10 物性科学

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ナノ磁性体・生命体分子の軟X線磁気カイラル二色性分光

学術的意義・発展性

可変偏光(円偏光、直線偏光)アンジュレータ光をプローブとし、ナノスケールの磁性体とカイラル対称性生命体分子の電子・磁気状態及び立体構造の相関を解明する。磁気円/線二色性(MCD/MLD)と自然円二色性(NCD)を主要な実験手法とするが、構造の情報も得るために、軟X線内殻吸収と共に軟X線共鳴散乱・回折を新たに利用する点に独創性と発展性がある。磁性体とカイラル分子は、共に”ネジ的性質”即ち左右円偏光に対して非対称な応答(MCD とNCD)を示す類似の特性を有する。しかし従来、磁性は時間反転対称性(の破れ)の問題、生命体分子のホモカイラル(又はホモキラル)立体構造は鏡映対称性(の破れ)の問題(Kelvin 卿の定義)として、本質的に異なる現象と考えられた。しかし極く最近の研究は、Faraday、Pasteur、Kelvin 卿の3人の大科学者に始まる150年来の大問題に終止符を打ち、磁性(又は磁場)と狭義カイラリティを別個の現象と見る描像に再検討を迫っている。本課題は、この2つの現象を一体として捉え研究する磁気カイラル二色性分光の手法に学術的意義と発展性がある。磁性人工格子や磁性ナノクラスター・ナノワイアーは、マクロの磁性体と著しく異なる新しい磁気的性質を示すはずであり、スピントロニクスへの応用が期待される。生命体分子のホモカイラリティは、ライフサイエンスの根本問題のひとつと認識されており、医学・薬学への応用(新薬の開発等)にも極めて重要な意義と発展性を有する。磁性人工格子・ナノクラスター・ナノワイアーや DNA 分子・タンパク質分子(の螺旋ピッチ)は、構造のスケールがナノメートルのオーダーであり、これは正に軟X線の波長と同程度である。この事実は構造の研究の可能性を強く示唆する。他方、軟X線の光子エネルギーは50〜1600eV であり、3d 遷移金属の2p、3p1/2、3/2→3d (L2、3)内殻、希土類金属の3d、4d 3/2、5/2→4f (M4、5、 N4、5) 内殻、及び軽元素(C、N、O.....)の1s→2p (K) 内殻励起を全て含む。3d 準位又は4f 準位が磁性の大部分を支配していること、及び生命体分子の化学結合は2p 準位が主に担っており、磁性原子も含むこと(例えばヘモグロビン中のFe)を考慮すれば、軟X線偏光利用の重要性は明らかである。DNA 分子コンピューターという言葉に代表されるように、「ナノテクノロジー」と「ライフサイエンス」は21 世紀科学技術の2大支柱であるばかりか、両者は今や切り離して考えられない程に密接な関係を持ち始めている。本課題は、軟X線円偏光の利用を中心に、この2つを結び付けて研究する点に大きな意義と発展性を有する。

国際競争力

強磁性体の軟X線域内殻磁気円二色性(XMCD)研究は、実験/理論ともに日本の研究者が10年来、世界をリードしてきた。ナノスケール磁性体(磁性人工格子や磁性ナノクラスター)のXMCD 研究も世界のトップにある。またこれらの実験に重要な楕円偏光解析も、日本の研究はドイツと並んで世界をリードしている。反強磁性体の内殻磁気線二色性(XMLD)研究では、ALS(米)、BESSY-II(独)、ESRF(仏)のグループが最近優れた成果を挙げている。また極く最近ESRF(仏)のグループが、カイラル対称性無機物質の硬X線域における自然円二色性(XNCD)と磁気カイラル二色性(MChD)実験に成功したが、軟X線域での実験はまだ報告されていない。これらの実験研究は始まったばかりであり、競争はこれからである。日本の物性研究者は、高品質試料作成技術で世界をリードしており、本ナノスケール物質の研究でも、試料作成の高度技術と高輝度新光源を組み合わせて圧倒的優位に立つ事が確実に期待出来る。

高輝度の必要性

(1)ナノスケールの試料を対象にする、(2)内殻励起の元素選択性を利用して特定元素の情報を得る、及び(3)XMLD やXNCD の信号は本質的に小さいことを考慮すると、十分なS/N 比の信号を得るには、多くの光子が試料の単位面積に入射することが必要であり、高輝度の必要性は高い。「高輝度」は、小さい光源サイズかつ1次元的な光ビームを意味するから、光源は必然的にアンジュレータである。

技術的な実施可能性

ナノスケール磁性体のXMCD 実験に関しては、既にPFの偏向電磁石部からの楕円偏光と超伝導マグネットを利用した研究で、名目上の蒸着厚さが1原子層以下のナノクラスターに対して5つの異方的磁気モーメントが決定された。従って、高輝度光源を利用する実験でも特別の困難はない。XMLD 実験では、磁場又は直線偏光の少なくとも片方が、水平面内と鉛直面内方向に切り換えられる必要がある。可変偏光アンジュレータを用いれば、直線偏光を切り換える方法が可能である。カイラル対称性生命体分子のXNCD や(最も一般的な) MChD 測定は、興味深いがチャレンジングであり、当然克服すべき技術上の問題も多い。例えば、螺旋状分子の螺旋軸をどう揃えるか、生命体分子を超高真空槽内でどう扱うか、等等。しかし、これらの問題も現代のナノテクノロジーを駆使すれば克服できると期待される。

その他

偏光を利用する実験では、円偏光または直線偏光の直交基底ベクトルを交流的にスウィッチングし、ロックイン法で信号を検出すれば、DC 測定に比べて102〜103 倍もS/N 比を高めることが可能である。従って、可変偏光アンジュレータは、左右円偏光及び水平/垂直直線偏光の交流的スウィッチングが必須となる。