残念ながら本来の色ではないが,下の写真が比較的新鮮な時期に撮影した色となる。とある個人の所蔵標本では割り出してすぐの標本をほっかいろと共にパックしていた。ほっかいろが酸素を吸って試料の酸化が防がれる。その標本は本来の透き通った淡緑色が保たれていた。

[1] 第一文献
[2] Mori, Ito (1950) The structure of vivianite and symplesite. Acta Crystallographica, 3, 1-6.
[3] Wolf (1940) Classification of minerals of the type A3(XO4)2·nH2O. American Mineralogist, 25, 738.
[4] Frondel, Strunz (1960) Fleischerit und itoit, zwei neue germanium-mineralien von Tsumeb. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte 1960, 132-142.

2016/08/17改編

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No. 8.

IMA No./year: 1956
IMA Status: G (grandfathered)

大隅石 Osumilite

KFe2+2(Al5Si10)O30

模式地:鹿児島県 垂水市 咲花平(さっかびら)

第一文献:Miyashiro A. (1956) Osumilite, a new silicate mineral, and its crystal structure. American Mineralogist, 41, 104-116.

第二文献: Armbruster T., Oberhänsli R. (1988) Crystal chemistry of double-ring silicates: structural, chemical, and optical variation in osumilites. American Mineralogist, 73, 585-594.

大隅石 Osumilite
大隅石 模式地標本

菫青石 Cordierite
菫青石 宮城県本砂金

 東京大学の都城秋穂によって1956年(昭和31年)にAmerican Mineralogistに記載論文が発表された[1]。大隅石が新種として発表されたのはこの年になるが,この鉱物の発見と研究が始まったのはもう少し前のようだ。

桜島と大隅半島が陸続きとなっている付近,咲花平(さっかびら)と呼ばれる高台から大隅石が産出する。これを最初に見いだしたのは益富壽之助と伝わっており,その記述は1948年(昭和23年)の森本良平の論文中に見て取れる[2]。遅くとも1942年(昭和17年)の11月には標本が益富から森本へ渡っていることが記されていた。森本は和文論文も残しているのだが[3],いずれの論文においても「菫青石 / cordierite」として発表されている。論文は化学組成分析も行い菫青石には含まれることのないカリウム(K)が検出されている。さらには「ほとんど光学的一軸性の特徴を持つものがある」という記述が認められ,菫青石の光学的二軸性という特徴とは異なることにすでに気付いている。彼らがこれらを重視して研究を続けていたらこの新鉱物が生まれるのはもう少し早かったかもしれないと思う。

 1951年(昭和26年)に東京大学の都城はこの一軸性光学特徴をもつ菫青石に注目し,ほどなく新種ということが判明した[4]。この論文の謝辞には森本らから助言をもらったことや試料を受け取った旨の記述がある。続く記載論文[1]では構造解析に主眼が置かれ,産状は前述の森本らの研究を引用する形で記述されている。また都城は他産地のいわゆる菫青石のいくつかは大隅石であろうと予測している。名前は大隅地域からの産出をもとに東京大学の久野久が提案したようだ。

 後にBrown & Gibbsによって結晶構造の再検討が行われ[5],Armbruster & Oberhänsliによって結晶構造および化学量比が現在のようになる[6]。彼らが分析した試料には鉄(Fe)側の端成分とマグネシウム(Mg)側の端成分の両方の試料があったが,それらは特に区別されていない。それでも彼らが分析した咲花平からの試料はFe端成分であったため,大隅石とはFe端成分の鉱物ということになった。ただし,都城の分析値だとMg端成分となることを注釈しておく。

 いつしかMg端成分は苦土大隅石 / osumilite-(Mg)と呼ばれることになった。その初出は1973年だろう。Chinner & Dixonはアイルランド産の大隅石をOsumilite-(K,Mg)と記述した[7])。日本だと大分県万年山からの大隅石に対し,1978年に横溝・宮地は「マグネシウム大隅石と呼んだ方が合理的」と記述している。そして,いつのまにかIMAのオフィシャルリストにOsumilite-(Mg)が登場することとなる。ただし,それには明確な文献が提示されていなかった。

 ロシアの研究チームはそこに注目した。彼らは苦土大隅石には正式な記載論文が無いことを理由にしてドイツ産のものを改めてOsumilite-(Mg)(IMA-No.2011-083)として申請を行い,承認を得た。これはしてやられたというべきだろう。苦土大隅石の記載論文は2012年に公表された[9]。

 写真は模式地の大隅石(一枚目)および宮城県本砂金から産した菫青石(二枚目)となる。分析手段が発達していない時代にこれらの鉱物が混同されたのは致し方ない。それくらい両者は似ている。益富壽之助がだれよりも早くにこれらが同一ではないと気づいたという逸話が愛石家らに伝わっている。ただ標本を受け取った森本は菫青石として発表しているので,たどり得る学術文献ではその詳細はよくわからない。益富の貢献については地学研究にその記述があるということを聞いたことがあるがまだ探せてない。いずれにしても益富の産地発見がこの大隅石の誕生の端緒となっていることは確かで,益富は大隅石で櫻井賞の第3号メダルを受賞している。

[1] 第一文献
[2] Morimoto (1948) On the Modes of Occurrence of Cordierite from Sakkabira, Town Taru-mizu, Kimo-tsuki Province, Kagoshima Prefecture, Japan. Bulletin of the Earthquake Research Institute, 25, 33-35.
[3] 森本,湊 (1949) 鹿皃島縣肝屬郡垂水町早崎咲花平産菫青石の産出状態. 岩石鉱物鉱床学会誌, 33, 51-61.
[4] Miyashiro (1953) Osumilite, a new mineral, and cordierite in volcanic rocks. Proceedings of the Japan Academy, 29, 321-323.
[5] Brown, Gibbs (1969) Refinement of the crystal structure of osumilite. American Mineralogrst, 54, 101-116.
[6] 第二文献
[7] Chinner, Dixon (1973) Irish osumilite. Mineralogical Magazine, 39, 189-192.
[8] 横溝, 宮地 (1978) 万年山熔岩中の大隅石の化学組成. 73, 180-182.
[9] Chukanov, Pekov, Rastsvetaeva, Aksenov, Belakovskiy, Van, Schuller, Ternes (2012) Osumilite-(Mg): Validation as a mineral species and new data. Zapiski Rossiiskogo Mineralogicheskogo Obshchetstva, 141, 27-36.

2016/08/17改編

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No. 9.

IMA No./year: 1959(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)

生野鉱 Ikunolite

Bi4S3

模式地:兵庫県 朝来市 生野鉱山

第一文献:Kato A. (1959) Ikunolite, a new bismuth mineral from the Ikuno mine, Japan. Mineralogical Journal, 2, 397-407

生野鉱 Ikunolite
兵庫県 明延鉱山

生野鉱 Ikunolite
栃木県 足尾銅山

 東京大学(当時)の加藤昭によって1959年(昭和34年)に報告された,兵庫県生野鉱山からの新鉱物[1]。生野鉱の名前は産地の生野鉱山に由来する。金香瀬(かながせ)鉱床群の千珠前「ひ」から産出した標本が,生野鉱山に勤務していた堀川国治(Kuniharu Horikawa)を通じて加藤に渡った旨の記述がある。これは1957年のことのようだ。

 生野鉱はBi4S3の化学組成をもち,硫テルル蒼鉛鉱 / Tetradymite(Bi2Te2S)の関連鉱物である。国産の新鉱物だと,都茂鉱(BiTe)や河津鉱(Bi2Te2S)も一連の仲間となる。これらの鉱物たちはBi-(S+Se)-Teを頂点にした三角形組成内にプロットされ,一連の鉱物は図内でいくつかの線上に位置する(図1)。この組成系列の鉱物はひとまとめにして図で見た方が違いがわかりやすい。生野鉱の化学組成はこの図の左上に位置しており,ホセ鉱A / Joséite-Aとは直線上の右隣となる。その差は微々たるもので,生野鉱がS3であるのに対して,そのうちの一つのSをTeにしたものがホセ鉱Aとなる。加藤は論文中でホセ鉱AとのX線回折パターン,物理・光学特性の対比を行っているのだが,それらで両者は区別できない。ホセ鉱A(Bも)についてIMA Statusは「Q」となっておりその存在を証明するデータに疑いがもたれている。ホセ鉱AはTeに富む生野鉱として分類されることで,いずれ消滅するかもしれない。

 生野鉱は1960年にはAmerican Mineralogist誌上で新鉱物として紹介されている[2]。オフィシャルリストの1962s.p.は生野鉱が改めて承認されたことを意味しており[3],このシリーズの鉱物の命名規約などに重要なアクションがあった訳ではない。加藤はこの生野鉱で櫻井賞の第5号メダルを受賞した。後に加藤は,櫻井鉱・飯盛石・褐錫鉱・河津鉱・マンガノパンペリー石を加えて,合計で7種の新鉱物を筆頭で記載することになる。

 上の写真の標本は兵庫県明延鉱山からの産出品となる。化学組成は生野鉱山のものよりセレンが多く,Bi4.06(S1.71Se1.29)Σ3であった。日本からはほかには足尾銅山からの産出が知られる(下の写真_豊氏より拝領)。資料としては1970年に地質調査所が出版した「Introduction to Japanese Minerals」には明延鉱山と足尾銅山の記述がある。産出はそれ以前には知られていたのだろう。


図1.Bi-(S+Se)-Te系の産出鉱物(一部省略)。Cook et al., 2007, Can. Mineral., 45, 665を一部改訂。日本産新鉱物は太字。

[1] 第一文献
[2] Fleischer M. (1960) New mineral names. American Mineralogist, 45, 476-480.
[3] International Mineralogical Association (1962) International Mineralogical Association: Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 33, 260-263.

2016/08/17改編

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No. 10.

IMA No./year: 1959(1962s.p.)
IMA Status: A (approved)

人形石 Ningyoite

(U,Ca,Ce)2(PO4)2·1-2H2O

模式地:鳥取県 人形峠鉱山

第一文献:Muto T., Meyrowitz R., Pommer A.M., Murano T. (1959) Ningyoite, a new uranous phosphate mineral from Japan. American Mineralogist, 44, 633-650.

第二文献:Boyle D R, Littlejohn A L, Roberts A C, Watson D M (1981) Ningyoite in uranium deposits of south–central British Columbia: first North American occurrence., The Canadian Mineralogist, 19, 325-331.

人形石 Ningyoite
模式地標本 黒色部が本鉱

 原子力燃料公社の武藤正らにより1959年(昭和34年)に報告された鳥取県人形峠鉱山からの新鉱物[1]。この公社は1955年に鳥取県の人形峠に有望なウラン鉱床が発見されたことを受け1956年に発足している。当時,この鉱床は日本では最大級のウラン鉱床だった。当初はリン灰ウラン石が鉱石だったが,より放射能の強い黒色鉱石が発見されることになる。それが1957年のようで,武藤らはこの強い放射能をもつ鉱物の同定を試み,それは既知の鉱物とは一致しないことが判明する。1958年に武藤はアメリカの地質調査所に試料を送りそこで主要な分析が行われた。その結果,新鉱物であることが判明した。

 武藤らの論文中では化学組成はU1-xCa1-xR.E.2x (PO4)2・1-2H2O(x=0.1-0.2, R.E.: Rare Earth Elements)と示されているが,第二文献による模式地標本のEPMA分析を受けてCeが検出されていることから,いまでは(U,Ca,Ce) 2 (PO4)2•1-2H2Oのようになっている。結晶構造に関して,武藤らはP222の空間群を予想しているが,第二文献では対称性の高いC格子を予想している[2]。いずれにしても構造は未だに解かれていないが,ラブドフェンとの関連が予想されている。武藤は人形石で櫻井賞第9号メダルを受賞した。1975年のことである。

 写真は模式地の標本となる。人形石は黒色タール状の部分で結晶は非肉眼的である。文献では数ミクロンの針~板結晶となっているが,SEMで観察しても明瞭な結晶は確認できなかった。

[1] 第一文献
[2] 第二文献

2016/08/17改編

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No. 11.

IMA No./year: 1961(1997s.p.)
IMA Status: Rd (redefined)

尾去沢石 Osarizawaite

CuPbAl2(SO4)2(OH)6

模式地:秋田県 鹿角市 尾去沢鉱山

第一文献:Taguchi Y. (1961) On osarizawaite, a new mineral of the alunite group, from the Osarizawa mine, Japan. Mineralogical Journal, 3, 181-194.

第二文献:Giuseppetti G. & Tadini C. (1980) The crystal structure of osarizawaite. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte, 1980, 401-407.

尾去沢石 Osarizawaite
秋田県 亀山盛鉱山

 三菱金属工業の田口靖郎によって1961年(昭和36年)に報告された,秋田県尾去沢鉱山からの新鉱物。名前は産地の尾去沢鉱山に由来している。論文は(旧)鉱物学会が発行する国際誌のMineralogical Journalに掲載された[1]。尾去沢石を発見した田口には1974年に櫻井賞と第7号の記念メダルが授与されている。

 尾去沢石は鉱山の正徳および卯酉ヒの酸化帯から最初に発見され,硫酸鉛鉱(anglesite)と褐鉄鉱の緑黄色の被膜として産出する。ほかに青鉛鉱・藍銅鉱・ブロシャン銅鉱などが酸化帯に認められるようだ。第二文献は結晶構造解析の論文となる[2]。尾去沢石は明礬石超族(Alunite supergroup)に所属し[3],その化学組成はCuPbAl2(SO4)2(OH)6。これは同じ明礬石超族の銅ビーバー石/ Beaverite-(Cu) [CuPbFe3+2(SO4)2(OH)6]の三価鉄(Fe3+)→アルミニウム(Al)置換体に相当する。銅ビーバー石の銅(Cu)→亜鉛(Zn)置換体には亜鉛ビーバー石/ Beaverite-(Zn)が知られており,これも日本発の新鉱物である。仮定の話になるが,もし尾去沢石の銅(Cu)→亜鉛(Zn)置換体が見つかればそれは亜鉛尾去沢石という名前の新鉱物になるだろう。亜鉛ビーバー石が存在しているのだから亜鉛尾去沢石も在っても良さそうなものである。それはともかくも尾去沢石は秋田県亀山盛鉱山や新潟県三川鉱山にも産出し,海外でも報告がある。

 写真は模式地ではなく亀山盛鉱山からの標本となる。尾去沢石は原著で示されているのと同じように鈍い緑黄色の被膜で産出する。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Jambor J.L. (1999) Nomenclature of the alunite supergroup. The Canadian Mineralogist, 37, 1323-1341.

2016/08/17改編

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No. 12.

IMA No./year: 1961(1967s.p.)
IMA Status: A (approved)

吉村石 Yoshimuraite

Ba2Mn2+2Ti(Si2O7)(PO4)O(OH)

模式地:岩手県 野田村 野田玉川鉱山

第一文献:Watanabe T., Takéuchi Y., Ito J. (1961) The minerals of the Noda-Tamagawa mine, Iwaté Prefecture, Japan. III. Yoshimuraite, a new barium-titanium-manganese silicate mineral. Mineralogical Journal, 3, 156-167

第二文献:Sokolova E., Cámara F. (2014) From structure topology to chemical composition. XVII. Fe3+ versus Ti4+: The topology of the HOH layer in ericssonite-2O, Ba2Fe3+2Mn4(Si2O7)2O2(OH)2, ferroericssonite, Ba2Fe3+2Fe2+4(Si2O7)2O2(OH)2, and yoshimuraite, Ba4Ti4+2Mn4(Si2O7)2(PO4)2O2(OH)2. The Canadian Mineralogist, 52, 569-576

吉村石 Yoshimuraite
模式地標本 褐色部

吉村石 Yoshimuraite
岩手県 田野畑鉱山

吉村石 Yoshimuraite
愛知県 田口鉱山

 東京大学の渡辺武男らが1953年に岩手県野田玉川鉱山から未知の鉱物を見いだした。それが後に新鉱物と判明し,(当時)九州大学教授の吉村豊文(1905-1990)の名にちなんで「吉村石」と命名され,1959年にはその名前のみが渡辺武男の別の論文に見られる[1]。その後,詳細な記載論文は(当時)日本鉱物学会が発行するMineralogical Journalで1961年に発表されている[2]。

 IMAのオフィシャルリストでは1967s.p.となっているが,これはIMA側の事情である。このあたりの時代にIMAの新鉱物に関する委員会が設立され,それまでに報告された新鉱物を洗い直すということを当時やっていた。その行程で吉村石は改めて承認を受け,それが発表されたのが1967年[3]。このとき同じく承認済みとして紹介された日本産新鉱物として赤金鉱(Akaganeite),神保石(Jimboite),園石(Sonolite)がある。この報告にはリジェクト(否定)された鉱物として芋子石(Imogolite)や大和石(Yamatoite)の名前が挙げられている(芋子石は後に復活する)。それから石金鉱(Ishiganeite)が二種の混合物であることや,横須賀鉱(Yokosukaite)がエンスート鉱(Nsutite)と同一ということも報告され,どちらも抹消となった。横須賀鉱については学会発表はあるものの記載論文がなかったためにエンスート鉱に優先権が認められたという事情がある。
 
 話を吉村石に戻そう。吉村石の化学組成は非常に複雑で,湿式分析しか手段のなかった時代に渡辺らは相当苦労したと思う。それでも彼らは理想化学組成式について最終的に二つの候補,(SiO4)2か(Si2O7)Oかまで絞り込んであった[2]。(Si2O7)Oが正解であったがこれがちゃんと決まったのは2000年になる[4]。この論文では愛知県田口鉱山の標本を用いた単結晶X線構造解析を行い,今の理想端成分を導いた。オフィシャルリストに載っている第二文献はいくつかの鉱物と内部構造についての幾何学を議論している[5]。そのうち吉村石を含めた何らかのグループができあがるだろう。

 吉村石は褐色でバラ輝石などと共に産出することからそのコントラストは明瞭で,また葉片状結晶という特徴からもわかりやすい新鉱物である。産地については模式地の野田玉川鉱山の他に愛知県田口鉱山と岩手県田野畑鉱山が知られる。田口鉱山の吉村石はかなり発見が早く,1958年には見いだされ論文も1963年には出版されている[6]。岩手県田野畑鉱山からは比較的多産すると思えるのだが,ここの標本が知られたのはいつ頃であろうか。ざっと文献を調べたがその初出がわからなかった。各産地の標本を撮影してみた。どこの産地でも面構えは同じである。

[1] Watanabe T. (1959) The minerals of the Noda-Tamagawa mine, Iwate Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 2, 408-421.
[2] 第一文献
[3] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136
[4] McDonald A.M., Grice J.D., Chao G.Y. (2000) The crystal structure of yoshimuraite, a layered Ba–Mn–Ti silicophosphate, with comments on five–coordinated Ti4+. The Canadian Mineralogist, 38, 649-656.
[5] 第二文献
[6] 広渡文利,磯野清 (1963) 愛知県田口鉱山の吉村石について. 鉱物学雑誌, 6, 230-243.

2016/08/15記

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No. 13.

IMA No./year: 1962(1987s.p.)
IMA Status: Rd (redefined)

芋子石 Imogolite

Al2SiO3(OH)4

模式地:熊本県 人吉市

第一文献:Yoshinaga N., Aomine S. (1962) Allophane in some Ando soils. Soil Science and Plant Nutrition, 8, 6-13.

第二文献:Bayliss P. (1987) Mineralogical notes: mineral nomenclature: imogolite, Mineralogical Magazine, 51, 327.

芋子石 Imogolite
熊本県 人吉市 東添田採土場

芋子石 Imogolite
上の試料の一部拡大

 九州大学の吉永長則と青峰重範によって熊本県人吉地方の火山灰土壌から見出された新鉱物[1]。現在では有効な鉱物種であるが,過去にいったんリジェクト(否定)された後に復活したという経緯がある[2]。

 芋子石の名前は記載論文に先立って登場している[3]。吉永と青峰は熊本県上村・長陽村,東京都岡本および北海道河西群から得られた火山灰からアロフェン(Allophane)を分離しその諸性質を調べている過程で,熊本県の試料からアロフェンとは性質の異なるコロイド状物質を見出した。これが後の新鉱物・芋子石である。熊本県上村産の試料から最初に見出され,この試料はこの地方では「芋子(いもご)」と呼ばれている黄色い火山灰土壌の塊であったことから,この新鉱物は芋子石と名付けられた。芋子自体は芋子石のほかにアロフェン,石英,クリストバル石,ギブス石,バーミキュライトなどから構成されている。

 芋子石の記載論文では諸性質が報告されている[1]。一方でこの時点で得られた化学組成や結晶的性質はやや不完全であり,著者ら自身も「この鉱物を芋子石として暫定的に指名した」と弱めの表現を使っている。1963年になってAmerican Mineralogistの新鉱物レビューで芋子石が紹介されているが,同時に「データは新鉱物としては不適切」というコメントが付いている[4]。そしてIMAが設立してから始まった鉱物の洗い直しおいて,1967年にリジェクト(否定)が宣言されてしまった[5]。この時点で芋子石は公式には鉱物ではなくなっているので,論文では独立の鉱物のようにあつかってはいけないのだが,芋子石の名称は粘土関連雑誌では独立種のように引き続き使用された。
 
 芋子石を含む粘土鉱物の記載については長らく問題になっていて,それをどうするかという委員会は1950年頃に立ち上がっていた。この委員会で粘土鉱物の命名規約などが議論され,1980年にその要旨が複数の関連雑誌で紹介されている[例えば6-8]。その中には芋子石の項があり,1969年に東京で会合が開かれた際に委員会レベルでは芋子石の名前が改めて承認されたことが記してある。1983年に「Glossary of Mineral Species」という鉱物名と出典をまとめた本にはアロフェンの亜種として芋子石が紹介されている[9]。IMAからの再承認は1986年であった旨が第二文献に紹介されており,この第二文献の出版された1987年がオフィシャルリストには掲載されている[2]。復活までに芋子石の諸性質の解明が進んでいたこともその一助になったと思う。芋子石の化学組成と構造は1972年には明らかとなっており[10],この論文には吉永が参加している。

 写真は芋子石を含む土壌で,これがいわゆる「芋子」の標本。芋子石はカーボンナノチューブに似た特徴的な構造から様々な応用が期待され多くの分野で研究が進んでいる。トムソン・ロイター社の論文検索システムWeb of Scienceで芋子石を検索すると現時点(2016/8/16)で628件もヒットする。芋子石の学術的なインパクトは非常に大きいと言えるだろう。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Yoshinaga Y. and Aomine S. (1962) Allophane in some Ando soils. Soil Science and Plant Nutrition, 8, 6-13.
[4] Fleischer M. (1963) New mineral names. American Mineralogist, 48, 433-437.
[5] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136.
[6] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. Calys and Clay Minerals, 28, 73-78.
[7] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. Caly Minerals, 15, 85-93.
[8] Bailey S.W. (1980) Summary of recommendations of AIPEA nomenclature committee. American Mineralogist, 65, 1-7.
[9] Fleischer M. (1983) Glossary of Mineral Species. Mineralogical Record, Tucson, AZ.
[10] Cradwick P.D.G., Farmer V.C., Russell J.D., Masson C.R., Wada K., Yoshinaga N. (1972) Imogolite, a hydrated aluminium silicate of tubular structure. Nature Physical Science, 240, 187-189.

2016/08/16記

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No. 14.

IMA No./year: 1962-004
IMA Status: Rn (renamed)

赤金鉱 Akaganeite

(Fe3+,Ni2+)8(OH,O)16Cl1.25·nH2O

模式地:岩手県 江刺市 赤金鉱山

第一文献: Mackay A.L. (1962) ß-ferric oxyhydroxide-akaganéite. Mineralogical Magazine, 33, 270-280.

第二文献: Post J.E., Heaney P.J., von Dreele R.B., Hanson J.C. (2003) Neutron and temperature-resolved synchrotron X-ray powder diffraction study of akaganéite. American Mineralogist, 88, 782-788.

赤金鉱 Akaganeite
模式地標本 

赤金鉱 Akaganeite
透過型電子顕微鏡写真 

 東北大学の南部松夫により岩手県赤金鉱山から見いだされた新鉱物で,赤金鉱山の名称から命名された。南部はほかにも万次郎鉱,神津閃石,高根鉱,上国石という国産の新鉱物について筆頭で研究をまとめている。赤金鉱は南部にとって最初の新鉱物になるが,論文の公表は次の万次郎鉱より後であった。南部による赤金鉱の記載論文は1968年に岩石鉱物鉱床学会誌に掲載された[1]。この論文で謝辞に名を挙げられている谷田勝俊は分析を担当している。谷田には赤金鉱発見の貢献により1985年に櫻井賞と第25号メダルが授けられている。

 まずは発見の経緯をまとめておこう。1956年に赤金鉱山松森磁硫鉄鉱鉱床の露頭から褐鉄鉱様の二次鉱物が採集され,それは合成実験で知られていたβ-FeOOH相に該当することが判明する[2]。それは天然では初めての産出,つまりは新種に相当することから南部はこの鉱物に赤金鉱(akaganeite)の名前を与え,それを1959年の三鉱学会連合学術講演会(仙台)で発表した[3]。1962年にはIMAの新鉱物・鉱物命名委員会(Commission on New Minerals and Mineral Names = CNMMN)から新鉱物の承認が与えられている(IMA 1962-004)[4]。赤金鉱はIMAが新鉱物について審査・承認を行うようになって以降では最初の国産新鉱物ということになるだろう。

 一方でオフィシャルリストに掲載されている第一文献はBirkbeck大学のMackayの論文である[5]。Mackayは南部から模式地の赤金鉱の提供を受け電子線回折法によってβ-FeOOH相であることを再確認し,1962年にMineralogical Magazineで論文が公表されている。ところがこの論文はやっかいごとも内包していた。この論文はタイトルで赤金鉱(Akaganeite)をAkaganéiteとつづり,eにアキュート・アクセントがついている。これは明らかに誤ったつづりであるのだが,かなり長い間この誤ったほうがIMAのオフィシャルリスト上にあった。今となってはアキュート・アクセントのついたつづりが誤りであることはすでに宣言されているのだが[6],いかんせん遅すぎる。もはや収拾がつかないほどこの誤ったスペリングは学術業界内に蔓延してしまい,正しいAkaganeiteよりもむしろ間違っているAkaganéiteほうが論文には多いという事態となっている。しかし改めて書いておく。学名の正しいつづりは「Akaganeite」であってアキュート・アクセントをつけてはいけないのだ。そういった経緯でIMA StatusはRn(renamed)である。

 赤金鉱の化学組成はざっくり示せばFeOOHではあるのだが,それは正確ではなく実際には塩素が必須である。南部もそれは認識していたが試料が乏しいことから定量はできず,模式地の標本では塩素は0.5wt%以下であると推測するにとどまっている。一方でオフィシャルリストに掲載されている赤金鉱の化学組成ではニッケルも入っている。これについて違和感を覚えたので調べたところ,これは第二文献および同じ著者の先行論文が元になっているようだ[7,8]。赤金鉱は様々な場所や産状で産出が報告されており,鉄ニッケル隕石の酸化皮膜を成す産状も知られるようになる [7,8]。第二文献はその赤金鉱を分析したところ多量のニッケルを固溶していたことから,第二文献を元にしているオフィシャルリストの組成式にはニッケルが入っている。ただしニッケルは必須成分ではないだろう。模式地の赤金鉱についてはニッケルの固溶はない[1]。

 赤金鉱もまた研究例の多い国産新鉱物の一つである。例によってWeb of ScienceでAkaganeite(Akaganéite)を検索すると585件の結果が出てくる。赤金鉱はいわゆるβ-FeOOH相なのでこれも含めて検索すると1105件にもなり(2016年8月17日現在),赤金鉱もまたインパクトのある国産新鉱物といえる。

 写真の標本は模式地の赤金鉱山から産出した標本で,初め桜井欽一が手に入れ,それが山田滋夫に渡り,その一部を恵与していただいた。見た目は褐鉄鉱の粉末で不定形結晶の集合かと思われたが,透過型電子顕微鏡で観察するとナノスケールの針~剣状結晶であった。電子線回折から全て赤金鉱であることが確認できた。

[1] 南部松夫 (1968) 岩手県赤金鉱山産新鉱物赤金鉱(β-FeOOH)について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 59, 143-151.
[2] 南部松夫 (1957) 岩手県赤金鉱山における磁硫鉄鉱の酸化. 鉱山地質, 7, 290 (1957年度地下資源関係学協会合同秋期大会の要旨)
[3] 南部松夫 (1960) 新鉱物赤金鉱(β-Fe2O3・H2O)について. 岩石鉱物鉱床学会誌, 44, 62 (昭和34年度学術講演会講演要旨)
[4] Commission on New Minerals and Mineral Names = CNMMNは1959年に設立され,この委員会は主に新鉱物のデータと名前に関して審査と承認を行っている。鉱物の分類や命名規約を検討する委員会はCommission on Classification of Minerals = CCMというものがあって別で活動していたが,2006年に合併してCommission on New Minerals, Nomenclature and Classification = CNMNCとなり,そこでは新鉱物の審査だけでなく命名規約についても一括で取り扱うようになっている。
[5] 第一文献
[6] Burke E.A.J. (2008) Tidying up mineral names: An IMA scheme for suffixes, hyphens and diacritical marks. Mineralogical Record, 39, 131-135.
[7] Post J.E., Buchwald V.F. (1991) Crystal structure refinement of akaganeite. American Mineralogist, 76, 272-277.
[8] 第二文献

2016/08/17記

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No. 15.

IMA No./year: 1963(1967s.p.)
IMA Status: A (approved)

園石 Sonolite

Mn2+9(SiO4)4(OH)2

模式地:京都府 和束町 園鉱山 他

第一文献: Yoshinaga M. (1963) Sonolite, a new manganese silicate mineral. Memoirs of the Faculty of Science, Kyushu Imperial University, Series D, 14, 1-21.

第二文献: Kato T., Ito Y., Hashimoto N. (1989) The crystal structures of sonolite and jerrygibbsite. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Monatshefte, 1989, 410-430.

園石 Sonolite
福井県藤井鉱山

園石 Sonolite
京都府和束町 ややピンク~紫がかった粒が本鉱で透明な部分にはテフロ石が混じる。アレガニー石やマンガンヒューム石とは分析しないと区別が出来ない。右上~左下に走る褐色は木下雲母。

 園石は九州大学の吉永真弓により発見された新鉱物で,発見地の京都府和束町園鉱山の名称から命名されている。記載論文は1963年に九州大學理學部紀要で発表され[1],同年の内にAmerican Mineralogistでも紹介されている[2]。オフィシャルリストに記してある年代は1967年で,これはIMAが設立後に改めて承認された年となる[3]。

 吉永の記載論文によれば,アレガニー石(alleghanyite)や他の含マンガン珪酸塩鉱物を研究する過程で,1960年に園鉱山の鉱石中から最初に見出され,それに続いて多くの産地が見つかったようだ。論文で挙げられている園鉱山以外の産地は,岩手県花輪鉱山,茨城県鷹峰鉱山,栃木県加蘇鉱山,愛知県田口鉱山,滋賀県五百井鉱山,京都府向山鉱山,山口県和木鉱山,山口県高森鉱山,山口県久杉鉱山が挙げられており,国外の産地として台湾蘇澳鉱山も記されている。

 園石はバラ輝石,パイロクロアイト,ガラクサイトなどを密接に伴い,それらは園石の結晶中にも包有される。こういった包有物の存在は湿式分析が主な分析手段だったこの時代ではたいへん悩ましいことで,不純物の少ない試料は常に望まれていた。園石は名前こそ園鉱山の名称から命名されているが,諸性質の解明に使用されたのは主に花輪鉱山と久杉鉱山からの試料であった。この二つの鉱山から産出する園石は不純物(包有物)が少ないことが記してある。

 園石は単斜ヒューム石(Clinohumite)のマグネシウムをマンガンに置き換えた鉱物であることが論文中には記されている[1]。ただ今となっては単斜ヒューム石の化学組成はMg9(SiO4)4F2という定義になっているので,現在では園石は単斜ヒューム石のマグネシウムをマンガンに,フッ素を水酸基に置き換えた鉱物と言った方が正確である。園石の結晶構造解析は山口大学の加藤敏郎らによって行われ,改めて単斜ヒューム石と同構造であることが確認された[4]。

 写真は福井県藤井鉱山と京都府和束町からの標本となる。記載論文に挙げられた以外にも多くの産地が知られている。園石は国内の産地ではいずこでも肉眼的に鈍い赤褐色で,アレガニー石とはぱっと見で判別はできない。海外では数センチの単結晶が産出する。

[1] 第一文献
[2] Fleischer M. (1963) New mineral names. American Mineralogist, 48, 1413-1421.
[3] International Mineralogical Association (1967) Commission on new minerals and mineral names. Mineralogical Magazine, 36, 131-136
[4] 第二文献

2016/08/24記

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No. 16.

IMA No./year: 1963-002
IMA Status: A (approved)

神保石 Jimboite

Mn2+3(BO3)2

模式地:栃木県 鹿沼市 加蘇鉱山

第一文献: Watanabe T., Kato A., Matsumoto T., Ito J. (1963) Jimboite, Mn3(BO3)2, a new mineral from the Kaso mine, Tochigi Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy, Ser. B, 39, 170-175.

第二文献: Sadanaga R., Nishimura T., Watanabe T. (1965) The structure of jimboite, Mn3(BO3)2 and relationship with the structure kotoite. Mineralogical Journal, 4, 380-388.

神保石 Jimboite
タイプ標本 東京大学総合博物館標本
黒い脈はヤコブス鉱で,それ以外はほぼ神保石。

神保石 Jimboite
上の標本の拡大写真
左下の脈はヤコブス鉱。

神保石のラベル 東京大学総合博物館標本
上の標本のラベル。

含神保石マンガン鉱石 Jimboite-bearing manganese ore
群馬県 利東鉱山 東小中鉱床
含神保石マンガン鉱石で中央の白い繊維状結晶はマンガン硼素酸塩鉱物のウイゼル石。

 東京大学の渡辺武男らによって栃木県加蘇鉱山から見いだされた新鉱物で,東京帝国大学鉱物学教室の教授であった神保小虎の名にちなんで命名された。神保石の記載論文は日本学士院が発行するProceedings of the Japan Academy において1963年に発表された[1]。その一つ前の論文も渡辺によるもので,本邦初産となる小藤石[2]の記載論文となっている[3]。

 神保小虎(1867-1924)は東京帝国大学地質学科を卒業し,北海道庁で勤務した後にベルリン大学に留学した。留学先では古生物学を専攻すると共に鉱物学・岩石学・地理学についても学んだとされる[4]。助教授で大学に着任した後に,新たに設置された鉱物学教室の初代教授となる。「日本鉱物誌 第二版」の著者の一人であり,第三版も企画していたとされる[5,6]。詳しい経歴や業績,人物についてのエピソードなど,詳しく知りたい方は引用先を当たってほしい[例えば7-9]。

 神保石の発見や研究の経緯については渡辺自らが記した解説文が残っており[10],内容を紹介しておこう。小藤石の研究を行っていた頃にスウェーデンのLångban鉱山からピナキオ石(pinakiolite)というマンガン硼酸塩鉱物が産出することを知り,小藤石のマンガン置換体の存在を期待するようになったという。もしそれが産出するなら第一候補は尾平・大崩山地方のマンガン鉱床,他の候補として北上産地のマンガン鉱床を想定していたようだ。そんな中で,鉱物学教室に所属していた加藤昭が鉱物研究家の櫻井欽一らと共に栃木県加蘇鉱山に赴き,珍しい鉱石を採集してきた。当初の観察で光学顕微鏡下での特徴が小藤石に似ていると半ば冗談で話し合っていたらしい。ところが分析をしてみると,それは長年探し求めていた小藤石のマンガン置換体であることが判明する。そこから新鉱物申請に向けてデータを集め,近代化された設備や周囲の助力もあって,ほんの4ヶ月で研究がまとまったと記してある。この年代には国際鉱物学連合の体系も固まって新鉱物の審査委員会もできあがっており,神保石は1963-002として審査にかけられ万票(満場一致)で認められている。1965年には模式地標本を用いた構造解析の結果が報告された[11]。

 神保石は顕微鏡下ではほぼ無色だが,肉眼的な結晶だと紫赤褐色の鉱物である。東大博物館にある模式標本をみると確かにそのとおりだ。そして今手に入る神保石と言われる標本もそんな色をしており,期待して調べてみたが全く神保石は入っていない。実は神保石不在の標本が神保石っぽく見えるのはテフロ石とガラクサイトによって醸し出されている。そしてそれは肉眼ではほとんど判別不能である。下に神保石不在の標本を掲載した。東大博物館のホンモノと見比べてみてもほとんど同じに見えるのにこれらには神保石は入っていない。東小中鉱床のウイゼル石(wiserite)を伴う標本にだけ数十ミクロン程度の神保石がわずかに入っていた。

マンガン鉱石 Manganese ore
その1。模式地の岩石標本。調べたところこれはテフロ石が主体で多量の微小ガラクサイトが含まれている。菱マンガン鉱もあるがこれは細脈で来ており肉眼的にはわからない。黒い帯はアラバンド鉱。どれだけ探しても神保石はみつからず,硼酸塩鉱物の気配すらなかった。

マンガン鉱石 Manganese ore
その2。群馬県利東鉱山東小中鉱床の岩石標本。これもテフロ石,ガラクサイト,菱マンガン鉱の集合。やはり神保石はこういう標本にはいなかった。経験的にテフロ石がいるとあきらめざるを得ない。色が神保石のようであっても劈開がルーズな標本は軒並みダメ。

[1] 第一文献
[2] 小藤石(kotoite): Mg3(BO3)2。神保石から見てMn→Mg置換体に相当する。渡辺武男によって北朝鮮笏洞鉱山から見いだされた新鉱物で,神保石よりも前に発見されている。
[3] Watanabe T., Kato A., Katura T. (1963) Kotoite, Mg3(BO3)2 from the Neichi Mine, Iwate Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy, Ser. B, 39, 164-169.
[4] 佐藤傳藏 (1924) 神保理學博士を弔す. 地学雑誌, 36, 179-182.
[5] 和田維四郎, 神保小虎, 瀧本鐙三, 福地信世 (1916) 日本鉱物誌 第2版, pp.357.
[6] 和田維四郎, 伊藤貞一, 桜井欽一 (1947) 日本鉱物誌 第3版 上巻, pp.368.
[7] 浜崎健児 (2011) ユーラシア大陸を駆け抜けた神保小虎-その人物と神保をめぐる人たち. 地質学史談話会会報, 36, 27-28.
[8] 日本地質学会メールマガジン No250.
[9] 日本地質学会メールマガジン No254.
[10] 渡辺武男 (1963) 新鉱物を見いだすまで-小藤石と神保石の場合-. 科学, 33, 461-467.
[11] 第二文献

2016/08/26記
2016/09/07改訂

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No. 17.

IMA No./year: 1963-011
IMA Status: A (approved)

原田石 Haradaite

SrV4+Si2O7

模式地:岩手県 野田村 野田玉川鉱山 & 鹿児島県 大和村 大和鉱山

第一文献:Takéuchi Y., Joswig W. (1967) The structure of haradaite and a note on the Si-O bond lengths in silicates. Mineralogical Journal, 5, 98-123.

第二文献:Watanabe T., Kato A., Ito J., Yoshimura T., Momoi H., Fukuda K. (1982) Haradaite, Sr2V4+2[O2 Si4O12], from the Noda Tamagawa mine, Iwate Prefecture and the Yamato mine, Kagoshima Prefecture, Japan. Proceedings of the Japan Academy 58 B, 21-24.

原田石 Haradaite
模式地標本 岩手県野田玉川鉱山

原田石 Haradaite
模式地標本 鹿児島県大和鉱山

原田石 Haradaite
高知県松尾鉱山

東京大学の渡辺武男らによって岩手県野田玉川鉱山と鹿児島県大和鉱山から発見された新鉱物で,北海道大学の原田準平の業績をたたえて命名された。承認を受けた時期は文献に記載がないが,通常なら申請した1963年内には承認を得ているだろう。記載論文に先立って構造解析の論文が1967年に発表され[1],記載論文の公表は1982年であった[2]。

原田石は同じような時期に二つの鉱山で見いだされ,別々の研究グループにより研究が進められていた。1962年の地質学会において九州大学の吉村らが鹿児島県大和鉱山からの本鉱を報告したことが,記録上では初出になるだろう[3]。記載論文では野田玉川鉱山から福田皎二が1960年に標本を「採集した」ことが記されている。一方で記載に先立って公表された1967年の構造解析の論文では1960年に渡辺と加藤が「発見した」という記述になっており[1],たぶん優先権争いがあったのだろう。それでも1974年には二つの研究グループは連名で国際学会において発表している[4]。このあたりにはわだかまりは解けたのかもしれない。二つの研究グループの筆頭であった渡辺武男と吉村豊文は北海道大学において原田と共に勤務しており,原田の還暦記念論文集にも二人の名前が見られる。

鉱物名の元になった原田準平(1898-1992)は1924年に東京帝国大学を卒業している。すぐさま理学部の助手となり,翌年には熊本高等工業学校および第五高等学校の教授を兼務し,熊本医科大学予科講師も務めている。1928年から文部省在外研究員としてヨーロッパ・アメリカに留学し,1931年に北海道帝国大学の助教授に着任する。翌年には地質学鉱物学第四講座の教授となる。そしてこの第四講座は今も存続しており,原田に続く第四講座の歴代教授は,八木健三,針谷有,藤野清志,永井隆哉となる。私はこの第四講座の出身で藤野と永井の指導を受けて博士号を得ており,ポスドク修行は八木健三の子息にあたる八木健彦(当時・東京大学物性研教授)の元で行った。愛媛大学での指導教員だった皆川鉄雄も第四講座の針谷の元で学位を取得した。私は原田先生から続く第四講座に縁が深いこともあって原田石には少なからず思い入れがある。

原田石はストロンチウムと4価のバナジウムを主成分とするケイ酸塩鉱物で,翠緑色の非常に美しい鉱物である。天然で最初に見つかり,1965年には伊藤順によって合成された[5]。野田玉川鉱山の原田石は粗粒のバラ輝石に伴われる石英の集合中に5ミリに達する平板状結晶で産出したようだ。大和鉱山ではゴールドマン石榴石・バラ輝石・石英を伴って塊状のマンガン鉱石を切る脈として産出したという記述がある。その他,愛知県田口鉱山[6]と高知県松尾鉱山[7]からも産出が知られる。原田石が産出する鉱石はどいうわけかいずれも低品位鉱である。

写真は岩手県野田玉川鉱山,鹿児島県大和鉱山,高知県松尾鉱山から産した原田石で,いずれも特徴的な翠緑色が美しい。これらは何とか手に入った。だが愛知県田口鉱山の原田石はひときわ稀なのかその標本をみたことすらない。1ミリ以下でも良いから田口鉱山の原田石もほしい。

[1] 第一文献
[2] 第二文献
[3] Yoshimura T., Shirozu H., Momoi H. (1962) Jour. Geol. Soc. Japan, 68, 397 (abstr.) (in Japanese)
[4] Watanabe T., Kato A., Ito J., Yoshimora T., Momoi H., Fukuda K. (1974) Haradaite, Sr2V2(O2)(Si4O12), a new mineral from the Noda Tamagawa mine, Iwate Prefecture, and the Yamato mine, Kagoshima Prefecture, Japan. 9th General Meeting of the International Mineralogical Association, Berlin Germany, 9, 97-97.
[5] Ito J. (1965) Synthesis of vanadium silicates: haradaite, goldmanite and roscoelite. Mineralogical Journal, 4, 299-316.
[6] 松山文彦,小林暉子(1993) 愛知県田口鉱山産原田石. 地学研究,42,2-4
[7] 広渡文利,松枝太治,吉村豊文(1972) 高知県松尾鉱山の原田石. 三鉱学会要旨集,p12.

2016/12/22記

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No. 18.

IMA No./year: 1965-017

櫻井鉱 Sakuraiite

(Cu,Zn,Fe,In,Sn)S → (Cu,Zn,Fe)3(In,Sn)S4(2014.07~)

模式地:兵庫県 朝来市 生野鉱山

原著:加藤昭(1965)新鉱物「櫻井鉱」. 地学研究,桜井欽一博士紫綬褒章記念号,1-5.

櫻井鉱 Sakuraiite
模式地標本 上下に走る黄銅鉱脈の左右の銀黒色塊状集合が本鉱とペトラック鉱の集合。

原著では(Cu,Zn,Fe)3(In,Sn)S4の化学組成が提案されていたがKissin&Owens(1986, Canadian Mineralogist, 24, 679-683)の主張に従って上記のものに改められたが,2014年7月に確認したときはまた元に戻っていた。Kissinらは構造も加藤の報告は違うんじゃないかという疑問を投げかけているが,でもとか言ってるKissinらのデータも論文を読む限り確たるものではない(構造解析はしていない)ので,化学組成・構造も含めて一意には決まっていないはず。2014年7月のオフィシャルリストでは化学組成がKatoらの提案通りに戻っているので,やっぱりKissinらの提案はダメだったのだろう。
この標本の化学組成は(Cu1.66Zn0.98Fe0.35)Σ2.99(In0.55Sn0.44)Σ0.99S4で,加藤の提案した組成比とよく一致する。櫻井鉱である。

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No. 19.

IMA No./year: 1966-009

万次郎鉱 Manjiroite

Na(Mn4+,Mn2+)8O16·nH2O

模式地:岩手県 軽米町 小晴鉱山

万次郎鉱 Manjiroite
万次郎鉱 Manjiroite
いずれも模式地標本 

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No. 20.

IMA No./year: 1967-009

福地鉱 Fukuchilite

Cu3FeS8

模式地:秋田県 鹿角市 花輪鉱山

原著:Kajiwara Y. (1969) Fukuchilite, Cu3FeS8, a new mineral from the Hanawa mine, Akita Prefecture, Japan. Mineralogical Journal, 5, 399-416

福地鉱 Fukuchilite
模式地標本 中央左側,緑礬(ろうは)に埋もれた一見なんだかよくわからない黒色塊に含まれる。金色部はただの黄鉄鉱で,そういう見た目が金色の結晶には全く含まれていなかった。
福地鉱 Fukuchilite
SEM写真1 中央のぐちゃっとした部分に含まれている。明るい灰色はコベリン,暗い灰色は黄鉄鉱。
福地鉱 Fukuchilite
さらに拡大してコントラストを強調 一番明るい灰色はコベリン,最も暗いところは黄鉄鉱,それらの中間色が福地鉱。なんとか分析できる箇所を探して組成分析してみるとCu2.96-3.03Fe0.98-1.27S8でした。明らかにもともと存在していた何かが分解してできた組織。もとは何の鉱物だったのだろうか?

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 Posted by at 11:44 PM

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